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zoom RSS 生死を超える、転迷開悟と人間理解は目的が違う

<<   作成日時 : 2018/07/29 09:45   >>

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 人間理解の先に仏教の目的である生死を超える、転迷開悟があるのではありません。人間理解は終わりがなく、限も際もありません。生死を超える、転迷開悟は今生、今、ここで成就出来ます。一度その心境に出たら、その先戻ることはありません。
 そこを間違っている人が多く見受けられます。方向が違っていたら、目的地には永遠に辿りつくことはありません。

 人間は凡夫といわれるように煩悩に目鼻を付けたような存在です。言うこと想うことがころころ変わる「こころ」に翻弄され生きているような不安定で不確実なものです。今と少し先が全く別のことを言っても平気でいられるし、自分では矛盾しているとは感じられないのです。そんなものを追求しても、分かろうとしても限も際もなく時間の無駄です。本当に迷いを抜けたいなら、そこを十分知り、あくまでもカウンセリングや傾聴というのは真理に到達するための方便であり、通過地点でそこは通らないとならないけれど、目的になってしまってはならないのだということを弁えた人から真実信心の話は聴かないとなりません。

真理ではない煩悩しかず、それを大事だと感じて必死で守る人は、真理を絶対受け付けないぞと、真理をひょいひょいすり抜け、わざと不仕合せになることを選びます。真理に到達したひと、求めている人に対して「妬み」とか「うらやみ」という感情を露わにし、「批判」「反発」「軽蔑」など露骨な態度で、真理を受け付けないし、反って貶めることを平気でやってのけます。これら全ての総体を自力といいます。
残念だな、悲しいことだなとは感じますが、仕方ありません。真理を疑う気持ちは真理との邂逅をする直前まで離れ切りません。

自身が真理を求め、疑いを完全に晴らすところまで到達したひと、更に何人も同じような境地に出るところまで話をして来た人から聞くしかありません。煩悩の理解のみで満足し、傾聴できた、理解し合えたと勘違いの感動で留まっている人を、その先があるのだと心を揺り動かし、不思議の刺激を喚起し、本当に真理との邂逅を目指す方向を示せる人から信心のことは聞かれることを念じます。

感謝していること
 偽物本物があることをいろいろなことから知らされます。不思議です。

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