どんなに辛く苦しい目に遭っても、まだ懲りないで迷っていると感じない残念な人たち

 うそだろ、いい加減きづいたら!
 目を覆うような虐待を受けながらも、虐待の主を庇う発言をする人たちって何?

 モラハラ、DVは支配やコントロールであり、加害者を肯定したら、そこから抜けられません。何で、殴る蹴るをするけど、いいときもあるし、酒さえ飲まなければ日頃は大人しい優しい人なんだけれどなんて擁護するの?殺されない内に、身心が痛くならないうち逃げなよ!自由に生きる道は何十何百だってあるのですから。探せばいいです。囚われのブロックを外したらいいだけです。

 しらふだろうと、酒飲んでいようと、体格・体力で勝る男が殴る蹴るをした時点で関係は終わってます。「黙れ、出ていけ」も同様です。その場で「もう一度このようなことがあったら、私はあなたの前から姿を消します。もう二度と関わることはないでしょう。本気でさよならします。」と告げて、再び同じことがあれば、もうやり直す事は出来ないのだと毅然とした態度を取れる人は少ないのでしょうか。

 こんなに辛いなら、早くこんな娑婆で苦しむのを止めにして、覚りの清浄な世界に転じる身に今ここで救われたいとなぜ決意できないのでしょうか?中途半端な苦しみなので、それほど困っていないのですね。残念ですが仕方ありません。私には他人を変える力はありません。

 たぶん、死の解決ができた後なら、モラハラやDVをする相手とは、もう今生では二度と関わることなしでも生きていけると徐々にわかってきます。孤独だ、淋しいという仏や菩薩はいませんから。覚った後は、ずっと衆生済度の活躍の活動があるのみですから。

 もし仮に、生活もままならない様で、あまりにも辛すぎて人生を続けていくことが不可能なら、私なら死を選び、死にます。この世にすがるものも、当てにするものも、何の未練もありませんので。まあ、死ぬ気で何事にも臨んだら怖いものなしですけれど。

感謝していること
 嫌なことは嫌だと面と向かっていうとか、何らかの方法で伝えられることができるようになりとても楽になりました。


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