今、この瞬間を精一杯生きていますか?

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zoom RSS 欲と嫉妬について

<<   作成日時 : 2016/11/28 11:24   >>

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幼少の頃から私は特に何も欲しくありませんでした。
 だから、特にこれが欲しいとねだった記憶もありません。
 必要なものは買ってもらいましたが、それ以上のものは心の底から欲しいとは思いませんでした。
 だから人と争って何かを獲得するとか、それこそ人のものを盗るとかそんなこととは無縁の生き方をしてきました。
 何か欲しいと言うのは足りないと感じるからなのでしょうか。
 
嫉妬も必要最低限のもの以外はいらないので、持ちませんでした。
 自分が満たされていたら欲しくなし、人を嫉妬することもなかったのかもしれません。
 家が大金持ちでもなく、天才的頭脳を持つ容姿端麗でみんなからちやほやされる人生ではありませんでしたが、自分が過分に欲しくなくて足るを知る生活を無意識にしてきました。だから、今でも、「欲しい人」や「嫉妬する人」の気持ちが分かりません。

 その時、あるもの持っているものに感謝してきました。
 それは、人間が死すべき存在で、容姿も衰え、死ぬときには何一つ持っていけないという考えが根底にあったのだと思います。
 
 人に対しても「欲しい」や「嫉妬」は感じません。
 その時のご縁で、私をまたは私が必要な人と暮らし、助け合う感覚です。家族も友だちも周りの人みんなに対して、私は優劣を感じません。

 嫉妬とか独占欲とかは何だか器の小さい人の感覚のような気がします。また独占欲(嫉妬)で意地悪をする人に対しては子どもじみて悲しく残念ですが、こんな経験も過去にたくさんしてきました。私は一貫して、秘密とか特別扱いが苦手です。

 私が特に心を掛ける人は、助けたいし、助けられるのは、今本当に苦しんでいる人であって、欲や嫉妬で燃え盛る炎の中にいる人ではありません。私自身がそのような状態がわからないうこともありますが、欲や怒りや愚痴の煩悩のまたその底にある迷いの無明にきづき、それを何とかしたい人に応えるのが、それこそが、私の使命だからです。
 今衣食住の生存に必要な社会福祉政策や援助は要らないとは言いませんし、必要に応じでそれを考え実施する人がしたらいいと思いますが、私が今生、人間として生まれて遂行する使命ではないとハッキリきづきました。あとどれくらい生きられるか分からないので、私は自身の使命を果たすことを中心に生きていきます。

 人はそれぞれの環境で、いろいろな人に出合い、物に恵まれていますが、必要な時に必要なだけのご縁に出合えます。なぜなら、阿弥陀仏の光明は迷いを迷いと分かるゴールに向かっての学びを生きることを支え、導いているからです。だから、それに必要なものが備わり、やって来るのです。おそらく「欲しい人」「嫉妬する人」はそれがその人の学びにはまだ必要なのです。

 何となく、日頃感じていたことがふっと腑に落ちたので書いてみました。
感謝していること
 何もなくても、一人でもよろこべる感覚が持て、今も満たされていることはひとえに阿弥陀仏のご加護だと有難く感謝します。 

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