明日をも知れぬ無常を感じる方々へ

 もしかしたら、現在不治の病に冒されているかもしれませんし、今晩夜道を歩いていて車が突っ込んでくるかもしれません。
 今日有って明日が分からないのが私たち人間の寿命です。
 それなのに、限りのある命なのに、いつまでも生きられると錯覚しています。

 自分より若い人が病で急死しようと、親しくしていた人が事故であっけなく亡くなろうと自分とは関係ないと思って、やり過ごします。
 そうこうしている内に自分の死ぬ日がやっています。
 火事や災害の備えはある程度できますが、死後、後生への備えが出来ている人はほとんどないでしょう。

 死んでまた、迷いの世界である六道輪廻のようなものを繰り返すことなど何とも思っていない人がほとんどです。
 今、その迷いから抜け出せる人間という縁にあるのに、ちっとも急ごうとしません。
 自分が迷いから抜け出せても、人に早く、生きている内に抜けないとダメだと警鐘を鳴らす人も滅多にありません。

 こんなに迷いの世の中は苦しいのに、その苦しみに麻痺して、煩悩を満たす生活で、一喜一憂しているのが人間の有様です。
 それでいいとは私は思えないけれど、ほかの人が求めるのを躊躇するならそれまでの縁です。
 また、何度でも迷いの世界を経巡って学んできてください。

 それが嫌なら、今から書くことをよく考えてください。
 迷いを迷いだと認識することは、人間である自分の腐った脳みそをいくらかき回しても無駄です。
 イメージはどんなものでもいいのですが、迷いから離れるには、真理の智慧と慈悲の光を受け取ることです。
 では今、なぜ受け取れないかというと、自分が蓋をしているからです。周りに光は満ち溢れているのに。それを認めようとせず、頑なに自分は救われていないと思い込む心が邪魔をしています。真理の光を疑う心です。

 この疑う心は別の形でも現れます。
 疑っていることを誤魔化すために、自分の頭でこねくり回して捏造した仏や神やキリストなどの偶像崇拝にすがらずにいられません。
 偶像崇拝も所詮自分で作り上げたものなので、偽物です。
 たとえ誰か別の人が形や絵にしたものであっても、それはその人のイメージの範疇から抜け出せていません。偽物です。そんなものを有難がって拝んでいるから救われないのです。人間の迷いというのは恐ろしく深いものなのですよ。
 
 真理は形・重さ・色・匂い・影すらありません。
 目に見えないし、音も聞こえません。
 全くの無であり空であるということを、宗教を信じこもうとしている人たちは気が付きません。
 いいですか。何もないから真実なんですよ。何かあったら、それは有限なもので嘘ですよ。
 人間の創造物ですよ。そんなもの握っていたら金輪際助かりませんから、今すぐ捨てちゃってください。
 
 今すぐです。持っていても絶対いいことはないし、つかんで離さないから救われないのです。それでも、放さないのは、それが価値のあるものだと錯覚しているだけです。
 相対的な三次元の感覚ではそうとしか感じられませんし、考えられず、思えません。
 いつまでも生きられるなら、偽物の真理の玩具と一緒に遊んで、被害者である自分の傷をその偽物に慰めてもらったらいいです。好きにしてください。
 たまに方便として真理が形や音で現れることもありますが、救いの真髄はそれではありません。仮にゴールを目指して頑張れるように方便として現れだけで、本物は実体がまったくないのですよ。
 「ああー」とか「あれっ」というような本当にタダで簡単なきづきを促すためのものです。この「ただ」がみんなわからず何年もかけて求めるのですが。信じれらたら簡単ですが、それは自惚れの強い人間にはなかなか難しいです。

 もしかしたら、命が短いかもという無常観を感じるなら、どうか、実体の何もない真理の光に疑いなく身を任せてください。
 結局自分の力など、煩悩にまみれた人間のあがきなど間に合うはずはないのですが、自惚れ強い業はそれを認めたがりません。
 自作自演の苦しい人生を演じているのです。救いを賜った者からすると、気の毒で悲しく残念ですが、当の本人はマゾヒストのように自虐的にもっともっと苦しみが来るようにと救いと反対の方向にどんどん進みます。
 そっちは危ないといくら言っても、おっかない形相で睨み、余計なお世話を焼くことは許さないと逆切れされます。

 被害者になり苦しいなら真理に向かって進む方法を尋ねたらいいのでしょうが、根拠のない自信がある人ばかりで、それが頑固で強固なので、何も言えなくなってしまいます。お好きにどうぞとしか。
 救われていないときの私なら、教えてくれる人があれば、おそらく地球の裏側でも出かけたと思います。日本語を相手が話せないなら、翻訳の辞書などでも持ってでも。
 結局そこまでの覚悟があり、どうしても救われたいという人が本当に少ないし、救われていても一人でも多くの人に御仏の願いを知って欲しいという人も滅多にいません。
 もし志を同じくするなら、何かアプローチがあるはずですが、ほとんどありません。

 今日の話は大切ですので、ご縁のある方、救いを賜りたい方は何度も読み返してください。何回も何回も読んで考えてみても、分からなかったら、来月にでも聞いてください。
それまでお互い命があることを願っています。

感謝していること
 まだ少し寒いですが、この頃、日が長くなって明るい時間がたくさんあります。

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