今、この瞬間を精一杯生きていますか?

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zoom RSS 透明人間――そこにいてもそこにない

<<   作成日時 : 2016/08/03 10:28   >>

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 何かに集中すると、のめり込むやはり「おたく」の私は家族にこう宣言します。

 「○月○日の試験が終わるまで、論文が提出できるまで、私は透明人間になります。姿は見えても、それは幻でいないものと思ってね」




 それからの家族は大変です。まるで腫れ物に触るように距離を置きます。それでも、何か必要が生じて聞いてくると「はい」「いいえ」の意味の短い返事をおそらく無表情か面倒くさそうなつぶやきが返るだけです。

何度かこのようなことを繰り返し、家族は最近は慣れて来たようです。

 

そう思ってきましたが、実は、ただ、ちょっと慣れただけで、これは同じような性質の人しか耐えられないのではないかと知らされる出来事がありました。ホテルで缶詰めになる作家などの気持ちが分かるようになりました。心に余裕がなく、他人に対する思いやりが欠如して、全然優しくないし、自分の目の前の課題しか考えられない時は、「普通」の状態の人と一緒にいたらいけないのですね。




反対に同じように何かに没頭して、周りが見えなくなったことが分かる人となら、たぶん何時間でも耐えられるでしょう。

おそらくそれは作家とか研究者とか集中する人たちなのだとわかってきました。

でも、一人で集中するのも疲れるし寂しいので、同じように集中したい人が同じ空間で別のことで集中しているのならもっと嬉しいということも。これが共同の研究室なのかもしれません。




「普通の感覚の人」には全くもって甚だ迷惑で我儘な心境ですが、私自身、自分がそういう人間なので「仕方ない人だなぁ」と許せてしまうのが不思議です。

もちろん、急ぎとか締め切りが近くない時は、相手とは少し異なるの研究の話をしたりもしますし、それはそれで楽しいです。図書館などの自習室よりも自由度が大きい気がします。仕切りもないし、話しかけてもいいのでしょうが、「放っておいてオーラ」が感じられるときは、絶対関わらない暗黙のルールがそこにはあります。




「おたく」と見なされているような人たちというのは本当に厄介なものだと自分自身も含めて感じます。

感謝していること

 集中すると周りが見えず、さらに周りに見えないものとして扱ってくれという我儘な要求を受容してくれる人たちに有難く感謝します。


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