親御さんの真の願い(お話し75)

たかさま かずさま みつさま こんばんは
かずちゃん、たかちゃん みつが救われるちょっと前にした沙汰のチャットがあるので、それを読んでみてください。

ちえ: ちえです。今日お話している2人の方が阿弥陀仏の本願に救われました。 
その救われた友達が関東から新幹線で来ます。
みつ: 本当に不思議なことが現実にあるんだね。都合が合えばぜひ会って話をしてみたいね。
ちえ: みつとと同じ様に学生を卒業して10年くらい縁が無かった方で、彼女のお連れ合いはほんの数回のご縁で、それも隣で聞いてたような感じなのに救われて、びっくりしてる。   
みつも、今救われるから。
ちえ: 阿弥陀仏の本願真だからね。みつ、 阿弥陀仏に向かった時どんな心が出てくるかな?
みつ:そうだね、えーと
ちえ: 今の正直な気持を何でもいいから答えてみて。
みつ: こころに阿弥陀仏を念ずることはあるけど ぼんやりしたした感じで・・・・・・
ちえ: 阿弥陀仏やそのお力を疑っているという感じかな?
みつ: そのぼんやりが、疑いかどうかわからないんだけれど。
本願の生起本末を聞くと仰られましたが、僕にはぼんやりとしてか、阿弥陀仏のことは思えません。
ちえ: 心配しなくてもいいです。では聞き方を変えてみるね
みつ: はい
ちえ: 救われない原因はなんですか?六道を回る原因は何だと思う?間違ってもいいです
みつ: 欲望にまけて、聞こうとすることをしなかったから
ちえ: そうです 煩悩でつくる罪です。もっと突き詰めていうと本願を疑っているからです。
煩悩に溺れて、本願を聞こうとしない、疑っていて、それも何とも思わない、みつ一人を救うために建てられた本願です
それが仏願の初めです
みつ: はい
ちえ: みつが苦しんでいるのを助けたいと阿弥陀仏が本願を建てられました
みつ一人のために
みつ: 僕、一人のために本願が立てられているのだとは 聞いているけど、どうしても、御伽噺のようにしか思えない。 
ちえ: 思えないんだよね。じゃあ、また六道輪廻を繰り返したい?みつも それなりに苦しい事もあったでしょう?
みつ: そう。年を重ねるに辛いことがありました。
ちえ: もう迷いは終わりにしたくない?
みつ: 確かに迷いを終わりにしたい
ちえ:阿弥陀仏が急ぎなさいと陰に陽に教えてくださっているのです。
ではまた角度を変えて聞きますね。
みつ: はい
ちえ: 今までやってきたことで、阿弥陀仏の本願を受け取れる、要因がみつの中にありますか?
みつ: 今までやってきたとは大学時代のこと?
ちえ: べつの言葉で言えば、疑いを晴らすのに役立つ何かです 学生を含めて今まで
みつ: 最近では仏教の本やブログを見るぐらいかな
ちえ: それが何かの役に立つ?
みつ: 役に立つためではなく、どうしたら・・・という模索で・・・・・・。
ちえ: 阿弥陀仏の本願を聞くとは御心を受け取る事です。御心が分らないのでは?
みつ: はい、ハッキリいってわからない
ちえ: 子どもさんたちと遠く離れて暮らしていて、心配ではないかな?
みつ: 元気で暮らしているか心配。 特に下の子が下宿し始めた3月4月頃は、何を食べているのかとか、都会の暮らしで困ったことがないかと
ちえ:そうでしょ。 苦しい事があったら、代わってやりたいと思いませんか?反対に 慶ぶ顔も見たくないですか?
みつ: それは勿論
ちえ: いつも、どこへ行っても心がかかるでしょ?
みつ: はい
ちえ: 阿弥陀仏は無始よりみつ一人に、そのような御心を掛けてくださっています
智慧もあり、その憶いが続くのです。みつのみに対して。 これが阿弥陀仏の御心を少し表す例です。
みつ: はい、少しわかるような気がします。
ちえ: よかった。 どうして、また求めようと思ったの? きっかけは?
みつ: それは、やっぱりおとうさんがガンで逝ってしまったこと
ちえ: 私もそれはそれは悲しかった
みつ: それをきっかけに、わが身の後生とはどうなるのだろうと 思うようになり、また仏教を求めなければならないと・・・・・・。
ちえ: 死後が気になったのかな?
