親御さんの真の願い(お話し77)

 
 ご縁を疑いなく信じ、素直に受け入れることは易しいようで難しいです。「我」というものが抜けず、頑なで無知で、自分が自分がという自分の手柄を前面に打ち出し、それをよしとして生きていたときのことを思い出すと何ともやり切れません。そうした頑張りや思い込みを重ね強くすればするほど、御仏を疑い、また、悲しませていることになるとは思いも及びませんでした。
 分からぬ事ではありましたが、全く正反対のことをしていました。
 今まさにそういう自分と向き合って、そこから一歩踏み出そうとしているみなさまに御仏と共に、心より応援のエールをさし上げます。

 今から振り返ると、いつもいつも、私を応援してくれる方がありました。
それが御仏(大いなる存在)であり、さらにご縁のある周りの誰かしらが私をどこかで見護ってくれていて、そ生きてこられたのだといまは、ハッキリ知らされ、有難く感謝しております。

 目から鼻に抜けるような鋭敏さなく、生活の中で素早い機転がきくものでもなく、おっとり、ぼんやりふわふわとした幼少の頃を過ごしてきた私が、いきなり集団生活で異質な自分さえよければ人のことなど一切構わない人たちの中に入り込まれ、途方に暮れていました。そこにはまた同時に、人ばかりに目が向いて被害者になっている自分がいました。

 今から振り返ると、このような苦しく辛い体験も、すべてが無駄でなかったし、この試練がなかったら、真の意味で仏さまと一体になろうなどとは思えず、また苦しんでいる人たちに仏さまの願いをお伝えしようとも思わなかったのだと知らされます。

 周りに翻弄されながら、本当に辛く苦しい地に足のつかない人生を送ってまいりました。
それでも、救われる直前では、自分自身、「我」から離れられないどうしても、御仏を心の底から信じることのできない仏さまの正客であり、お目当ての機であり、私一人のために願いを立ててくださったのだと、頭ではわかりました。
信じ切れないことに心の中で泣いて、どうしたら素直に「ハイ」と因縁が和合して仏さまと一体になり、御心を信受することができるのかと、また自分の「我」で最後のあがきをしていたことも思い出されます。

「どうしたら」も「あがき」も全て疑いから出ます。
「そのままのお助けでした」「自分の力は間に合わないと力尽いたことがしらされました」とハッキリするところまで、どうか求め抜かれることを、常にお念じ申し上げます。

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 1

ナイス

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック