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zoom RSS 宮本常一の対話・文章にみた、ざらざらごつごつして何か引っかかる感覚

<<   作成日時 : 2018/09/14 09:23   >>

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 私はインタビューよりも何倍ものカウンセリングや布教(信心沙汰)での対話をしています。自分でいうのもおかしなことですが、私は、おそらく、インタビューアーとしてよりよく質問し、聴けるのではないかという感覚があります。
 
従来のカウンセリングのやり方といわれる、ただ傾聴するのみの在り方であるならば、私はカウンセラーには成り切れていないかもしれません。対話というのは相手の言うことに応じて、応答していくものです。しかしながら宗教カウンセリング、及びスピリチュアルカウンセリングにおいては、ある一定の方向性があるのです。それは真理のようなものとの邂逅を目指し、自力を徹底的に排除していく過程なのです。

一般の人間の悩みである人と人の関わりや愛着や貧・病・争は、本人が自分の内面から引き出す従来のカウンセリングでも間に合いますし、そのようなカウンセリングの態度が良い場合も多いです。
しかしながら、生死いづべき道や人間存在としての悩みは自分の中に解決方法などありません。自分ができることがあるとすれば、真理のようなものの存在を知らせてもらい、ただ自力を手放すこと一つです。これはできることというよりも、出来ない事を知らされ、真理のようなものにゆだねるやり方です。相談者の内面にあるものを聴き続けても、それは相対的なことで栓がなく、延々と限りなくエンドレスな状態です。それから抜ける智慧を宗教は示すのです。

宮本常一という民俗学者がいました。彼は人の話を聞き出すのがとても上手でした。相手の懐にするりと入り込んで、ほかの人が聞き得なかったことを聞き出しました。インタビューといっても対話です。対話は相手との相互作用なのです。話す方は相手がどこまで自分の話を聞いてくれるか常に見極めます。話しながら、次に話す内容を考え、少しずつ小出しにして、理解してくれたなら、その先を話し、そうでないなら別のもっと浅い話をするか話題を変えたりもします。
学問の世界には質的調査というものがあります。量的調査という多数の人に行うインタビューやアンケートとは異なるものです。ある個人とじっくり関わり話を聞いていくものです。そのとき聞き手が器の大きい何でも受け入れてくれるそう経験豊かな人であるか、大学を卒業して、大学院に入りようやく研究者の道に入ったような社会経験も内容な人とでは、話し手の放す内容はおのずと異なることは当然です。

人文科学において、有用な仕事を残す研究者もしくはカウンセラーのような仕事をする人は、大きな器で研究対象や相談者を否定せずに受け止める度量・器量ある人です。これは訓練というよりもその人の生まれ持った才覚や気質が大きく関係するので、ある一定のレベルからはその才能の有無で進めなくなります。そのときに別の道を行くか、しがみつくかはその人の考え一つです。

才能のある人の話や書く文章や対話の内容は滑らかな美しいものではなく、ある意味ざらざら、ごつごつしたひっかかりのあるものであることが、多くの論文を読んで、もしくは対話を重ねて、きて分かり始めたところです。換言すると、このひっかかりが分かるということは、自身がそのことに深い関心を持ち関わろうという意思の有無であります。文章や対談でひっかかりをある種心待ちにして探してやろうという楽しみがこの頃は出てきました。これが研究の醍醐味なのかもしれません。

感謝していること
 論文を書いていて、結論がなかなか見つからなくて、あれこれ寄り道をしていましたが、その中で何か一筋の道が見えてきました。有難いです。

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