みつ: はい
ちえ: 今は死んだらどうなると思う?
みつ: 不安いっぱい
ちえ: 先が見えないってこと?
みつ: しかも、それもぼんやりしていて・・・・・・。
ちえ: ボンヤリしたものがはっきりしたい?
みつ:はい

ちえ: ところで、これは大切なことなんだけど、
みつは阿弥陀仏と対峙した事があるのかな?
みつ:恥ずかし限りだけれど、そういわれると一度もない気がする。
ちえ: 阿弥陀仏の本願に救われようとしているのですから、阿弥陀仏に向かわなければ、御仏の願いは受け取れませんよ。 今まで何に向かっていたのですか? 何で助かろうとしていたのですか?
やってきた善ですか?
みつ: とにかく、どのようにもとめたらと模索してて。
確かに阿弥陀仏にはまったく向かっていませんでした
ちえ: 方向が違うと助かりません
みつ: はい
ちえ:蓮如上人が 弥陀たのめといわれているのを どういうように聞いていましたか?
みつ: 雑行雑修自力のこころ振り捨てて、一心に弥陀を頼め
ちえ: でも阿弥陀仏に向かっていなかったのですよね
みつ: はい
ちえ: 何故?
みつ: 自分でもわからないけど、 とにかくどうしたら、どうしたらばっかりで・・・・・・。
ちえ: 会長が教えてこなかったから?
みつ: いいえ、会でも言っていたと思います。とにかく30年以上仏教から離れてしいたので、そこらへんはよく分からないのですが。
ちえ: 教えてくれる人がいなかったからでしょう。 いまだに先輩も同期も後輩も信心決定している人がいないでしょ?
迷った人ばかりでしょ? いかがでしょうか?
みつ: はい、そうだと思います
ちえ: 大衆説法には限界があります。 対機説法でないと細かいケアが出来ません。: 信心の沙汰は信後の人から受けないと難しいです
それから メールで書いていらした、同級生の講師の人達可哀想ではありませんか? 騙された事もまだ気付いていませんよ
みつ: そうだね。友人や先輩がまだ会に迷っていることが残念で・・・・・・。
ちえ: みつは良かったね、気がついて
みつ: はい聞いてもいいかな?
ちえ: はい
みつ: 阿弥陀仏に向かうとは具体的にはどのようなことをすればよいのでしょう?
ちえ: 本願の生起本末を聞くことです。 本願のお謂れを聞くこと。阿弥陀仏の 御心を知る事です。 取り敢えず、梯さん御法話のcdを持っていますので、送りましょうか?
みつ: はい、お願いします
ちえ: いつか、会って話ができるかな?
みつ: はい
ちえ:チャットだと みつの表情が見えないので
みつ:僕もお姉ちゃんと会ってはなしたいな。
ちえ: いつならいいですか?
みつ:今週の日曜日は空いてるかな?
ちえ: じゃ、うちに来られる。夫が仕事でいないみたいだし。
みつ: なんだかどきどきするな。
ちえ: お役に立てるよう精一杯お話させていただきます
みつ: この1週間で2人の方が本願信受されました。求めた 時間の多少が問題でなはいのです。阿弥陀仏を信じて疑わなかったらOKですから
みつ: はい、聞かせていただきます。
ちえ:断っておくけど、 土蔵秘事でもないし、機責めもしません。それにコツもありません
私に会ったからといって救われるかどうかは分かりません。何も変わらないかもしれません。少なくとも見かけは変わらないでしょう。 あくまでみつとと阿弥陀仏の間の事です
そこを間違えないように
みつ: はい、

ちえ:会えてよかったね
みつ: 僕も嬉しかった。
ちえ:ところで、あれから 阿弥陀仏に向かえていますか
みつ: はい、 ご文章をよませていただいているところです
ちえ: 御文章は分りますか?
みつ: まだ、よみはじめたばかりなので。 しかし、現在版で読みやすく感じます
ちえ:阿弥陀仏の 御心を感じてください。阿弥陀仏に向かったとき、みつはどういう心が出てくるかな?
