今、この瞬間を精一杯生きていますか?

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zoom RSS できることとそうでないことの見極め

<<   作成日時 : 2016/07/15 10:47   >>

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 迷いから覚めるとか、迷いの状態から抜けるということは本当に簡単なことです。
 知恵や才能といった能力は要りません。
 4歳の子どもでも可能です。
 そうでなければ命が無常である人間は助かる可能性が限りなく低くなります。

 何か真理のようなものを求める気持ちや関心があることや、無常観・罪悪観を持っているかどうかで、どれか一つでも持っていたなら、縁が来たら救われる時が来ます。
 小さい人や若者は「無常観」がとても強いです。死の恐怖を取り除きたいと考えますが、誰も教えてくれる人がなく、不安な時期を過ごします。

 一方、歳を重ねていくと、自身や周りが煩悩によって作る罪や悪を見ていくことになり、「罪悪観」が強くなります。そして、その罪悪感で苦しむことになります。それでも、その罪悪は三次元の身体を持っている限り、どうすることもできないことも分かってきます。身体を失わないで、罪悪観を克服することへの絶望感を味わうことになります。真剣に生きれば生き、自我を追求すればするほど苦しくなります。うつ病というような心理障害に陥ることもあります。
 それでも、罪悪感を拭い去ることへの困難さを教示してくれる人は見つからなければ、適度に自身をなだめて折り合いをつけていくような諦めを持って過ごさなければなりません。 

無常観・罪悪観を自分の心の中や他の人間たちからの示唆などで取りつめていっても、限際がありません。人間は自惚れが強いので有限な身体の中で、いろいろしていってもどんぐりの背比べであり、傷をなめ合うことくらいしかできません。
そこで、自分と縁のあった様々なものから真理を提示されることが必要になります。それも中途半端ではなく、徹底して自分を超えるところまで持って臨終までに持って行けることが出来たら、生まれてきたかいがあります。

そういうご縁を持てた人に聞くのが一番ですが、それぞれ得意な説明の方法がありますので、自分に合った人と出合うが大切です。
私は無常観の方が、罪悪観を語るよりも得意です。罪悪観を話すにはそこに入っていく必要があります。あまりにも辛い人生を思い出すことに蓋をしてしまっているのでそれはしたくないのかもしれません。蒸し返して誰か求めてきている人と一緒に関わることは難しいです。話は分かるし頭では理解できますが、私は得意ではないとわかりました。向き不向きがあることを指導教員の話からどうしようおもないほど知らされました。

 それでも、落ち込んでいては、阿弥陀仏への御恩報謝ができません。私ができることはあるし、得意なことをしていくしかないと改めて決意しました。
また、私ができること、してきたことを求めてくれる場所もどこかにあるのではないかとも感じます。できたら、来年の今頃からヨーロッパのどこかで、出来たらイギリスにいってしばらく活動をしてみたいと思うようになりました。ベルギーでの学会の発表や、そこでの出合いで新しい展開があるかもしれません。
感謝していること
自分の思っていることを言うとそれが受け入れられようとそうでなかろうと、何らかの返答があります。これは大切なことだと知らされます。大学院という環境は自分の考えを発表できる場所であり、有難いと感謝しています。

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