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zoom RSS 治りにくい病について(無明業障の病)

<<   作成日時 : 2014/03/26 22:47   >>

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 人間は邪見・驕慢で自分の本当の姿が分かりません。
 迷いの世界にいるのにそのことが分からないから、そこから抜けようともしません。
 「私が救われていないとでも思っているんですか?」という方は自分が救われていると思っているのでしょうね。それが本当ならこんな結構なことはありません。
 
 明らかに救われた人の言動ではないことを繰り返す人でも、本人が救われたつもりなら絶対「救われたいと思わない」でしょう。
 思い込みという頑なで強固な「信念のようなもの」がある人というのはかなり付き合いにくいです。
 それが、真実信心なら、反対に柔軟な物言いになったり、人間が固執するという観点とは全く違った次元の考え方で救われたもの通しならではの分かり合えることもあります。

 人間の迷った固い殻の中にいて、外が見えないでいるところの「信念のようなもの」は我執であり、自分さえよければいい冷たい我利我利亡者の心です。
 「これが間違っていますよ、これが原因で救われないのですよ、これを握っているから苦しいのですよ」といわれても、益々、殻の中で固まり、防御という反撃をしかけてきます。余計に大きく抵抗していきます。ちょうど、北風に吹き付けられてコートが飛ばされないようにしっかり抑え込む旅人のように。

 いくら真実を話しても、頑なに蓋をより固く締めて、聞き入れることはありません。
 ただ少しだけ聞く耳を持つ人ならば、他人の例を出したりして、初めはその人のことではないというように説明して、役に立たない自尊心を少しずつ崩していくと効果が出ることがあります。
 そうしていくうちに少しずつですが、自分は救われてはいないのではないか、このままでは安心できないというような気持ちになってもらうしかありません。

 そうして辛抱強く、話していくこと内に、自分は無始より迷いつづけていて、それは自分の力では「絶対に治らない病」なのだということに気が付きます。
 そして真理の光のお育てに照らされ、自分が真理に依らなくては絶対助からない者であったと知らされた時「廻心」のハッキリした体験をさせていただくのです。
 その体験をした人は二度と元の迷いには戻りません。ご飯を炊いたら米に戻らず、芋も蒸かしたら生の芋には戻らないように。

それは「ええっ」「何なの」「想像と違っていた」というようなものです。救われてしまったら、何でこんなに簡単なことが分からなかったのだろうという感じです。それでも、救われる前の我執を持っている間はそれがわかりません。
 真理はいつもそこに存在しているのですが、私たちが蓋をしてしまっているので、それが分からないだけなのです。その蓋は結構厄介で、なかなか開きませんが、空いてしまったら、こんなに簡単だったのかと驚かされます。
感謝していること
 なぜかこうしたいということは、絶妙なタイミングでスルスルとうまいこと進みます。昨日は本当に不思議な力に導かれていました。今日も変わりがないようなので、よかったです。

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