みつ: こんなに阿弥陀仏のことを思いはじめたのはきっと、近づいているのではないだろうかとか、またねこんな思いが阿弥陀仏を泣かせているのだろうか。
いままでこれほど阿弥陀仏のことを思うようなことはなかったのに
ちえ: そうですね、思ったことがなかったと、みつが思ったのは一歩前進です。きっと 阿弥陀仏も喜んでくださっています。 ただ、疑いがまだ晴れませんね。 もっと具体的に気もちを打ち出してみて。
みつ: どうも、うつろとしています。
ちえ: では、ご自分の言葉で、打ち出したことを明日か明後日でもいつでもいいので、紙か何かにかいてそれをメールしてみて。
みつ: メールを書くまではよかったのですが、どうも今頃酔いがまって、ごめんなさい。
ちえ 大丈夫ですよ。 そんな時もあるから気にしないで
みつ: ありがとう
ちえ: いつでも阿弥陀仏はみつを見ていらっしゃいます。 幸せを念じてくださっています。私も同じです。 色々あるでしょうが、阿弥陀様が、いつもみつを護って下さいます。 今日もきっとお仕事で何かいい事あります。みつにありとあらゆる幸せが雪崩のようにやってきますよう念じています

ちえ: メール有難う。 阿弥陀仏のことをみつは自分が思っていると考えているだろうけど、実は阿弥陀仏が思わせてくださっているのです。本来なら煩悩のみでしか生きていけません
みつ: 思うとは自分の頭で思い込んでいる としか思えないのですが、それでよいのでしょうか
ちえ: 阿弥陀仏が起こしてくださるこころですよ。 阿弥陀仏の存在など今は信じられないでしょ? 普通ならね。 深いご縁があったのですよ。それをよろこばないといけません。
みつ: 最近は今日何をどのように思ったかを書いていないのです。
どちらかというとCDを聞いています。
ちえ: 今阿弥陀仏に向かってどんな心が出てきますか? 何でもいいですよ。今 思ったことを
みつ: 今?
ちえ: 今です。
みつ: やっぱり
ちえ: やっぱり?
みつ: 頭で考えようとしています。自分の心をみつめようと。
ちえ: 心に浮かんだことはありませんか?
みつ: 心の中は悲しいのかな。空っぽで何もありません
ちえ: 何が悲しいのかな? 救われていないこと?
みつ: 阿弥陀仏にむかわなければならないのに、何も向かってないのを自分が感じるので、悲しいのです。
ちえ:「 ならないことはないんです」「 義務ではないんです」
みつ: 義務?
ちえ:救われたいと思ったところに出てくる心はありませんか?
みつ: もちろんあります。人間について
ちえ: どういう心ですか? 阿弥陀仏の本願についてですか?
みつ: 今でもこんな泥まみれの、泥凡夫なのに救われたら、もっとわが身を見せていただけるのかと。
ちえ:救われても、煩悩は変わりません。増えも減りもしません。欲の深い人が全く欲がなくなるとか、怒りっぽかった人が急に怒らなくなったとかはありません。普通にご飯も食べて睡眠もとります。
ちえ: 煩悩は変わりませんが、ただ懺悔の気持が出てくるのは不思議です。
みつ: 今、自分にあるのは懺悔ではありません
ちえ: どんな心ですか?
みつ: こんな欲にまみれた人間でも救われるのだろうかと思う心です
ちえ: それなら今救われたらいいです。 なぜ今救われようとしないのですか? 先に延ばすのですか?
みつ: 今、今、今と頭で思うとしていますが
ちえ: 何か邪魔するものがありますか?今と思えないさわりになる何かが。 何を疑っていますか? こんな欲まみれの自分が救われるかですか?
みつ: はい、 たぶん。 疑いそのものがまだみえてきません
ちえ: 弥陀の本願は広く深いです。それなのに救うお力がないと疑っています。これは本願に底を敷いている心です
みつ: いつも思うのですが
ちえ: はい
みつ: 思おう、思おうとしても
ちえ: 何をですか
みつ: 頭の中では一生懸命なのに、しかし、こころは何も響かないのです。 あせらないのです
ちえ そうですか。
みつ: 救いを求めようとしないのです。それが悔しく、悲しいのです
ちえ: そこですよ。 いつになったら、阿弥陀仏に向かえるか焦りますよね。
みつ: はい。お姉ちゃんから本気で阿弥陀さまのことを聞こうと覚悟した時から、 ずっと思っているけど、心が何も動いてない・・・・・・。
ちえ: 動きませんよ。 自分の力では。 求める心も阿弥陀仏が下さいます。
みつ: しかし・・・・・・。
ちえ: ただ、ひたすら、煩悩まみれの迷った人間をお終いにしたい、六道を離れたい、仏になりたいと願ってください。
みつ: 願うという心が沸いてこないのです。頭だけが 一生懸命で。
ちえ: ではいつまでも永遠に迷ったままでいいですか?
