今、この瞬間を精一杯生きていますか?

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zoom RSS 人間存在の最大苦すなわち死を超えること

<<   作成日時 : 2016/07/05 08:14   >>

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 「阿弥陀仏の本願という大いなる存在に自身の死を疑いなくゆだねられたときに、私たち人間には限りない安寧と至福の時が訪れます。」
 このように説かれる浄土真宗の阿弥陀仏の本願の教えに巡り合った18歳のときから、今まで世界中の人におそらく何万の人たちに直接か語りかけてまいりました。インターネットで発信した投稿記事も含めたら何十・何百万の人たちに来る日も来る日も「死を解決して人間に生まれてきてよかった」と心からよころんでもらえるように伝えてきました。
 
生きて生まれたからには人間は必ず死にます。
「そんなことは当たり前でしょ」
 何をいまさら敢えて確認する必要があるのでしょうか?
 そのように笑いながら多くの人は言います。
 死刑が確定した独房に入っている死刑囚だけに確実な死が迫っている訳ではありません。
私たち全てが「日にちが確定していない死刑囚」であるのです。
 死刑囚は一日のうちのある時間帯に、看守が自分の部屋の前に止まったときに死刑が執行されるので、その時間じっと耳を澄まします。
 一般の人たちはこういうことはなく、突然自分の死ぬ日が訪れます。ただこの差があるだけです。

この人間共通の問題である死んだ後どうなるのか、それが分からないと安心・満足して生きられません。
人生を終えた後のいく先が分からない不安は以下のようなものです。
飛行場を飛び立った飛行機が着陸する場所が確保できないこと。降りるべき場所が決まっているから安心して飛行機は離陸し、飛び続けることができるのです。降りるところが確定していなかったら、安心して機内食を食べ、映画を見たりすることはできません。着陸する場所を確保してこそ、飛行時間のあいだを楽しめます。

また長い休みに課された宿題を学校が始まる提出日ぎりぎりまでしないと休みを楽しむことはできません。できれば、休みに入ったその日に全部済ませてしまえば、あとは学校が始まるまで思う存分好きなことができます。

また、トイレのない長距離の公共の乗り物である電車やバスに乗る前には、好きなだけ食べたり飲んだりすることは控えます。なぜなら途中にトイレに行きたくなってもどうすることもできないからです。食べたものを出す場所を確保して、初めて私たちは思い切って食べることの楽しみを味わうことができます。

 「死の解決」ができる身に生きている「今ここでできるのか」と問われれば、「できます」と答えます。
 ただし、死んだ人が生き返って証言したわけではないし、心の問題であるので目に見えませんので、言葉で伝えるのは非常に困難です。
 言葉を超えたきづきのようなものを実際に身を以て体験してもらうしかありません。自分の力では死の解決が出来なかったと知らせされる体験です。だから身をまかせるしかないと気持ちが軽くなる体験です。
 
このきづきが訪れた時をターニングポイントと仮に呼ぶと、一度この境地を知るとずっと臨終まで変わりません。なぜか感謝の気持ちが出てきて命が終わるまで生きられるのです。私は浄土真宗でこの境地を知りましたが、ほかの教え方でも同じように死を乗り越えられることがあるかもしれません。地球は狭いようで広いのですから。
それが見つかったら一緒に協力していけばいいでしょう。この教えが一番と争う必要はありません。
とりあえず今は私は自分が知り得た方法をご縁のある方々にお話しするだけです。できるだけ分かり易い話ができるよう日夜精進していますが、言葉は限界があります。ぎりぎりのところまでは、お話しできますがあとは本人が大いなる力に身を委ねる体験を念じつつ黙って見護だけです。
感謝していること
このようなお話を有縁の方々にお届けするのが私にとって至福の時です。

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