度量を拡げつつ、細部を押えながら生きる

 白か黒、正誤、真偽このように二分化でしか考えられない人が多くてとても生き難いです。
 究極的な「きづき」においては、私はどんなことがあっても、絶対妥協はしませんが、ほかは遊びです。
 命を賭けるようなことは一つもありません。
 
 「きづき」にしても、結局今生で出来るだけ早くに、「きづき」を賜れたらいいだけです。
 途中どのような経過を辿ろうとも、「きづき」の真髄そのものを疑いなく信じられたら、人それぞれの過程があってしかるべきです。

 自分の子どものように6歳でその身になれたら、その先の人生は、自由自在で、どんなことをして過ごそうとあそび、おまけです。
 それでも、「きづき」を賜ったご恩を返したいと、子どもは医者として病を治しながら世界中に「きづき」を伝えていく決心をしています。
 だから、その志をサポートしてやっています。
 ほかの子どもたちとはちょっと異質なことをしようとしているのですから、それなりの努力も要るし、一般の人には理解を超えることもあるでしょうが、親子で突き進んでいくしかありません。
 そんな道は誰も行ったことがないので、日本を離れて出来るのなら、どこにでも行くつもりです。
 
 ただ一つ、子どもが「きづき」を伝える医者として活躍するまで、私が生きていられるかどうか、時間との戦いです。
 自分自身の、フィールドワークや研究をしながら、子どもに寄り添って支えられるかそこが難しいです。 
 小学校高学年では、自分で計画を立てて、高校の勉強まで進んでいるはずでしたが、ケアレスミスや詰めの甘さで、自分の学年の成績すらA評価に相当するものが取れずにいる始末です。
 同様にそれが、実力テストや英検でも出てきて、合格点に届きません。
 先に進んでも、取りこぼしや、わからないところをそのままにしていたのでは、小さな土台にものをのせていっているようなことなので、、崩れるのは当たり前です。

 自分自身は、幾たびも頭を打つ経験をして、何度も確認したり、もう一度初めからやり直したりもしてきましたが、子どもが面倒な、辛く地味な作業をするにはどうすればいいかを考えています。
 「困る」「恥ずかしい」経験をしないと、また背水の陣のようなやむにやまれぬ状況に追い込まれないと、無理なのでしょうか。
 
 残り少ない人生をいかに、効率よく、明るく朗らかに、そして、周りの方々が幸せに暮らせるようなお手伝いをすると決めている私ですが、わが子のことでは持て余しています。
 親では甘えが出るので、どなたかに任せるのが最適だと思うのですが、今のところ適任者がいません。
 とても、歯がゆいです。
 たまたま、担任の先生がとても理解のある、社会経験もお持ちの素晴らしい女性なので、学校でのことは全てお任せ出来て、有難く感謝していますが。

 度量を拡げつつ、細かいことにも気を配り、倫理観を常に確認して、生きている途中ですが、あそび、おまけといっても、結構努力が要ります、人間は。
 身体という器を持つ限界がある限り、その中ですることなので、仕方のないことなのでしょうか。

 よかったこと
  自分にも子どもにも次のことを徹底していくことに決めました。
  わからないことは繰り返してメモを取りながら、何度もよく読む
  引っ掛かりを、引っ掛かりとしてどこかに残しておく。
  メモ書きを自分で調べてみる
  それでもわからなくて、どなたか教えて下さるかたがあれば、メモ書きの内容をわかるまで聞く。
  わからないうちは「わかった」とは決して言わない。
 
 

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