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zoom RSS カウンセリングや傾聴の技術は習得し出来ますが、それでは無明は晴れません

<<   作成日時 : 2018/07/29 10:32   >>

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 常に私が人と接し、話す目的は信心を獲ること、迷いから覚めることです。人間理解や傷の舐め合いや慰めではありません。むしろ私は感情的・感傷的なことから距離を置いています。自己実現には、共感、受容、自己一致はそれなりに重要でしょうが、自己超越にはそれらは直接は役にも立ちません。

 カウンセリング、傾聴は、表層では分かり合えた気になっても、深層心理までは絶対分かり合えることはありません。そのことを十分理解した上であくまで、真理に至らしめるための方便として信心の話をするなら、カウンセリングや傾聴は有用です。ただ、あくまで信心を獲ることを主目的としてカウンセリングや傾聴はその手段としないと本末転倒になります。

 信心の話とカウンセリングや傾聴は異なるのだというなら、「真宗カウンセリング」とは言わない方がいいと私は考えます。真宗と名乗らず、ただの「カウンセリングや傾聴」でいいです。阿弥陀仏の本願の生起本末の抜けた真宗など存在してはなりません。

 「響き」という表現も気に入りません。お話しされる人によっては、そういうことはあるとは感じます。私には自身が響くようなものではないと感じております。だから、人格的なことに頼らず、言葉で阿弥陀仏の本願のおいわれを自身が聞かせていただいたことを、話しています。

 聞き手のレベルと合わせるのはそれなりに大切ですが、苦しみの根源が煩悩ではなく、無明にあったことを示唆する話をしていくことこそが大事です。短命の人間にとっては最このことこそが最優先です。本願の不思議、尊さ、実際に救われる頼りになることを話したらいいだけです。

 本願の素晴らしさを話して、批判し避けるなら、そういう縁の人です。ただ諦めたわけでは成りません。話をしておいたら、その人が何時思い出すかわかりません、たとえ、臨終に思い出しても、来世やずっと先でもいいのです。心に刺さる、喚起する、煩悩に留まってはいけないのだという気持ちをふっと感じさせるご縁になることが必要です。感覚の響きがあればそれプラス、言葉で刺さったこと両方がその人が信心を獲る機縁になります。響きを与えられない未熟な私は努めて言葉でお話ししています。言葉で話さなくても伝わるという人はよほど、自分が響きを与えられると自惚れているのかとも感じます。

 残された時間の少ない私には、カウンセリングや傾聴を極める時間はありません。ほどほど、適当でいいと割り切っています。その先、人間が本当に迷いから抜ける決勝点を目指せる方法を研鑚しておる最中です。

感謝していること
 頑なな心、慢心、自説を否定された憤りなどいろいろなことを訴える人に、そういうものだと割り切っても悲しく辛いのをこの三次元で学ばせていただいております。


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