志高く

 https://www.youtube.com/watch?v=vA7a9tQl45A
 桃源郷のような幸せな日々を送っていた学齢期前から一転して、子どもという残酷な猛獣が襲ってくる檻に入ったような小学校生活の中で出合った、浄土仏教。日本の鎌倉時代に法然聖人・親鸞聖人がこんな素晴らしい教えを伝え、後世の人たちが日本語でその真髄を読み、聞くことが出来る可能性は私にとっての一筋の光でした。
 必ず、生きている間に、両聖人と同じ信心を獲て、私もまたそれを今度は書いて、たくさんの人たちに話す人生を送ろうと決意しました。

 その後の道のりは長く苦しいものでした。
 世間の多くの若者が浮かれている間、真剣に真理と向き合い、人間の本質を見つめました。理不尽なことも、これは人間のすることではないというような我欲にとらわれた行いも目の当たりにして、何度もあきらめかけ、死んでしまおうとしたことも数えきれないほどありました。それでも、私はどうしても志を変えることも、自ら命を絶つこともできませんでした。どうしてもこのこと一つ果たさなければ死んでも死にきれないと思われたからです。

 釈尊が説かれた御教えがたくさんの高僧方の命がけのご布教でインドから中国を通り日本に伝わったことに思いを馳せ、聖徳太子や源信僧都の御恩を聞かせていただくと、どうしても今生で自身も御仏との邂逅を果たし、分かりやすい言葉で教えを残していこうという志を中断できませんでした。

 ほかの誰でもない私しか出来ないこと、それをするために生まれてきた。それは御仏から信心を賜り、それを伝えること。真理との邂逅はそれが目的だと思っていましたが、長年かけてそれを賜った時、痛感したことはそこが出発点だったということでした。

 今は、日本人として、能力の限り私に出来る御恩報謝をさせていただいていますが、今後も継続していく覚悟です。
 その一つとして今、そして100年後に、私のような周りのむき出しの欲望の間で翻弄する子どもや、人生の意義を見いだせず、志を持てない大人たちに理路整然としたそれでいて温かみのある論文を残すために研鑽の日々を送ることを決意しました。
 対面やインターネットなどを駆使した1対1やその他の形式の対機説法も開発し、浄土仏教が御仏の願い通り、日本だけでなく世界中にひろまっていくのを見ることが出来るように、御仏との遣いとしての役割を果たせるような生き方をしていきます。
感謝していること
志は高く持つのだということを再確認させていただきました。

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