今、この瞬間を精一杯生きていますか?

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zoom RSS 死ぬほど辛い経験をしたひとしか信頼できない

<<   作成日時 : 2018/07/20 19:07   >>

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 仮にあるひとが、私のことを信頼してくれていたとしても、やっぱり疑い深い私はその人を本当の意味で信頼できません。そのことが知らされました。

 魂の臨終を迎えて二度生まれの廻心の体験をするまでの私の求道期間は、とても孤独で辛く苦しいものでした。同じ信仰体験をしたひと、もしくは、死の淵に立たされるような病にある人やそれを一時凌いでいるような状況のひとしか私は本当には信頼できません。

  信心の話を共有できる真の意味での友だちがもうダメなのではないかと言ってこられたとき、私は目の前が真っ暗になりました。法の友だちというのは本当に掛け替えの無いものです。どうか、もう少しだけ、病気に飽きて、病気でいることを止めて、生きることに決めて下さい。使命があれば、生きる気力があれば、満身創痍でも、点滴だけでも何年も生きている例を私はたくさん見てまいりました。

 それから、ずっと挨拶をしたり、たまに話をしたりしていた友だちが、大病をして再発はまだないけれど、未だに不安を抱えていると最近、聞きました。そのひともあまり他人を信頼できないと言っていました。その意味は、分かるひとには分かると瞬時に感じ取りました。仕合わせな人生を送ってきたひとは、何でも当たり前で、感謝することができずにいます。感謝の気持ちはひとに教えられるものではありません。

そして、他人に負い目を感じさせ、見下し、粗雑に扱い、自分に都合が悪いと途中で遮ったり、無視したりするひとたちにうんざりしたりします。そういう状態を、このひとたちとは心が通じ合わないし、住んでいる世界が違うのだと悲しいけれど、一種の諦めというか、達観したような境地で生きるようになりました。

もともと、煩悩であまり悩むこともなく、自分中心で世界が動いていなくても構いませんでした。ただ、死の不安の解決ができさえすれば、その場で死んでも後悔しないという気持ちで生きていましたから。それでも、その目的が達成できたら、一人でも多くの人にそういう境地があることを伝えたいと、ただそれだけで、未だ生きながらえています。

何事に対しても淡白で、何かしたいこともなく、縁が来たことをしています。あまり長く生きられるとも思いませんし、生きられるだけ生きたらそれでいいのです。人目を気にするとか、やりたくないことをするのはよそうとしています。せっかく死の解決の目的が達成できたのですから、あとはゆっくり気楽に嫌なことは避けつつ、御恩報謝の道を御仏や同じ境地に達する経験をした法友と共に歩いてまいります。

感謝していること
何も望まない、欲しくないというのは結構気楽です。こんな気持ちでいられることに感謝いたします。


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