親御さんの真の願い(お話し87)
少し目先を変えてみますね。
「永遠の命」を結局みんな、潜在的に欲しいのではないかと感じるのですが。
強盗に襲われたとき、お金を出せと言われて、お金が惜しくて命を出す人はいないでしょう。
がんや難病にかかった時、いくらお金を出してでも、命が助かりたいと感じますよね。
人間生まれたら100%死にます。
それが早いか遅いかの違いはありますが、確実に死にます。
小さい人ほど死を恐れます。反対に人間を長くしている人ほど死に対して鈍感になります。
それゆえ、子どもの方が早く救われることもあります。
何も複雑に考えずに、今、助かりたいと思えるからです。
大人は色々なもので武装していて、自惚れも強くて、何十年か生きてしまっているので無常も感じられず、なかなかご縁が深まりません。
救われた人でも、幼少のころから「永遠の命」が欲しくて、それを望んで自ら求めていた人は、それを獲ると、何とかほかの人にも伝えようとしますが、そうではなくて、何の縁があってか、たまたま信心を賜った年配の人たちは、それが当たり前のように感じて自分たちだけでよろこんでいます。
伝える手段を考えたりする、体力、気力もないのでしょうし、仕方ないと言えばそうなのかもしれません。
どうでもいいといえば、それまでのことですが、そんなものなのかと少し残念にも感じます。
長い間、時間とお金を費やして、それこそ命がけで求めたものに巡り値えたよろこびから、毎日飽きもせず言い続けています。
こんな素晴らしい世界がある、私のような者でも出られたのだから、みなさんのきっとそうなれますと書き続けています。
救いに対する個人差・温度差・能力差はあるのでしょうが、御恩を感じて、一人でも多くの方々にお伝えして、一緒に幸せになろうと心掛ける人生の素晴らしさを味わっていただけたらと願っております。
なお、ここでいう「永遠の命」とは肉体が死ななくなることではなく、仮にいま死が訪れたとしても、うろたえず、ただ次の世界にいくのだと思えることです。
その未来の世界が花降るお浄土なのか、もう一度人間になって衆生済度するのかどうなのかは死んでみないとわかりません。それでもどうあがいても、自分の出来ることはなにもなく、ただ真理の光源や御仏というような大いなる存在にもうおまかせしているので安心していられるということです。
自惚れて自分の力を少しでもあてにしていると、役にも立たないことを何かしようとしますが、もう奈落のどん底に堕ちきって、完全にノックアウトで絶対起き上がれないと知らされているので、死の解決ということは何もできないとハッキリ知らされているので、しなくてもいいということです。
いってみれば、死に対する不安が全く消えて無くなるということなのです。
こういう身になれば、急いで死にたくはないけれど、たとえがんだと宣告されようと、強盗に脅かされようと、寿命が来るまで生きたらいいと覚悟ができる生き方になります。(つづく)
「永遠の命」を結局みんな、潜在的に欲しいのではないかと感じるのですが。
強盗に襲われたとき、お金を出せと言われて、お金が惜しくて命を出す人はいないでしょう。
がんや難病にかかった時、いくらお金を出してでも、命が助かりたいと感じますよね。
人間生まれたら100%死にます。
それが早いか遅いかの違いはありますが、確実に死にます。
小さい人ほど死を恐れます。反対に人間を長くしている人ほど死に対して鈍感になります。
それゆえ、子どもの方が早く救われることもあります。
何も複雑に考えずに、今、助かりたいと思えるからです。
大人は色々なもので武装していて、自惚れも強くて、何十年か生きてしまっているので無常も感じられず、なかなかご縁が深まりません。
救われた人でも、幼少のころから「永遠の命」が欲しくて、それを望んで自ら求めていた人は、それを獲ると、何とかほかの人にも伝えようとしますが、そうではなくて、何の縁があってか、たまたま信心を賜った年配の人たちは、それが当たり前のように感じて自分たちだけでよろこんでいます。
伝える手段を考えたりする、体力、気力もないのでしょうし、仕方ないと言えばそうなのかもしれません。
どうでもいいといえば、それまでのことですが、そんなものなのかと少し残念にも感じます。
長い間、時間とお金を費やして、それこそ命がけで求めたものに巡り値えたよろこびから、毎日飽きもせず言い続けています。
こんな素晴らしい世界がある、私のような者でも出られたのだから、みなさんのきっとそうなれますと書き続けています。
救いに対する個人差・温度差・能力差はあるのでしょうが、御恩を感じて、一人でも多くの方々にお伝えして、一緒に幸せになろうと心掛ける人生の素晴らしさを味わっていただけたらと願っております。
なお、ここでいう「永遠の命」とは肉体が死ななくなることではなく、仮にいま死が訪れたとしても、うろたえず、ただ次の世界にいくのだと思えることです。
その未来の世界が花降るお浄土なのか、もう一度人間になって衆生済度するのかどうなのかは死んでみないとわかりません。それでもどうあがいても、自分の出来ることはなにもなく、ただ真理の光源や御仏というような大いなる存在にもうおまかせしているので安心していられるということです。
自惚れて自分の力を少しでもあてにしていると、役にも立たないことを何かしようとしますが、もう奈落のどん底に堕ちきって、完全にノックアウトで絶対起き上がれないと知らされているので、死の解決ということは何もできないとハッキリ知らされているので、しなくてもいいということです。
いってみれば、死に対する不安が全く消えて無くなるということなのです。
こういう身になれば、急いで死にたくはないけれど、たとえがんだと宣告されようと、強盗に脅かされようと、寿命が来るまで生きたらいいと覚悟ができる生き方になります。(つづく)
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