みつ: 終わりにしたくないですか? 今、ここで・・・・・・。
みつ: 頭では、今、そのままのなだ、思いお救いを 願っています。 しかし、自分の心を見つめたときなにも響いてきません。
ちえ:そんなこころを阿弥陀仏が見抜いていらっしゃらないとも、思っているのですか?
みつ: この状態でままでよいのでしょうか
ちえ:みつ、そのままなんです
みつ: そのまんまは・・・・・・。今もわかっています
ちえ: 何かなってこいとは仰らないです
みつ: それも、わかっています
ちえ: では、何か間に合うものがありますか?
みつ: 何も間に合うものがないのだということもわかっています
ちえ: では、一息切れたらどうなりますか? 何も出来ないみつはどうなるのですか?
みつ: 今死んだら、はっきりしないこの状態では
ちえ: では?
みつ: 六道輪廻の世界にまた戻ります。
ちえ: それでいいのですか?
みつ: 何となくはっきりさせていただきたい
ちえ 行く先がハッキリしないから不安ではないですか?ハッキリさせて頂きたいと思ったときに出てくる心は何ですか? どんなことでもいいです。
みつ: 何とも、動こうとしないぼんやりした心です。焦らない心です
ちえ: その心もそのまま、全部救うと言う本願です。 どうにもならないまま救って下さいます。 なぜなら、それが人間の本性で、実相だから
みつ: しかし、 なぜか、 どうしたら、 どうしたら、 どうしたら、という気持ちがあります。
ちえ: 全部疑いです。 阿弥陀仏を苦しめる心です。 なくそう、取ろうとしなくてもいいのです。 そのまま来いと仰ってくださっています。 どうにかなれて助かるなら今ではありません。 そのままこいの仰せに「ハイ」と従ったらいいだけです。
みつ: このままこいの仰せが、わたしにはまったく届きません
ちえ: 阿弥陀仏はずっと呼んで下さっていますが、聞く耳がないのです。 自分で蓋をしているので、 それにきがつくかどうかです。ほかならぬ 自分自身が阿弥陀仏を遠ざけていることを。 逃げているのです何だかんだといっても、 娑婆が好きなんです。 御心が分らないから、価値のないものに心が行ってしまう。だけどそんなみつが阿弥陀仏の正客ですよ。みつ一人の本願です
みつ: 頭ではわかっていても心が 変わらないままでいいのです。 心がまったくうごきません。
ちえ: 動いてくれません。 自分の力、自力では
みつ: こんな状態でよいのでしょうか
ちえ: そんなみつのための本願なんです。 良いのでしょうかの「か?」 がダメです。 疑いです。このままで良いのです。でも救われたいは「たい」ですから、救われていません
みつ: でもすくわれるのでは救われたいではないのでしょうか
ちえ: 救われたいではなく、「今救われます」もしくは「救われました」「救われています」です。 そのまま信じたらいいだけです。
みつ: 今の僕に何か出来るのですか? 今?このままこいの呼び声が届きません
ちえ: 声は聞こえません。 感じるのです。みつをずっと助けようとしてくださっている阿弥陀様の御心を。 今もみつに掛かりっきりなんですよ。
ではいったい、みつに何か出来るんですか? 救われるのにできる何かが一つでも残っていますか? 隠し玉がありますか?
みつ: もはや何一つもありません
ちえ: ではいつ救われるのですか? まだ何か出てくるのですか? いつかふっと湧いてくるのでしょうか?
みつ: 全く何もできません。いつまでたとうと変わりません。
ちえ: それでは金輪際救われないではありませんか!
