ふざけて椅子を引いたら、友達が頭を打って死んじゃった

 取り返しがつかない、そんなつもりじゃなかったのに・・・・・・
 こんなにハッキリした因果関係で自分のしたことが、即、結果として現れることは珍しいかもしれません。
 それでも、実際あったと、体験した人から聞きました。
 
 自分のした何気ない悪戯、ふざけ、不注意、冗談などで、人が命を落とす。
 自分が足を踏み外して、山から転げ落ちて死ぬのなら、自己責任でしょう。
 あると思っていた椅子がなくて、転倒して後頭部を打って死ぬなんて、友達は何と不本意でしょう。
 そしてその子の家族も一生つらい思いをしないとなりません。

 人は些細なことで「あっけなく」死んでいきます。
 ちょんと突いたら死んでしまうくらいに慎重に相手に対応して丁度いい位です。
 しかしながら、その様な覚悟で生きている人は、周りを見渡しても見つかりません。
 
 小学校低学年の時、私は当てられて必死で発言している隣の人の椅子をそっと戻したことがあります。
 夢中になっていて、気づかなかった彼は、私の思惑通り空気椅子に腰掛けようとして、転んでしまいました。
 どっと笑いが起こって、彼は恥ずかしそうに頭を掻いていました。
 
 「ごめんね」と形だけ謝りましたが、後で先生に呼ばれました。
 「どんな気持ちでしたかはわかりませんが、隣の人に怪我がなくて幸いです。」
 「ただ、考えて欲しいのは、これから言うことです。よく聞いてください」
 
 「日頃、彼を自分と同じくらい尊重して大切にする気持ちを以て接していましたか?よくよく思い返してください」
 「ちょっとでも、軽く見るようなことがなかったですか?」
 「人勝とうとか、下に見るとかいうことで、自分が優位に立つことをする人を先生は悲しく思います」
 「能力や、賢さ、機転、体力など表面的なことはそれぞれ違いますが、本質は切ったら血が出る同じ人間です」
 「家畜の体は毛や皮や肉などを人間のために提供できますが、人間のそれは役に立たず、火葬場で焼かれるだけです。」
 「それなら、何のために人間は生きているのか考えちゃいますよね?」
 「知識や理性的なことを学校で学んでいると思っているでしょうが、それは教育のホンの一部です」
 「どうしたら、人に優しくなれるか、協力して楽しい空気の中で過ごせるかなどの気持ちを友達や先生と学ぶのが、学校の中心的役目だと思って、私はあなたたちと過ごしています」
 「勉強だけなら、家で本を読んだり、家庭教師を雇えばいいです」
 「みんなで学校に集まって過ごすのは、大人になった時、自分たちや後から生まれる人たちが幸せでいられるような仕組みを学んだり、さらによいものを考えたりする訓練をしているのではないですか?」
 「あなたには、これからただ人に勝ったり、人をからかって頭のいい人・面白い人だと思われたり、人をないがしろにして自分のお金稼ぐような大人になって欲しくありません」
 「どうか、今日のことを心に落とし込んで、よくよく考えてください。時々何かの折に思い出して、真直ぐに優しい人でいてください。常に目の前の人が明るく笑っていられるような言動を心がけて生きていってください」
 「あなたはきっとそんな風に生きていける人だと、先生は知っています」

 激しく叱られる訳でもなく、淡々と諭すように、管理職に就かれなかった50代半ばの女の先生は、このようなことを言われました。
 その時は子どもだったので、その内容はよく分かりませんでしたが、不思議と昨日のことのように覚えています。
 そして、先生が小学生の私を一人前の人間として、対等に話してくださったことが嬉しくて、こんなくだらないことはもう二度とするまいと決心しました。
 
 よかったこと
  子どもの頃のことで、心で温めていたことが文章にかけました。
 

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