何の為に勉強するのか?

 今日、とあるテレビの番組で私立の小学校の取り組みと小学校の受験について取り上げていました。
 
 人に譲り合ったり、話し合ったり、協調性をみる試験を課す小学校が増えていると言っていました。
 そんなことを、子どもに要求することが果たして好い事なのか考えてしまいました。
 
 ただ単に、教師や大人が扱いやすい子どもが欲しいのではないかとさえ思えてしまいました。
 育ちが良く、従順な、決まった受け答えをするお坊ちゃん、お嬢さんがお好みなのでしょうか。
 私立が校風に合う子どもを集めることは別に構わないし、親子で納得して、高額の授業料を払ってでも、子どもを無菌状態に隔離するの問題ありません。
 
 でも、それが全てではないと思います。世の中、そんなお行儀がよい人ばかりが、いるわけではありません。公立の小学校では、授業中立ち歩く子、居眠りする子、何もしない子を殴る子、人のものを取る、隠す子等、いろいろな子がいますし。サバイバル出来ないとやっていけないのです。小学校高学年から高校までは更に問題が表面化しにくい、いじめが多発します。これは紛れも無い、現代日本の縮図なのです。
 
 私立に入れて、大学まで同じ所に行っても、卒業したら、一般社会に出て働かなければなりません。職場には同じ学閥の人ばかりではないし、パートの人、取引先、お客様といろいろなタイプの人と、接していかなければならないのです。女の子で卒業後、直ぐ結婚したとしても、近所付き合い、PTA、そして、年老いて入る老人ホームまでもいじめはあるのです。温室育ちのお子様達はどこかで、過酷な現実と対峙するのでしょうね。でも、私は、人になれるのは、早い時期の方が、いいのではないかと思います。その方が傷も小さくて済むのではないでしょうか?

 もし、本当の意味で、優れた子どもをとりたかったら、方法は何でもいいので、過酷な状況で、サバイバル出来るか、どうかを試せばいいのではないでしょうか?力で抑えてもいいし皆を、無視して我が道をいくのもいい。笑いを取るのもいい。その場から逃げない、自殺しない根性を持ち合わせていたら。どんなやり方でもいいのです。生き抜いていけたら。そこまで、短時間に判断できないでしょうけれど。それにそこまで子どもを見抜ける先生も居ない。小学校受験はお互いの妥協の産物でしょう。余談ですが、お豆がつまめることとか、手先が器用なことより優しい子の方がいいです。だいたい親の言うことを聞いて、お受験塾に通う、大人の前で従順な子どもは、知恵が回って、自分より弱いと思った人に対しては、意地悪だったりすることが多いです。私立にもいじめがあるでしょ?はけ口はいつも弱い人ですから。

前にも書いたのですが、UWCの様なところが日本にもあったらいいのではないかと思います。人種も言語も価値観も違う子どもが集まってきて、どう折り合っていくか?こういう訓練を若い頃出来たら、幸せだと私は思います。それこそ。そんな所の卒業生に世界の日本の未来を託したいです。

 それから、私立の某小学校ですが、別に今、何も調べなくても、年齢が進み、必要に迫られたら、どんなことをしても、色々調べるようになります。特に自分が興味を持ったものに熱中します。そのときまで待ってもいいでしょう?知識を増やすより、もっと遊ばせておいたらいいと思いました。何だか中途半端な気がします。
 低学年なら、体育に武道取り入れ、型を身体に教え込むとか、ちまちま計算させていないで、そろばん1級目指すとか、それで、暗算で何桁もの掛け割り見取りをさせるとか、英検2級位の実力をつけさせるとか、徹底したらいいのだろうけど、指導要領が邪魔してできないんでしょうね。だったら、公立入れて、放課後に習い事の梯子させたほうが効率的じゃないかと正直思いました。
 
 それから、辞書やコンピューターには他人の用意した答えしかないけれど、自分で遊びの中で見つけたことの方が役に立つのではないでしょうか。正しいか否かは関係なく、自分で考えて、観察したり、見たり、聞いたりする実体験は重要です。すぐ、辞書や事典、パソコンに頼るって、それが答えだと思う癖がついてしまう弊害もあるかもしれないと少し怖かったです。特に人間関係には答えはありませんし。仲良く出来たら、感謝しあえたら、花丸です。そこまでどうやってもっていけるかは、場数を踏んで失敗するしかありません。

 私立はお金を貰っているから、保護者に特色を示さないといけないのでしょうけど、もう少し、子どもにとって何が必要で、重要か考えた方がいいと思います。そんなことを教師に要求しても無理でしょうけど。親が学校任せにしないで、子どもに身につけさせるのが本来の姿ですから。長くなったのでまた書きます。
 
 

この記事へのコメント

2013年07月28日 11:00
私は弱虫なんですね。

その人から、ちょっとでも怒りが感じられたら、距離をおきます。だって私は弱虫だからです。

弱虫には、弱虫の生き方があります。

私は、ただ自分の生き方で、生きます。

強い人は、強い人の生き方はああいう方法なんだ。っと思ってみます。私には真似出来ない役に立つこともされてます。

私はよわい人だから、よわい人で、出来ることをするだけです。

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