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zoom RSS 江戸・明治の真宗の女性たちの研究

<<   作成日時 : 2014/08/18 10:14   >>

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 現在、修士論文の為に、江戸から明治の真宗の一般の女性たちのことについて調べています。
 なぜ真宗なのかというと、第一に私が阿弥陀仏のご本願を賜った仏弟子であるからですが、それ以上にこの真宗の阿弥陀仏の願いと女性たちの活躍が世界平和の鍵になると感じたからです。

 真宗の教えは「一向専念阿弥陀仏」であり、別名「一向宗」とも言われていました。
 阿弥陀仏に帰依することで、「廻心」の体験を生きている今、かの仏さまから賜ることができます。自分の力は何一ついりません。全てを阿弥陀さまが用意されていて、それをただ受け取ればいいだけです。
 そこに自分の力や知恵・才覚などは一切、間に合わないので、自力修行の他宗とは異なります。阿弥陀仏の前での全くの男女平等の教えなのです。世界中でこのような教えは珍しいです。

 念仏は信心を賜ったお礼で「有難うございます」の代わりに「南無阿弥陀仏」と称えるのです。助けてくださいとまじないや呪文のように唱えるものではありません。
 子どもでも女性でも学問のない人でも、そして、今息の切れ際の臨終の人でも一念で助かる教えです。どんな小難しい理論も要りません。ただ阿弥陀仏のご本願を全く疑いを入れずに信じることができたら、ほかには何も要りません。だだ、この疑いなく信じることが自惚れ強い人間の私達には難しいのですが・・・・・・

 こういうことなので、江戸時代には多くの女性の妙好人といわれる人達が存在しました。肉体的な修業は要らないのです。説法を聞いて、ご本願を信知出来たらその時が御仏との邂逅です。それ以後は御仏と一緒に臨終まで人生を歩いていけます。

 江戸時代は鎖国があり、幕府により、各藩が争うことが無いように様々な政策がとられ、平和な時代が続きました。そんな中、妙好人のほかにもたくさんの女性たちが活躍の場を与えられてきていたのです。確かに、家系図や証文などで表面には出てきませんが、実権を握っていたのは実は女性であったということが、研究を進めるにしたがって、史実や記録などで分かってきました。

 たとえば、大阪の商家は養子を取って跡取りを残す習慣がありました。だから長女はとても大切にされました。事実上の跡取りだったからです。養子は役に立たないと分かると容赦なく離縁されました。商家の取引先や使用人までの暮らしがかかっているのだから当然です。実子の男子が役に立たないと取り替えられませんが、このように養子であればそれほど心を痛めずに変わりの人を持ってくることが出来ます。現在の雇われ社長を交代させるような感覚だったのでしょう。
 しかしながら、雇われ社長は心底信頼できないので、本来の跡取りである娘たちにも帳簿や経営の全てが叩き込まれていました。夫はいつまでたってもよそ者で、信頼できるのは実子である娘なのでした。

 このように江戸から明治にかけては商家以外にも女子教育も盛んで、佳き家庭人になるように源氏や伊勢など古典や様々なことを学んでいた記録があります。現代の女性よりある意味では賢かったとも言えます。実際、おばあちゃんを育てたおばあちゃんは安政の栃木の武家生まれで、寺子屋や自宅で様々な学問を仕込まれていたようです。明治38年生まれのおばあちゃんの寝物語は高い教養がありました。旧制の小学校しか出ていないのですが、おばあちゃんから聞かされたことだったようです。

 ちょっと、話が煩雑になりましたが、このようなことを研究していく予定です。
 大学院での学びや、修士論文の進行についてもちょくちょくご報告させていただく所存です。
感謝していること
江戸や明治期のことを調べるのは結構面白いです。

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