相手のレベルまで下り、合わせる余裕

 後、どのくらい生きられるか分からないので、私は自分の今まで学んできたことをストレートに人生のいろいろな場面や媒体で表現していきます。
 
 他人ばかりではなく、自身の子どもに対しても容赦なく育ててきたことが佳かったのかどうかは今は分かりませんが、それしかできなかったので仕方ありません。
 婉曲的に遠回りな言葉を使い優しい子どもになるような親切でかつ残酷でもあるかもしれない対応は出来ませんでした。

 子どもにとっては、とても厳しかったかもしれませんし、100%受け取ってはいなかったかもしれませんが、とにかくいつ私がいなくなってもいいように、その時もっているものをすべて開示していこうと、赤ん坊のときから思って育てました。

 まとわりつかれるのと、何度も無理なことを要求されるのと、ため息交じりの執拗な懇願の苦手な私は、それはノーだと初めから態度で示しました。
 出来ることはするけど出来ないことは何度言っても出来ないと教え込みました。
 特に、ため息をついて自身の気を緩め、人を不快にさせることは絶対するなと言い聞かせました。ため息をつくのは、自分を甘やかし同情を買うようなことをしても学びを中断するだけで自損損他にしかならないと厳しく叱りました。そんなことをする暇にできることを一つでもして、前に進めと。

 ピアノやソロバンや習字やパソコンのタッチタイピングなどの指先の技術を幼少の頃から習えたことを娘は今、感謝しているようですが、そのほかの生き方に関しても身を以て厳しくしてきた真意を私がいなくなってから、きがついてくれたらそれでいいです。

 今、周りの人に言っていることや書いていることを、それに関わっている全ての人に理解してもらわなくても、その中で感覚の合う人がそうだな、なるほどと納得してもらえたらそれでいいと感じます。
 自分の出来ることを全力で手を抜かず、気を抜かずストレートに表現していくことが私の学びであり、自他への思い遣りであり、そして使命であると存じます。
感謝していること
学びは気を付けていると、いろいろな所に転がっています。

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