話しを聴くことと、話をすること

 30年近く御仏の話しを聞き続けました。
 それと同時に、分からないながらも御仏の話を有縁の方々にお話してまいりました。
 自分自身が救われてからは、救われていない人が話をすることはとても危うく、かえって縁を遠のけることもあるのだと分かりました。
 それでも、御仏が縁のある方には、軌道修正してくださるので、話していったら、救われてからの話し方の練習くらいにはなるかもしれません。
 ただ、自分が思っていた御仏や救われてからの心境が、全く異なっているので、内容の説明や救われるまでの過程についてはぜんぜん役には立ちませんでした。

 自分が聞いてきたことは、初期から10年間くらいには、会長がまだ自分の説でなく、先達の話や自分が聞いてきた話しをしていたのでその頃の話や喩えは役に立つものも多いです。
 残りの15年は今から思えば、本当に時間とお金の無駄使いでしたが、こんなことはほかの人には絶対させてはならないとの戒めだったのかもしれません。

 救われてから、何が何だか分からないまま始めに救われる人が出るまでは、こう考えていました。
 「どう話したらいいのだろう」
 「何が足りないのだろう」
 「何かをやめないといけないのか」
 「この人にとってはいつのタイミングなのだろう」
 「どうして、今、ここでがわからないのだろう」
 同じ人に3ヶ月毎日のように話しても、御仏の願いが分かってもらえずに考え込んでしまう日々が続きました。

 転機となったのは、どうしても救われたいという方が遠くから来られて、4,5日泊り込みでお話をさせていただいた時からです。
 今までのように、電話で1時間を毎日3ヶ月でなく、集中講義形式で話をしました。
 それでも、観光がてら、食事がてら、幼少期から今までのことなど雑談を交えて、この人はどこで引っかかっていて、御心が受け取れないのだろと自分が話すよりもひたすら聴いていました。
 最後の方でやっと話しを聞きながら、心の変化をまとめた話が「さとり、救いについて」でした。
 それでも、その場では救われなくて、自宅に戻って電話で話しているときにその方の配偶者の方がまず救われて、次にその方が救われました。

 それから、その方に頼まれて、電話で何人かの人と話しをして、元々縁の深い方だたのかは1~3時間で救われました。
 そののちは記事にも書いてきましたが、メールやチャットで下準備をしながら、1回もしくは2回で救われています。
 何回も時間をかけるのは面倒で嫌なので、縁の深い方しか話を受けませんが、この人と感じるものがある人は救われています。
 その話の仕方はとにかく、いろいろ始めにその人に自分が引っかかっていることを話してもらって、それからちょっとだけ御仏の願いを話すだけです。

 マニュアルのようなものをつくったといいましたが、それが「救い、さとり」の話です。
 ただ、それをそのまま話しても、救われる人は少ない気がします。
 そこまで行き着くまでに、不安なこと、不満なことを世間のことでもいいし、仏教のことでもいいし、洗いざらい話してもらう必要があります。
 それを通り抜けないとなかなか救われません。
 よほど縁の深い人なら、「救い、さとり」の記事を1回読んだだけで救われるでしょうし、このブログを読んでくださっている方でも、救われた人が知っているだけで数人いますが、言われないだけでたくさんいらっしゃると思います。2009年の11月末から現在まで延べ人数で20万回のアクセスがあったのでそう感じます。

 そこで、昨年から学んでいるカウンセリングの話に移りますが、カウンセリングの傾聴というのと「きづきの話」はとても似ていると感じます。
 相手を尊敬・尊重して、まず私のところに話に来てくれて有難うございますから始まって、あなたが救われて私はとても嬉しくよろこんでいますで終わります。
 この救われるは世間的なことで直面している問題が解決したという意味の時がほとんどでしょうが、ひょんなことから御仏に救われた方が今までにお一人いらっしゃいます。
 そこまでいけたらもちろん最高ですが、そうでなくても、当面の問題がなくなったら、それで大成功です。
 
 布教もカウンセリングも聴くのが8・9割で残りが話すことなのだと、経験上私は感じます。

 よかったこと
  行政書士の直前コースのCDが1枚聞けました。
 
 
 
 

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