今、この瞬間を精一杯生きていますか?

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zoom RSS ひとが救われていく課程の理解

<<   作成日時 : 2019/02/05 08:47   >>

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 「機の痛み」を脇に置いていないひとは優しく、温かいことを知りました。

 どうしてこんな辛いことばかりが次から次へとやってくるのだろうかと物心ついたときからずっと感じていた人生でした。楽しいときは一瞬で過ぎ去り、私の人生のほとんどが悲しくて、遣り切れないことばかりで、人生は苦しみの連続でした。

何で私ばかりこんな悲しみの疼きを真正面から受け止めてしまって、上手いこと交して避けられないのだろうか、損な生き方しかできないのだろうかといつも感じていました。周りの人たちは適当に苦悩や痛みに麻痺しているような発言を繰り返していました。私にはそれを理解できず、また、慣れっこになり理解することも嫌でした。

考え方を変えたら、楽に生きられるのかと試みましたが、「機の痛み」を脇に置くことはどうしてもできませんでした。辛い中で何を私は学んでいるのだろうかということが少しずつ、今回のトルコの旅で少し分ってきたような気がします。博士課程に転入してフィールドワークと称して、ロシアのエルミタージュ、インド、ヒロシマ、フランス、フィリピン、中国シルクロードいろいろなところに行きました。そして今回のトルコが博士課程の卒業旅行のつもりでやってきました。

 トルコツアーも今日と明日が終わると明後日は日本に帰って解散です。私はシルクロードの終着点のトルコで仏教的なものを何か見つけたいと探索しながら旅を続けていました。始めにトルコ人のガイドさんの日本人に共通する「機の痛み」を感じるアンテナを見つけました。ご家族も同じような感性を持っていることも話の端々に感じ、宗教は異なるものの、ウラルアルタイ語を話すトルコ人なら仏教を心で受取ることができるのではないかと、絹の繭の糸口を見つけたように嬉しく感じました。

 そして体調が思わしなったとき、ガイドさんや運転手さん、そして日本人ツアーの年配のみなさまのお心配りがとても身に沁みました。特に娘さんがご病気を乗り超えたお話をしたご夫婦が冗談めかして私を励ましてくださいました。さりげない温かさは、「機の痛み」に親子で真正面受け止めた経験からくることなのかときづきました。

 ささやかなことではありますが、私が直面して感じてきた「機の痛み」も、それを活かして真理との邂逅の話ができるのではないかと、新しい方向性を見つけた気がしました。ひととしての矜持、潔さ、自分を後回しにする真摯な生き方を目の当たりにする貴重な体験をさせていただきました。

感謝していること
 今までノンストップで休みなしの人生でしたが、トルコの「ハマム」で何も考えずに、苦悩もどこかに纏いながらホッと一息つく経験ができました。長いこと、父の臨終の言葉が分らず、リフレインしていました。「おまえはがんばって、がんばって、がんばってきたから・・・・・・」の続きの一つは、「たまには休んでもいいよ」だったのかもしれません。別の角度から論文が書けるかもしれません。


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