報恩講・御示談・御恩報謝・信心決定

 先週末は某所の報恩講に参詣しました。報恩講のご縁に遇うのは10年ぶりです。 そして夜は若い僧侶の方の少人数御示談もご一緒できました。

元某真宗系団体の講師や福井支部会員であった親子ともお会いでき懐かしく何とも言えない気持ちでした。いつもfbでお話しさせていただいていたお若い僧侶の方々とも直接初めてお目にかかれました。これからが楽しみですね。元会員で一生懸命信心の話をしていた福井の元会員さんの今月亡くなられたのは訃報を聞きとも残念でした。私は残り少ない人生で、これから何が出来るのかと今考えております。


 話は変わりますが、浄土真宗の僧侶で「真仮の水際」を分かって対機説法が出来る人はどれくらいおられるのでしょうか?私は9年前の1月9日に疑情が晴れてからずっと信心の話をしてまいりました。毎日沙汰を電話で3時間ほど、半年くらい、インターネットでは文章を毎日書き続けたところ、次の年の夏ごろ同じように疑情が晴れた瞬間をお話ししていた人との電話で知りました。対面では自宅で沙汰をしていて、お話ししていた人の様子がふっと変わったのを確認できたのがその数週間後でした。それからは面談やスカイプや電話の声などでその瞬間を何例も立ち会ってきました。


 中には救われても、一週間、一ヶ月と自分では気が付かない人もいました。私にはハッキリわかったので不思議な感じでした。夜の御示談でご縁のあった方がそのようなタイプだったようです。お話しくださった方に「よくここまで求められました」と言われたらしいのですが、自分ではそれがずっと信じられなかったらしいのです。福井の元会員さんのお母さんも17年救われていることにきがつかなかったし、御示談でご一緒した僧侶の方も10年くらい、きがつかなかったと言われていました。欧州の友だちも私と英語でチャットして、自分の信心を追認したと言っていました。

 私は本当に鮮やかでハッキリした体験だったので疑いようもなかったので不思議です。真宗カウンセリングの西光義敞さんが本に少し書かれていたような感じでした。炊いたご飯やイモがもとに戻らないのと同じように疑いも全く消え、御恩報謝の気持ちは相続しております。

某真宗系団体でも実は救われているけれど、頑なにそうではないと思い込んでいる人がお話しくださった方の外にもたくさんいるかもしれないので、そういう人に話をして欲しいと言われました。ご縁があればそのようにさせていただけたらと存じます。

 真宗カウンセリングは身調べだと私は解釈していました。今でも本来はそうあるべきで、信心の沙汰といってもいいですが、疑情が晴れたか否かを調べるもの、晴らしていただくところまでの対話の手段と捉えています。自分自身が通って来た道なので、目の前の後生の一大事に驚きが立っている方が、どういう気持ちなのかは痛いほどわかりますし、話していて、何を次にいったらいいのかも30年の聞法と9年間の沙汰の研鑽ほぼ分かります。

阿弥陀仏とバトンタッチするタイミングも分かります。

 でも私の実践部分は論文には書きません。博論はあくまで単なる通過点です。その後の論文には好きなように書けたらと思います。論文もですが書籍で書きます。これからどのように私が御恩報謝して生きていくのかは、論文を書く過程や、いろいろ実践しながら決めていこうと存じます。みなさまからも、何かこんなことをしたらいいというものがあればご教示いただけたら幸いです。

 信心のハッキリ定まった若い僧侶の方々、元某真宗系団体の方々には対機説法、信心の沙汰をどんどんして欲しいと願っております。僧侶の中には信心調べ、身調べ、信心の沙汰が出来る人はいないのでしょうか。それもかねてから疑問に思っていることです。また機会があればどなたかそのことについて教えてください。

 いろいろ知らされたことがありましたが、元の代表者の奥様にまたお目にかかれたことが一番嬉しいです。本当に光に包まれお優しい素敵な方です。毎月の勉強会にも来られて、にこにこしながら聞いておいでです。母と同じくらいの年代で、お健やかな長寿をお念じ申し上げます。

感謝していること
 心が震えるようなことを時々体験させていただきます。これも人間界の楽しみ、醍醐味であると有難く感謝いたします。







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