みつ: 自分の心を観れば観るほどいやになります。 悲しくなります
ちえ: 自分の心は見なくてよろしい。 阿弥陀様だけみたらいい。 自分自分と自分ばかり、 何ともならない自力に頼って、なぜ阿弥陀様が先に来ないのですか? このままおいでと仰るのに。 自力はいつまで行っても自力です。 そんなもの集めても、積んでも何にもなりません。全てが無駄です。
みつ: 頭ではよくわかりますが
ちえ: では、cdを聞きながらでも、日常でも、心の中で、阿弥陀仏を念じて、念仏を称えてみて下さい、どんな気持が出てきたか、また教えて下さい。
みつ: はい。 ありがとうございます。

ちえ:偽物の阿弥陀さまは死にましたか?もしそれが消えていたら今、この場で救われますよ。
みつ: 自分で今やっていることでよいのでしょうか?全てが自力なのでしょうが
ちえ: か?が?がだめです。安楽椅子に腰掛けてはだめです。 壊していただかないと
みつ: 壊すというのがわかりません。
ちえ: 放すでもいいです。ただ、それも阿弥陀仏がしてくださるのです。 自分では出来ません。 今頼っているのは偽の阿弥陀様ですから、それを捨てさせていただきましょう
みつ: 自力の阿弥陀仏であるのはわかります。 それを放す、壊すというのはどのような状態なのかがわからないのです
ちえ: 自分が何とかすることをやめさせていただくことです
みつ: 何も思わないとか、何もしない、でもない。
ちえ:そうです。そのままいらっしゃいとの呼びかけに「ハイ」です。 私はみつに今救われて欲しいです。今ね。直接会わなくても
頼っている仏が形のあるものなら嘘です。それは有限で、 真実ではないです。 真実は形もにおいもなく、 全てであり、空です
みつ: 私は仏様と喜び合えると思い、形を想像していました。方便では形で現れてくださいます。 形がなかったから、不可称、不可説、不可思議なのです。 でも有難い気持ちを受け取るのです。 御心を感じるのです
みつ: 南無阿弥陀仏のご名号のお徳を何度も何度きかせていただいているのですが、 わかったようで、わかってないようです
ちえ: 素直にそのままうけとったらいいのです「 ハイ」と「今」救いです。時間はかかりません。 無始から迷い続けるわたしのための本願は出来上がっているのですから。ただそのまま受け取ったらいいのです。 疑いなく。そっくりそのままを。うけとったら、ただ、だったときがつくだけです。信心を賜るのは、ただの通過点です。 救われている人も、いない人も全て、本願の網の中、もう捕まってしまっています。 それに気が付くかどうかです。 学問も何もいりません。 信じられるか否かです。きっと、 今、救われていると、きがつきます。そのとき自力は一つも間に合いません。 何も、 全て無駄です
みつ: きがつくというのは自力ではないでしょうか
ちえ: 気が付かせていただくのです。そこが 不思議なところです。 信じる心もさえも頂くのです。 御文章の善導の六字釈にあるでしょう? 私たちの行いは何一つ間に合いませんみつ: 頭ではわかっているのですが
ちえ: まだ偽者にすがっているか、自分の善が間に合うと思っているのでしょう。 でも、阿弥陀仏はその心を捨てよとは言われません。 そのままと言われます。 阿弥陀仏が捨てさせて下さるのです。何もかもをもったままそのままのみつを阿弥陀仏がお救い下さいます
ちえ:疑いも含めた 全ての悪が分かってから、それを捨てないと助からないのなら、今救われることではなくなってしまいます阿弥陀仏の救いは今の救いです
みつ: 「そのままの救い」といわれると安心する心が不安なのです
ちえ: 一切不安は無くなります
みつ: 心の底から「そのうち」という、今と思えない気持ちが湧き出てきます。
ちえ: そのうちは死ぬまでそのうちです
死んでもまた・・・・・
いつまでたっても: ・・・・・
何度生まれ変わっても、永遠に迷いから抜け出ることはできません。
もう堕ち切るところまで堕ちたら、一切何も出来ないと知らされたら、不安は無くなります。 まだ堕ちるスペースがある、何か出来ると思う心があると不安は消えません。 もう自分の力では何ともならないとハッキリしたら、不安は無くなります
みつ、 今、この場で救われるのですよ。 今の救いですから。 阿弥陀仏に向かってください。
みつ: はい。 ありがとうございます
ちえ: 必ず、近いうちに救われます。 もう直ぐです。だから死んではだめです。
生きていてください。 阿弥陀仏に救われるまで
みつ: はい、大切な命は大事にします
ちえ: そうですよ。 阿弥陀さまは今もおそばにいらっしゃいます。 光明がかかっています。ただきづかないだけです。 私も阿弥陀さまと一緒に念じています
みつ; 本当にありがとうございます。それではおやすみなさい。
ちえ: おやすみなさい
 

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