一度や二度失敗したからって何なんですか?私は30年近くやってきましたよ

 こんな風に弁護士の宇都宮さんはおっしゃいました。サラ金のグレーソーン撤廃の法案が通り、本当に国民は助かりました。
 いつ法律が通ったかも当事者ではなかったので知りませんでしたが、宇都宮さん始めたくさんの弁護士や政治家の方々のお蔭で救われた方はたくさんあったでしょう。

 今度の都知事選で、原発を止める最後のチャンスだと一本化を訴える人たちがいました。私も大変なことになったと注視しつづけましたが、その中で辛抱強く宇都宮さんがサラ金のグレーゾーンだけでなくほかの社会問題とも立ち向かってこられたことを、ご本人の演説で拝聴して、目が覚めた思いです。

 最後にはにこやかに穏やかに笑っている人のところにみんなが集まります。
 起こっている人や怖くて暗い人は台風のようなもので、一過性です。そんな脅しに乗らずに、自分が望むことを訴えて行きましょう。

 御仏の救いもちょっとでも不安があるなら、救われている人から、よくよく何度でも話を聞いて、自分の心を包み隠さず打ち出して、腰かけている椅子を壊してもらって、本当に疑いが晴れる所まで聞きぬいたらいいでしょう。
 それをしないで、お茶を濁して逃げるのは、自分の人生を捨てているのと同じです。
 不安な心を抱えたまま、背中を向けても構わないんですね。
 
 私なら徹底的に微塵の疑いが無くなるまで、疑いが無くなっても、よくよく何度でも本当に一味の境地に達したのか話てもらえるようにお願いします。もし違っていたら、助かるまで何度でも話してもらいます。
 もし救われていなかったら、信心が間違っていたら、今生だけではなく、未来永劫の一大事ですから。
 それを放っておける神経が分かりません。私は縁が厚くなかったので30年も掛かりましたが、ずっと諦めませんでした。話してくれる人を探し続けていました。だから、お節介と思われるかもしれませんが、救われたくてなんとかしている人たちを放っておけないのです。
 ただ、私と縁が無くなっても、別の人が話してくれるなら、その人の方が相性がいいならそうしたらいいでしょう。
 
 でも、ほかの人からも聞かないで疑いを残したまま放置して置けるのは何だか自分を粗末にしているように感じます。
 そういう人は初めから縁のなかった人なのでしょう。
 「縁なき衆生は度し難し」と仏さまでも仰います。
 自分で蓋をして頑なに助かろうとしない人はどうすることもできません。
 どんなに恥ずかしくても、傷つく感じがしても、相手にしつこいと思われても、ちっぽけなプライド何て捨てちゃって、せっかくの千載一遇のチャンスを逃さず、心の頭を下げてくらいついていく覚悟がないと救われないでしょう。プライドなんて邪魔にこそなれ何の足しにもなりません。
 
 生半可な中途半端な気持ちが一番イラッとします。
 蛇の生殺しとか、猫にネズミをいたぶられて半殺しになっているところを想像してしまいます。
 何かを仕掛けて途中でやめることほど、関わっていた人に失礼なことはありません。
 
 せっかく驚きがたったのに、もう少しなのに、それが忘れられるなら、やっぱりそこまでの人なのでしょう。
 初めから縁のない人だったのです。
 好きにされたらいいです。ご本人の問題なのですから。

感謝していること
 愛媛県の大三島の有機の「ゆず」のフローラルウォーターと「西の香り」というみかんが届きました。とっても気分がいいです。

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