小さい人たちへ 9

 みなさんは気持ちの持ち方でなりたい自分でいられるのです。
 小さくてもいろいろなことを周りの人に与えられます。
 赤ん坊でも子どもでもいつも機嫌がいい子とそうでない子がいるのはこの違いだと私は感じます。
 
生まれてからすぐ娘は笑っていました。看護師さんたちが驚いていました。この子は笑っていると話題になりました。生まれる前から、名前も決めて、音楽やお話や歌を歌って聞かせて、あえるのを楽しみにしていました。産院から退院後、身体が衰弱して自宅のトイレまでの10メートルを這っていくような状態でしたが、子どもが笑っているのを見て何とか生きようと力をもらいました。
 子育て中も御仏の願いを伝えることや資格の勉強などで多用な時も、丈夫で機嫌よく絵を描いていたりしていてくれて助けてもらいました。

 まとわりつかれて邪魔をされた記憶がありません。病気の時は看病したり、一緒に海外へも5回以上2人で行きましたが楽しい思い出しか覚えていません。私を助けるために生まれてくてくれたのだと感じます。今は思春期で難しい時もありますが、それはそれで黙って見守っています。

 親が障がいを持つ子どもとして生まれた赤ん坊は、親を助けようと自分でいろいろなことをするそうです。目や耳や口や手足の代わりをしようとしてくれるようです。

 大人でも子どもでも自分のできることを進んでしていくことが大切ではないでしょうか。
 誰かに言われなくてもドアを持って次の人を待っているとか、食べ物を分けたとき大きいほうを相手に譲るとか、いつもにこにこしていることは誰にでもできます。
 ただそうしよう、自分は与える立場でいようという意識があるかどうかです。
 何でもしてもらってばかりいるともらうのが当たり前になります。老人になって体が動かなくなっても、動く範囲は自分でする人とできるのにしない人とでは周りへの影響やその人への扱いも変わっていきます。

 みなさんのような小さいうちから、自分は生涯与え続ける立場でいようと決めることは大事で、そういう意識がいつもあれば、何もしてもらえないと不満を言うこともなくなります。どうしたら、何をしたら周りの人によろこんでいただけるかそのことを考えるのに忙しくて、愚痴や不満を言っている暇はなくなります。

 誰かが何かを自分にお願いしてくれる人生というのは何となく嬉しいものですね。
感謝していること
 今日で大学院の授業が終わり春休みです。14日までに提出するレポートもきっと自分の糧になると信じていいものを書く所存です。課題があるから締切に向けて取り組めます。
 同時並行で頼まれている二本の本の原稿の添削も同じ期間に仕上げようと決めました。

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