親御さんの真の願い(お話し79)

 また、ちょっと戻っておさらいをしますが、善をして助かろうとしても、平素、余裕がある時は自分の余っている時間やお金や物で人の役に立つこともできます。自分や家族が生活していくのも大変なのに、人さまに施すことはなかなか困難です。
 自分や子どもが食べられないのに、隣の子どもに食料を分けてやれる人はなかなかいません。
思い立ってはよいことをしようと心がけはしますが、忙しくて忘れてしまったり、ずっと続けることは難しいです。
 町内の呼びかけでみんなと掃除は出来ますが、毎日仕事が済んで帰宅後、一人で近所中のゴミを拾ったり、雑草を刈り取ったりする人も見かけません。
 よかれと思ってしたことで、却ってあだになり相手から恨まれることもあります。
 
 ずっと言ってきましたように、人間の善には限界があります。我がついているし、続かないし、相手を本当の幸せに導ける智慧がありません。自分のした善で救われることなどないのだと真剣にやってみた人は知らされます。

 それなので、仏さまや大いなる存在など真理の光源のような何か人の姿をしたようなものが存在して、それが極楽や天国やそれに類した素敵な場所に、ある時、ふっと連れて行ってくれることを期待するようになります。
 それもまた、現在の自分のしていることや心の中を深く見つめていくと、そんな場所はないのだと思われてきます。
 
 
 それでも、自分が一度拵えてしまって、執着している偶像に縋って助けてもらおうという気持ちは消えず残ります。
 自分が信じさえすれば、助けてもらおうと必死になれば何とか助けてもらえるものだという、自分が何とかすれば何とかなれるという心がどんどん大きくなってきます。
 同時に、どうしたら、どう思ったら、どうなったら助けてくれるのだろうか、自分のような罪の深いものは助からないのではないのかと疑いの気持ちが大きくなっていきます。
 
 この心があるから、これが邪魔をして助からないのです。
 疑っているということは、信じ切っていない、救われていないことですが、本人は自分でもがいて苦しんで、何かを差し出すことで駆け引きして、その代わりに救われようと必死になっているのですが、それが真理の光源を悲しませ、泣かせていることにはきがつかないし、お構いなしに、いろいろな役に立たないものを次々差し出しては「信心を下さい」と懇願します。

 何もいらないから、そのままの状態でいらっしゃい、私には無限の力があるのだから、疑いは無用だと再三言われているのに、それでも、ただということはないでしょうと、疑います。

 差しのべられた手を払いのけて、自分で何とかしますと、しっかり蓋を閉めて、助かる縁手がかりを持てなくしてしまっていることに当の本人は全く気がついてはいません。
 固く冷たく自分勝手で、救ってくださる方のことなど全く考えられませんが、自分は一生懸命、真理の光源に向かっているのだと自惚れて、ただ、そのままの救いを受け取れずにいます。

 既に救われた人はその様子を見ては、かつての自分を思い出し、疑う罪の恐ろしさやそれさえなくしたら、簡単に救われることなどを教えてくれて、もうすぐだから、そのままの教えだからと励ましてくれます。
 それでも本人は何かしなければ助からないのだと勝手に思い込んでいますので、役にも立たない余計なことを真理の光源に差し向けて必死になって助かろうとします。

 その疑いがあるから、いつまでたっても迷いの世界から抜け出ることが出来ないのだということは、なかなかきづきません。きづいてしまったら本当に簡単なことなのに。
 真理の光源を自分の思い描く有限なものにしているので、その能力に「底を敷いて」人間の一番能力の優れた人が助けてくれるくらいにしか思えないのです。

 真理の光源は私たちの想像を遥かに超えたものなのですから、どんな人も、それも、今、この場で救ってくださるのです。
 ただ、まったくの疑いもなく信じられたら。
 
 この信じる力も救われたならば、真理の光源が信じさせてくださったということにきがつくのですが、自分の作った偶像に惚れ込んで、自分としては助かる縁、手がかりになると思われるような様々な賄賂を贈って、助けてくださいと疑いの心を持ちながら、お願いしているときにはそんなことは思いもよりません。

 なんと哀れで、見当違いのことをしているのだろうと真理の光源は悲しみますが、その光を差し向けて、頑なな心が柔らかくなり、真理を受け取れることを常に念じるしかありません。
 縁というものは、どうしてこうしてこうなるというように計画出来たりというものでもないので、タダ有難いというしかありません。(つづく)

この記事へのコメント

2013年07月31日 06:33
宇宙がいろんな策略をしたり、宇宙の仕組みが見えないように誰かが仕組んでる訳では無い、自分自身が見えなくしている。ありのまま、を見えなくしているのは、他の何ものでもない自分自身の 思考 というもの。ステラさんと私は、表現の方法が違うだけで、読み解く気になれば、なんとなく理解できます。

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