今、この瞬間を精一杯生きていますか?

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zoom RSS 奥深く度量の広い人でいるために

<<   作成日時 : 2014/08/19 18:23   >>

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 上品さを最近考えていますと、その反対が表面的な浅く狭い範囲でしか物事を捉えられないことなのかもと思い至りました。
 物事には何らかの法則や因果応報があるのに、何か起こるたびに大声を上げて泣いたり叫んだりよろこんだり悲しんだりするのはいかがなもので、下品でさえあるような気がします。
 
 真理との邂逅を果たしてからは益々、自分の身に降りかかることは因果応報かもしくは御仏の善巧方便と捉えて、やってくることに身をまかせてお浄土への道を御仏と歩ませていただいております。

 常々、どうして他人の不幸を悲しまず、それどころかよろこんでいる人に水を差すような人さえいます。そういう斜めの見方を自慢し、売りにして本人は有頂天なのでしょうが、何だとても気の毒です。どうして自分の小賢しい名誉欲から離れられないものかとずっと不思議に考えてまいりました。

 おそらく人に同情できず、世の中のマイナスの面を見つけ出してそれを手柄のように得意になっている人は、真理から遠いのではないでしょうか。そして真理に近づこうとしない人たちなのでしょう。
 他人が悲しいなら悲しいねと哀れみ、嬉しいならよかったねと言ってあげたらいいのに。
 ただ、おそらく、盲人が崖から落ちそうな命にかかわること以外は、本人が気が付くまで見ているしかないのです。

 人間は環境に影響されやすい生き物です。だから、たとえ、真理との邂逅を果たし、御仏と二人三脚の人生を歩む境地になっても、煩悩の酔いからなかなか醒めず。害悪を及ぼす人も残念ですがあります。

 結論から言いますと、有り余るほどなにかを自分は持っていると自覚できる人しか、他人に分けて与えようとは思い至らないのです。無い袖は振れません。
 欲に流されたりしないように、一緒に持っていることよろこんだり、思い出させてくれる仲間も必要です。
 自分が実は真理の中で護られ幸せになれるように導かれているのだということに気が付くことが出来るか、まだはっきり確信は出来ないけれど、そうなんだろうなという人たちと一緒に居ることが大切なのだとおぼろげに分かってきました。
 信・未信に関わらず、真理との邂逅に価値を感じる人との集まりに身を置くのが気持ちがいいと今さらながらに知らされます。宗教の集まりをサンガといいますが、そうでなくてもどんな名前でもいいので、何かコミュニティができないものかと考えております。

 最初は少数でも、同じ志の人が集まれば、大きな力になります。
 今度の英国の会議で、機が熟していたならば、宗教の枠を超えた真理を求める集まりが出来ないか参加者に呼びかけてこようと思っています。
 そことは別に、日本の私の周りからでも何かできないかと思っています。
 『(○○○○○)素敵男子・女子の集まり』のカッコに何か入れて、各自がそれぞれの人生から問いかけられた使命を果せるような自助コミュニティが出来たらいいのに・・・・・・

 何か少しでもお金や物じゃなくても与えられる能力や気持ちがある人が集まって、それをどのように生かせるか考えていけたら素敵ですね。
 人には各自何かしら優れた能力があると私は確信しています。それが分からないで、見過ごされそのまま生かせず一生を送るのは余りにも残念です。
 一人では出来ない事でも、誰かと一緒なら、応援してもらえたなら出来るかもしれません。
 そのできることを小さなことからしていく方法を教え合ったり、励まし合ったりできる集まり(ネット上でも可)があればとこの頃は願っております。
感謝していること
この頃、朝夕は涼しくなってまいりました。

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