全面依存(無条件降伏)していいのは親ではなく真理

 モラハラ加害者と被害者は親に自分は精一杯あなたの心身の面倒はみるけれども、本当に向かうべき先は別のものであると知らされてこなかった、ある意味、気の毒な人たちです。ある程度の温かな関わりが持てはしても、これが限界だと知らせてくれるいいか悪いかは分かりませんが、平凡で善良な親を持ちませんでした。加害者も被害者も虐待や放置をされるか、反対に親から頼りにされるといった子どもらしい子どもでいられる時代を過ごしてこられませんでした。

  だから、大人になっても、親の代わりの裏切らない人間を求めます。親以上に見返りを求めないで関わる人間が皆無であることを告げられていないし、感覚としても体験がないので分からないので、見果てぬ夢を追い続けます。つまり、モラハラの加害者は大人しくて言うことを聞く被害者に我儘放題、好き放題をします。被害者は加害者の望みどおりの言動をすることで彼らが親の代わりの存在でいてくれるかもしれないという望みをもって、せっせと賄賂を贈り続けます。

 ごく一般的な親に育てられた子どもたちは、多くを望まず、喧嘩をしたり、欲望を小出しにしたりしながら、騙し騙し世間と言う実体のない倫理道徳を何の疑いもなく信じて、小市民よろしく生きていきます。多数の意見を良しとし、それに外れる人たちを汚いものを見るような目で避けたりするのがこの人たちです。

 本来、本本当に向かうべき先で裏切らないのは真理なのであり、その邂逅を生きている間に済ませないといけないとならないと、先に真理との邂逅を済ませた親やほかの誰かに巡り合える人は滅多にいません。でも、全くいない訳ではなく、真の意味で幸福なご縁の深い方です。この世は家庭でさえも、真理を信知出来ていなければ、迷いの中にいて、真の意味で生きている実感もなく、居場所はないのだと、辛いけれど真理を教えてくれる人は善い人生の先生です。そういう方に巡り合えたなら、食らいついて離れないことです。ただ、自身も本当に泥沼を這いつくばり、泥水を啜りながら、真理を求めた方なので、厳しく、妥協をせず、甘やかしや依存をさせてくれません。それでも、今生で真理との邂逅がしたければ、その厳しい環境に飛び込んでいくしかないのです。

 人並みの仕合わせな生活を送っていると感じる人も、心の底からよろこべず、真っ暗ではないですが、薄ぼんやりとした死後が気になり、人生は迷いの連続であり苦しみです。

それが、一点の曇りのない眩い光の中を、真理と一緒に旅ができる身に救われることができるのです。モラハラの被害者や加害者も人間ではなく真理との邂逅を目指せば、違う生き方ができます。それ程執着や依存が強いなら、真理に向かえば、満ち足りた人生に変われます。

 ずっと私はモラハラの加害者を非難するような言い方をしてきました。でも加害者も被害者も真理が分からず迷っている気の毒な人であることには変わりません。遺憾な気持ちです。どうか真理との邂逅を目指し、今生で一日も早く、遂げられることを念じて止みません。

感謝していること
 真理との邂逅以前の長い年月ももうすぐ10年になるその後期間も、人間である苦しみは変わりません。でも、真理との邂逅後は生死を超える道を生きることができ、今、存在しても、ここにいてもいいといってくださる目に見えないお方との未だ見ぬ光の世界への旅を楽しんでおります。


この記事へのコメント

この記事へのトラックバック