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zoom RSS 暗い心(疑情)と黒い心(煩悩)の違い

<<   作成日時 : 2014/02/12 22:17   >>

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 信心を獲たら「暗い心」は無くなりますが、「黒い心」は臨終まで無くなりません。
 しかしながら、信心を賜るまでこの二つの心の区別はつかないのです。
 御仏を疑う心とそのほかのものを疑う煩悩の疑いの区別などつくはずがありません。
 信後は御仏を疑う心が全く無くなるので気が付きます。

 救われたことがハッキリするので、疑う気持ちなど全くありません。
 美しい心になって来いと言われるのでもなく、そのままでいいと言うのが救われるまでは分かりませんので、何か良いことをしたり念仏を称えたりすることで助かろうという気持ちが抜けないのです。どうしても自分が何かしなければならないという強迫観念のようなものが纏わりつきます。

 「そのまま」といわれたら、「はい、そのままでございました」と何の疑いもなくよろこべるのが真実の信心なのです。
 それを疑い、計らって、色々なものを差しだそうとするのは偽物です。
 まだ受け取っていないので、交換条件で何かすることに固執します。
 そうしている自分を一生懸命で愛おしく感じたりする自惚れ心もあります。
 これを御仏がどんなに嫌い、悲しまれているのかが分かりません。
 
 ただでいい、本当に何もいらないただだと分かって欲しい、というのに、それでも自分だったら何かもらえる方がいいので差しだします。相手がよろこぶと勘違いしているのです。して欲しい事と正反対のことをしていい人だと他人にも自分にも思われていると自惚れているだけです。
 自己満足の以外の何物でもありません。
 御仏は本当に要らないのだし、何か差しだしている内は救われないから、要らないと言っているのにその気持ちが分からないのです。助かりたい気持ちは一杯なのに全く逆なことをして助かることから遠ざかっているのです。
 これほど哀れなことはありません。

 たとえば、大海でもがき苦しんでいるときに大木が流れてきたらそれにつかまるでしょうか。
 「つかまる」と答える人は「アウト」だそうです。
  答えはなかったので、私の見解をまた次回書きます。
感謝していること
 これは今日の真宗談話会の内容です。そういう場を設定してくださる
友久久雄先生に有難く感謝しております。

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