大衆は高貴な身分や容姿などの外観で他人を評価する

泣いちゃうくらい非の打ちどころのない素晴らしい人格者があっても、その人が生活感を漂わせ、ごく平凡な容姿であるなら、大衆は支持しません。
 「チョイ悪おやじ」などという言葉が昔流行りましたが、ほかの人よりちょっとおしゃれなイケメンがモテるということなのでしょう。
また、皇室の遠い親戚、大名の末裔、有名人の子孫などというのにも大衆は弱いようです。高貴な身分と聞くと自分とは異なったように感じるのでしょう。

御仏の前に行ったら、どんな肩書き、容姿、出自であろうとみな平等です。
しかしながら、内面を見ない大衆は外観だけで判断し、有難がります。
切ったら血が出るし、レントゲンを取れば骨が映ります。目が3つある人もなく、両手足も二本ずつ、指も片方5本ずつの人間の外観なんてそんなに変わるものではありません。
どんなに高貴で金持ちの家に生まれようと、怠惰で放蕩な人生を送る人たちもいます。どこに生まれようと本人次第です。貧しい家に生まれても努力して、たくさんの人の為に尽くす人生を送っている人もたくさんいます。

悲しいことに、こんな単純で、分かりやすい簡単なことが頭ですら分からないのが大衆心理なのです。
見栄えのいい、カッコいいものに価値を求め、本当に自分にとって大切なことを馬鹿にします。

家事や育児を奥さんと一緒にする人がその自治体のトップに立ったなら、職員もそうなります。投票した市民たちも見習うようになります。
女性を大切にする人が首長になったなら、女性たちは幸せになれます。
ただ、そういう風に思える人がまだ少ないなら、世の中が変わるのを一寸待って、次回にまた立候補して、今回は同じ志の候補者と話し合って、副知事にさせてもらい、サポートするというのも、原発を止める大きな助けになると私は考えます。

感謝していること
きっと本当のところは分からないような投稿記事に対しても、御挨拶なのか「いいね」をくださるお友だちに感謝します。

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック