今、この瞬間を精一杯生きていますか?

アクセスカウンタ

zoom RSS なぜ人を殺してはならないのか

<<   作成日時 : 2016/09/04 11:33   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 0


 親鸞聖人のこのお言葉を私は一体何回聞いたことでしょうか。

 

ある時から、この「ああ」が心の底から共感できました。以下簡単に現代語に私なりの言葉で書いてみます。

 

六道輪廻を繰り返し、苦しみを苦しみとも感じられず、煩悩で作る罪によって、このサークルを生まれ変わり死に変わりを繰り返しました。

そんな私が、すべての生き物を対象にした弘い誓いの強力なご縁に今・ここで値えました。真実の浄らかな信心は億劫年の間に獲られることは難しいです。たまたま真実信心を獲られたならば、遠く過去にさかのぼって今に至るまでの長きにわたるご縁を慶びましょう。




もし、今生でまた阿弥陀仏に疑情を晴らしていただくことが出来なければ、六道のサークルに戻って本当に長い間迷い続けることになります。本当でした。必ず救い見捨てることはしないという真実の言葉、世を超えた希な正しい真実の教え、聴聞して今・ここで救われてください。

 




「ああ、弘誓の強縁、多生にも値いがたく、真実の浄信、億劫にも獲がたし。たまたま行信を獲ば、遠く宿縁を慶べ。もしまたこのたび疑網に覆蔽せられば、かえってまた曠劫を径歴せん。誠なるかなや、摂取不捨の真言、超世希有の正法、聞思して遅慮することなかれ」(親鸞聖人)

『顕浄土真実教行証文類序』(教行信証・総序)浄土真宗聖典(注釈版) 1988年pp.131-132




 「ああ」は不可称・不可説・不可思議という感じです。分かる人には分かる、分からない人にはまったく分からない。

 

なぜ人を殺してはならないかという問いに対して、私は迷いの世界をすべての人が出ることができると阿弥陀仏が誓っていらっしゃるからだと答えます。

自分自身がまず迷いから抜けられ、ほかの誰でもが迷いから抜けることができる人間にせっかく生まれてきたのに、それを阻止する権利は誰にもありません。それが分からないと自身の煩悩の欲を邪魔する弱い人たちをまるで虫けらのように捉え嬉々としてか嫌々かは分かりませんが、精神科医や依頼された人間がガス室のボタンを押し、銃の引き金を引き、絞首刑の装置を作動させることができるのです。以上です。




「共生」など言う言葉を分かった振りをして、大学の教員が偉そうに学生に講義してもこの仏教の言葉の意味が分からないと、「共に生きる」と彼・彼女は口にはしているけど、全然わかっていないことが見透かされてしまいます。古今東西の哲学者学者識者の言葉をいくら教えられて、それを論文に書き散らしても感動も与えられず、世の中を少しも変えることなどできません。私も高校時代や大学に入った頃、一通りの哲学や社会学者の言っているものを読み通しましたが、深く広く学ぶものではないと辞めてしまいました。




彼らの作るスタンダーに比べて、仏教の教えは別格でした。学問には限際がありませんが、仏教には悟りがあるのです。終着点があるのです。迷いから抜け出ることができるのです。せいぜい煩悩のレベル程度しか問題にできない、入ったら出られなくなる哲学やほかの学問などに嵌ってしまっては人生を棒に振ることになると仏教の先生に言われたのももっともだと感じます。




感謝していること

何十年もの間、何度もこの親鸞聖人のお言葉の真意を理解できず、目先の煩悩に振り回されていました。最後まで消えないで泣かされていた、ご本願を疑っていたことに対する罪の重さをふっと軽くしてくださり、ともに歩いてくださる阿弥陀仏のお言葉の真意が知らされた時から、とても言葉に出来ない御恩報謝の気持ちを感じています。


テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
なぜ人を殺してはならないのか 今、この瞬間を精一杯生きていますか?/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる