親御さんの真の願い(お話し90)

いつも私は浄土三部経を拝読しています。どれも心を打つ文面ですが、人間の本性を特によく表していると今感じているところがあります。それは『仏説無量寿経』の下巻のいわゆる五悪段の第五の悪のところです。以下引用します。みなさんも各自味わっていただきたく存じます。
 
人は孤独だと言われます。周りにこんなにたくさんの人がいるのに可笑しなことを言うと思われている方も多いでしょう。
 たしかに多くの人はいますが、真実を体得して、清々しく真摯に明るく今を精一杯生き切っている人にはなかなか出遇えません。一生の内一人でも縁があればいいのではないでしょうか。
 
 「さらに釈尊がお言葉をおつづけになる。『第五の悪とは次のようである。世間の人びとは、おこたりなまけてばかりいて、善い行いをし、身をつつしみ、自分の仕事に励もうとはいっこうにせず、一家は飢えと寒さに困りはてる。親が諭しても、かえって目を怒らせ、言葉も荒く口答えをする。その逆らうようすはまるでかたきを相手にするようであって、こんな子ならむしろいない方がいいと思われるくらいである。
 
 また物のやりとりにしまりがなくて、多くの人々に迷惑をかけ、恩義を忘れ、報いる心がない。そのためますます貧困に陥って、取り返しのつかないようになる。そこで、自分の得だけを考えて。他人のものまで奪い取り、好き放題に使ってしまう。それが習慣となって、ひとり贅沢な生活をし、むやみに美食を好み美酒にふける。

そうして勝手気ままに振舞い、自分の愚かさは省みずに人と衝突する。相手の気持ちを考えることなく、無理に人を押さえつけようとし、人が良いことをするのを見てはねたんで憎み、義理もなければ礼儀もなく、わが身を省みず。人にはばかるところがない。それでいて自分は正しいものだとうぬぼれているのであるから、戒め諭すこともできない。

親兄弟や妻子など、一家の暮らしむきがどうであろうと、そんなことには少しも気を配らない。親の恩も思わず、師や友への義理もわきまえない。心にはいつも悪い思いをいだき、口にはいつも悪い言葉をいい、身にはいつも悪い行いをして、今まで何一つ善い行いをしたことがないからである。

また古の聖者たちや仏がたの教えを信じない。修業により迷いの世界を離れてさとりを得ることを信じない。人が死ねば次の世に生まれ変わることを信じない。善い行いをすればよい結果が得られ、悪い行いをすれば悪い結果を招くことを信じない。さらに心の中では聖者をころし、教団の和を乱し親兄弟など一家のものを傷つけようとさえ思っている。そのため身内のものから憎みきらわれて、そんなものは早く死ねばいいと思われるほどである。

このような世間の人びとの心はみな同じである。道理が分からず愚かでありながら、自分は智慧があると思っているのであって、人がどこからこの世に生まれてきたか、死ねばどこへ行くかということを知らない。

また思いやりに欠け、人のいうことにも耳を貸さない。このように道に外れたものでありながら、得られるはずもない幸福を望み、長生きしたいと思っている。しかしやがては必ず死ぬのである。それを哀れに思って、教え聡、善い心を起こさせようとして、生死・善悪の因果の道理が厳然としてあることを説き示すのであるが。これを信じようとしない。

どれほど懇切丁寧に語り聞かせても、それらの人には何の役にも立たず、心のとびらを固く閉ざして、少しも智慧の眼を開こうともしない。そして、いよいよこの世の命が終わろうとするとき、心に悔いと恐れがかわるがわる起きるのである。以前から善い行いをせずにいて、そのときになってどれほど後悔しても、もはや取り返しはつかない。」『浄土三部経』 本願寺出版125頁-128頁(つづく)

この記事へのコメント

才木広之
2013年08月18日 08:40
うーん、文句のつけ難い御言葉です。逃げれる所が無い所はブッダですね。聞くものは辛いですね。だからこそ、自分が成長するしか道は無い。ブッダの言葉を聞いて、なに一つ悪くはなれない。良い方向に進むしかなくなる。完璧だと思います。

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