今、この瞬間を精一杯生きていますか?

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zoom RSS 信じられたときとは疑うことに疲れ果てて白旗を上げたとき

<<   作成日時 : 2017/01/12 22:57   >>

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 もちろん仏さまや人を簡単に信じられる人もいることはいます。
 でも、大部分が人生に困難を感じ、罪悪感や被害者意識なども合い混ぜで生きているので、信じることは簡単ではありません。疑いの余地のないものにまで疑わずにはいられないのが人間の悲しい性です。

 仏さまへの疑いはようやく晴れましたが、その後、人間に対するそれを克服する過程では、かなり厳しく困難な道のりが待っていました。人間、全員を疑わないというのではなく、ある人に対して、この人になら騙されても、地獄に堕ちても構わないと親鸞聖人が法然聖人に感じられたように信じることができたのです。そこには何の見返りもなく、ただもう疑うことに降参したといった状態です。

 そこまで至るにはたくさん傷つけられたように感じ、もう素直なありのままの私でいよう、抵抗するのは止めようとある時から感じられ、そのままの状況が続いています。仏さまと人で信じる対象は違いますが、信じ方は同じような経過をたどった気がします。ただし、仏さまは私を傷つけることは一度もなかったことが違っています。また、傷つけられたと感じたのも、私の心のブロックがそうさせていた、臆病で不器用なボーダーラインを飛び越えられない気弱さで、そうなってしまった感じです。今度こそ、信じようとして向って行った結果、いつもあえなく撃沈されて、ぼとぼ帰ってきた感覚です。それをもう止めようと決意できました。

 信じきるということはとても勇気のいることでした。信じる対象が絶対裏切らないか、裏切られても後悔しない自分でいる状態まで気持ちを持って行かなくてはならないからです。幼少の頃から、かなり辛く苦しいことを実際、経験し、見聞きしてきましたし、それをたくさん心の中にストックしていますが、それは一つ一つが私にとっては宝物だったのかもしれません。苦しく辛いことしか人間を成長させないことを信じるということの課程で私は知り得ました。
感謝していること
広く大きくあたたかい感覚を受け取ることが出来たことを嬉しく感じます。三次元の人間としての醍醐味をもって、遊び感覚で生きられることは私にとって、この上もないよろこびです。 

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