布教者(実践宗教家)と信者の相違点
利他の精神の有無もしくは、強弱です。
自分さえ助かれば、後はもうお構いなし。
これでは無慈悲でとても残念ですが、仕方ありません。
そもそも使命感の欠如というのはどうにもなりません。
能力の有無ではありません。
いかに恩を感じ、報いようとする気持ちが有るか否かです。
死の不安の解決、この根本的な問題が解決できたら、もう何も要らないという気持ちで、物心ついた時から生きてきました。そして、それが出来たら、同じように死の解決を求めて生きている人たちの為に何か力になることをしてから還ろうと、死なないで生きてきました。
人徳も体力も精神力も知恵才覚も何もない私ですが、いつも機嫌よく明るくどんな人にも勇気を出して平等に接すること、文章の読み書きくらいはできるので、それを活かして真理との邂逅の後、生きてきました。
今後何が出来るかわかりませんが、完璧な救いもしくは悟りとは真理に対する疑いが晴れたか否か、自力から他力への完全な転換出来たことがそのターニングポイントであるとわかりましたので、それを中心に研究し論文やプレゼンテーションで発表してまいります。
ただ、有難い、救われた、助けられたでは、いつまた元に戻るか分かりません。全く疑いが晴れ、二度と元に戻ることの無い状態、完全に自力から自由になり、もう何も迷ったものを掴まない状態がいかなることであるかを、残りの人生で口頭や文章で伝え続けていこうと、フランスの研究旅行で決意を新たに致しました。私しかできない、伝えられないことがあることが分かったので、それを明らかにしてまいります。
感謝していること
真理との邂逅は本当に困難で、ほんの一握りの人しかできません。そしてさらに難しいのはそれを望む他人に伝えることです。それは菩薩道と言われます。とても小さな歩みで止まっている時間も長いですが、釈尊を始めとして、先達が進んだ道を、私も少しずつ辿れることを有難く感謝いたします。
自分さえ助かれば、後はもうお構いなし。
これでは無慈悲でとても残念ですが、仕方ありません。
そもそも使命感の欠如というのはどうにもなりません。
能力の有無ではありません。
いかに恩を感じ、報いようとする気持ちが有るか否かです。
死の不安の解決、この根本的な問題が解決できたら、もう何も要らないという気持ちで、物心ついた時から生きてきました。そして、それが出来たら、同じように死の解決を求めて生きている人たちの為に何か力になることをしてから還ろうと、死なないで生きてきました。
人徳も体力も精神力も知恵才覚も何もない私ですが、いつも機嫌よく明るくどんな人にも勇気を出して平等に接すること、文章の読み書きくらいはできるので、それを活かして真理との邂逅の後、生きてきました。
今後何が出来るかわかりませんが、完璧な救いもしくは悟りとは真理に対する疑いが晴れたか否か、自力から他力への完全な転換出来たことがそのターニングポイントであるとわかりましたので、それを中心に研究し論文やプレゼンテーションで発表してまいります。
ただ、有難い、救われた、助けられたでは、いつまた元に戻るか分かりません。全く疑いが晴れ、二度と元に戻ることの無い状態、完全に自力から自由になり、もう何も迷ったものを掴まない状態がいかなることであるかを、残りの人生で口頭や文章で伝え続けていこうと、フランスの研究旅行で決意を新たに致しました。私しかできない、伝えられないことがあることが分かったので、それを明らかにしてまいります。
感謝していること
真理との邂逅は本当に困難で、ほんの一握りの人しかできません。そしてさらに難しいのはそれを望む他人に伝えることです。それは菩薩道と言われます。とても小さな歩みで止まっている時間も長いですが、釈尊を始めとして、先達が進んだ道を、私も少しずつ辿れることを有難く感謝いたします。
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