今、この瞬間を精一杯生きていますか?

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zoom RSS 相手を怒らせないよう忍耐の上に成り立っている関係は止めて、繰り返さない

<<   作成日時 : 2017/01/28 12:01   >>

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 他人の顔色を窺がうことに慣れてしまっていると、どんな時も、目の前の人が気にいる自分でいないと愛されないと思い込むのかもしれません。期待される自分像を拵えて、その自分が理想としている自分を演じ続ける。
 
幼少の時のトラウマがそうさせているのかもしれません。親や祖父母や周りの人たちはありのまま・そのままの小さい人を赤ん坊の時は無条件に愛していますが、だんだん大きくなるにつれて、ああなって欲しい、こうなって欲しいと望みを持ち、それをうかつにも口に出すようになります。子どもたちは愛されたい存在ですから、それを聞くと、周りの大人たちが望んでいるような自分でいようと努めるようになります。どうすれば愛されるかを常に考え、そういう言動を取るようになります。

特に親がいつも完璧で卒がないように見えるような家庭で育つと、失敗することは許されない強迫観念に近いようなものを感じるようになり、家でも常に気を張って暮らすようになります。反対に親や祖父母や兄弟姉妹が頼りなく見える場合も、自分が何とかしなくてはと、気が抜けません。酸いも甘いも噛み分けて、ただ、どんな言動も受け止め泰然としてくれる存在に出合えないと小さい子どもの自分が満たされないまま大人になります。

大いなる存在、御仏などを敬う宗教が家庭にあれば、いいのですが、残念ながら日本にはそのようなものがほとんどなくなってしまっています。物心ついた時から、人間には私を救う力はないと達観し、家の仏壇に安置されている阿弥陀如来に救いを求めていました。その時から私の真理との邂逅の求道が始まりました。仏さまと心が通い合う身になることを人生の目的と定め、ほかのことは差し置いて、そのことだけを願い生きてきました。人生の折り返し地点くらいで、何の不思議か阿弥陀仏の御本願を賜ることが出来ました。

心は安心満足になりましたが、三次元の人間として生きていくのはとても辛いことでした。真理の世界と現実の世界とのギャップに悩み、周りにその境地を理解してもらえる人もなく、「幸せな孤独」を抱いて生きてまいりました。ここ数年は、同じように阿弥陀仏に救われた内外のいくらかの人たちと御仏の御名を称えつつ、お互いが地球のどこかで自分のことを思い出してくれていることを嬉しく感じながら生きています。たまには逢いにいって、よろこびを分かち合います。

一人でも多く、このような境地に出られるよう、阿弥陀さまのお話をしてまいります。目の前の人に気にいられるように、怒らせないように、我慢しながら言いたいことを慎重に選んで付き合う関係は不毛なので、いつかはきっとお終いにします。

感謝していること
 何も考えない言動をしても、全部わかっているからと受け止めてくれる人は、仏さまだけではありません。仏さまの御心を信受させていただいて、それを心の底からよろこんだいる人も成り得るのではないかと最近は感じます。

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