深い迷いで人は傷つけ合う

 自分が他人より優れたものと思いたいというのはどこから来るのかと常々感じておりました。私は他人と自分を比べては生きてきませんでしたし、常に御仏のなさるようにそれを目指して生きてまいりましたので、いまだによくわかりません。
 
 中には、自分を優位にするために、他人のその人の本来していることと全く違う悪口をその人がいない所で広めている人もたくさんいます。
 ただ、こういう嘘はいつかばれますし、言っている本人も後ろ暗い気持ちがあるので心身がスッキリしません。
 先のことを熟慮せず、今の名利で身を滅ぼす人の典型です。

 世間のことでは、そういう癖の人からは離れて、残念で悲しい事なので、自業自得と放っておいたらいいのでしょうが、仏教のことは放置する訳にもいかないので困ります。
 救われる教えを話しているのに、感情的な自分の思いが正しいと主張し、関係ない人格や性格を攻撃する人は自分が仏教を謗る恐ろしい罪を犯していることを夢にも思わないでしょうから、厄介です。

 思うに自分が優れていると思いたくて人を貶す人は、多分恐怖心から劣等感が強いのでしょう。恐ろしさを忘れるためにありもしない自分の想い込んでいる正義や自分のこしらえている仏や神を持ってきて、これだけが正しいと主張して勝って優位に立たないと、相手の何でも言うことを聞かないとならないような服従を強いられるような立場なると怯えているのでしょう。
 そういう風に他人に服従させられる人生を送ってきたのかもしれません。
 
 信心を賜った時、私は完全降伏しました。「参りました、降参です」と白旗を上げましたが、そのとき本当に完敗という状態でしたが、清々しく柔らかく温かな空気がありました。もうこれで御仏と闘うこともなく、傷つけて大悲の涙を流させることもないのだとほっとした心地よい疲労感の中におりました。
 みなさんも今、救われてください。これ以上御仏を悲しませないでください。
感謝していること
 自分なら絶対しないし、どうしてそんなことが出来るのかというような信じられない言動をする人がたまにありますが、それを縁に真実を明らかにしなさいということなのかもしれません。

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