誰とでもただの人として向き合う

 人と関わる時、お互いが、同じ憂いを持つ、痛みを抱える人間なのだという前提で、向き合う事をついつい忘れてしまいがちです。
 
 自分の方が長く生きている、学歴が高い、その分野においてたくさん知っている、というような色々な要素で、人を軽視してしまう事があるかもしれません。
 私は、子ども達と接する時、気持ちは子どもに帰ることにしています。
 いっしょに、面白い事を見つけて、よろこびます、笑い合います。
 
 反対に1歳でも、お兄さん、お姉さんなら、教えてもらおうと謙虚な気持ちを忘れないようにします。
 若気の至りで、今まで、自分の考えを、顔中口にして、討論になってしまった事を、勿体無なかったと思っています。
 生きてきた年齢に比例して、年配の方々が、私にはまだ分からない事を、たくさん知っていらっしゃる事は、仕事やさまざまなお付き合いを通して知りました。
 
 「ちょっと困っています。私はこんな風に思うのですが、どうでしょうか?足りないところを教えて下さい」
と自分が間違っているかもしれないという、謙虚な気持ちを持って、お尋ねすると、それはそれは、相手の方も、更に謙虚さに輪をかけて、教えて下さいます。
 「私の考えが役に立つか分からないけど、今までの経験からして~」というように優しく応えて下さいます。

 どちらが正しいか間違いかというより、お互いの価値観を知る、その上で考えをすり合せる、歩み寄る感じです。
 謙虚にお尋ねすると、新しい発見がいつもあります。
 相手の方も、昔はそういうときもあったとか、今の人はそう思うのかと、率直な感想を下さいます。
 これが、人と人のつながりなのではないでしょうか?

 あなたは間違っていると頭から決め付け、私の意見を尊重しなさいと年下の人や、世間知らずと思われる人に言われても、なかなか年配の人は受け入れられません。
 結局、謙虚になれないのは、自分に対して自信がないからだと分かりました。
 どんな聞き方をしても、心は通じ合えます。
 どうしても、対話の目的は心が通じ合うことだと言う事を忘れてしまいがちです。
 
 尊敬する気持ちを持っても、軽んじても相手には、確実に伝わります。
 相手も考えなしではないので、自分の考えが間違っていたら、認めます。
 ただ、いくら正論をかざして来ても、頭ごなしに、喧嘩腰に挑んでくる相手とは、話をする気にもなれないだけです。

 心を開いて話をするというのは、どちらが上でも下でもないけれども、特に年配の人には尊敬の念を持って、教えて頂くと言うスタンスをいつも忘れてはいけないと、私は心がけるようにしています。
 反対に年下の人や子どもには、何でも言ってもらえるように、昔に返って、「そうだね、分かるよ。昔、私もそんなことがあったよ」と共感しています。
 対話の相手は、ゲームの戦ってやっつける対象ではなく、目的は勝ち負けではありません。
 いかに温かい心の交流が出来るかどうか、そんな体験を積み重ねていくのが、人生の醍醐味ではないでしょうか。

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