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zoom RSS 宗教と政治に関する私見

<<   作成日時 : 2014/03/26 07:32   >>

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お尋ねがあったので、私の考えをお話ししてまいりましょう。
 まず宗教は真理を伝えるものであるので、国家を治めるための政治思想などよりも崇高で格段に上位の概念だと私は感じております。
 政治体制は時代によって変遷していきますが、宗教的真理は変わりませんし、洋の東西や発展途上国など全てにおいても、どこへ行っても普遍なので真理と言われます。

 ところが、時の権力者・為政者・国王などの信仰がその土地の人たちに影響を与えるというより、彼らが信じる宗教を押し付けられることがほとんどです。
 なぜなら、信仰で人の心を縛り、利用し統治をしやすくしようとするからです。
 彼らの中の一部の信心深い人たちを除いた場合は、名利や支配力を満たすために宗教を使い、民衆が救われることに寄与するという考えはありません。

 一方、民衆はほとんどが考えることを面倒がってしません。
 為政者は自分たちを不幸にするはずがないと根拠のない考えを持っています。ちょうど店で毒の入っている食べ物を売らないだろうという期待と同様に。
 民衆は搾取され、意味のない戦争に駆り出され、毒入り(農薬や添加物)食べ物を売りつけられているのにそれを薄々気が付いているのに、深く考えると怖いし、どうにもならないという無力感から何も言いません。
 またそれをいいことに、権力者・1%の富める者たちが国民を捨て駒のように見做し、消費・貯蓄両方のよろこびを奪い、自分たちに利益が集中する政策を無理矢理推し進めます。

 昭和の時代までに、大学や大学院に進学した人たちなどは、それなりの知的エリートでしたから、自分の頭で考えることもしましたが、共通一次以降は大学のレベルも下がり、昔の高校生くらいに成り下がっています。
 いわゆる暗記の勉強が重視され、論文を書いたりする思考能力が育たない学校教育が大学入試の問題形式に合わせてなされています。
 もはや学校教育には人間性を高めたり、自分で考える力をつけたりすることは期待できなくなってしまっています。
 教育にはまかせられないので、宗教が人間の営みや信念に大きな役割を果します。
 
 そして、宗教は真理の探究の側面も有しますが、縁がある無が問題になります。
 いわゆる宗教に縁がある人というのは、特別賢くもなく愚かでもなく、大金持ちでもなく極貧でもない中庸な人が多いと言われます。中には例外もありますが、そういうものらしいです。世の中の知恵に長けた人が仏教を聴けない八難の一つに世智弁聡の難というのがこれを表しいています。
 出来ることなら、正しい真理・信心を賜った為政者たちが国々を治めたなら世界は平和になるでしょう。
 
 そこで、かなり広大で実現するにはたくさんの人の助けがいる大変な目的ですが、最終的には世界の宗教の統合から融合の方向に持っていき、人間が本来の目的を求められる姿を取り戻す助けをしていくのが私の人生から問われている使命だと私は感じております。
 その足場となる大学院の学びでは、真宗の門徒の女性たちが江戸時代から明治時代にどのように政治的に恩恵を受け、また翻弄されてきたかを研究する予定です。
 外国との戦いもなく、国内の領地争いもなかった江戸時代において、政治と宗教の関係を江戸時代から続いている寺を訪ねて調査して、古文書や100歳近くの人たちに御先祖の話などを聞かせてもらおうと予定しています。
 研究の途中経過をまた記事として投稿させていただきます。
感謝していること
 今日はずっと気になっていた縁の深い方のお話をさせていただきました。彼女はお寺の奥さんですが、本当に素直でご縁が深く今日は15分から30分程度お話をしましたところ、御仏とのご縁を結ばれました。以前に1度その時はかなり詳しく話しましたが、2回目で沙汰のご縁で、信心を賜ったのをとてもよろこんでおります。

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