安楽椅子の罠

救いを賜ったという人にも、本当に救われた人と思い込みという安楽椅子に座っている人の二種類の人があります。
 仏教の教えで御仏から賜るものと同じような心境になれるものが、アメリカや日本のがんの末期医療で「ターニングポイント」とか「チョイスポイント」とか呼ばれるものと類似しているかもしれません。今、これを私は研究しています。
もう一つ、ナチスドイツの強制収容所から生還して「夜と霧」で有名なロゴセラピーで有名な心理学者フランクルの研究やほかでも似たような境地をよろこんでいる人がいるかもしれないということも調べています。

 本当に救われたら、二度と元には戻りません。
 これは思い込みとは違うのです。
 自分の力が尽き果てたその先の不思議な境地なので、何かちょっと普段とは違ったことが起こっていただけで、やっぱり救われたのとは違っていたというような生半可なものでは決してないのです。
 誰かに違うと指摘されて揺らぐようなものでもありません。
 「思い込み」でもなく「執着心」でもなく、ましてや「願望」でもありません。
 真理によって救われ、以後その真理に対する疑いが全く晴れる状態が続き、感謝を伴った不思議な境地なのです。

 だから、違っていないか、安楽椅子に座っていないかをその境地に達した人に何度も、何度も確かめないといけません。
 確かめると信心や信念が崩れる不安や恐れなどの心配があるのは間違いなく偽物です。
 もう精も根も尽きた境地なので疑いが全くないので、万が一もし違っていてもまたやり直したらいいというような一種開き直りといった感覚だからです。
 
 魂が別の次元に行ってしまっているので、まだ救いの境地に達していない他人に譲れたり、真理に対して感謝や恩返しの気持ちが強くなったり、とにかく見える景色も同じであるのに全く違った新しい感覚で見えるような境地です。
 くれぐれもこれは救われるまで何度も座ってしまう安楽椅子でないか、確認してください。これは重要であり肝要です。
 どうしても、救われたいという思いの強い人は、そこで休んではまた求めるような状態に陥りがちです。
 もし違っていたら、また迷いの六道輪廻を繰り返さなくてはなりません。せっかくもう少しで迷いから抜け出るチャンスだったのに勿体ないです。無常は迅速です。後生は一大事です。
 感謝していること
 今日も晴れています。

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