人間の間は老病死から絶対逃れられないことにきづかせ、そのままで救われるの方向を示すが宗教の役割

 生死出づる道に出た、生死を超えたといっても、この肉体が老いて病になり死なない身になる訳ではありません。人間として生まれたからには、老いも病も経験しない中折れはあっても、死は回避できません。

 加えて、また、煩悩の貪欲・瞋恚・愚痴によって、常に心休まることない一生が展開していきます。そんな中、生死を超える目的を目指して生きるなら、山奥に籠って修行するしかありません。釈迦族の王子であったゴータマ・シッタルダ(私たちは釈尊とお呼びしております)はそうした修業を経て仏陀となりました。その後もたくさんの修行者がでましたが、地球上で後にも先にも仏となられたのは釈迦牟尼仏ただお一人です。

 日本にも仏教が伝わり、蘇我氏や聖徳太子が仏教を守護し、浄土仏教は源信僧都、法然聖人、親鸞聖人と受け継がれていきました。親鸞聖人も9歳で出家なされ、29歳で比叡山を出て、法然聖人にお出合いになるまでご修行されました。お三方は皆、はじめ比叡山でご修行されました。法然聖人は山の上の仏教を全ての人が救われるものにしたいと比叡山を降りて、京都で身分の隔てなく御説法をされました。その御意向を継承された親鸞聖人の御教えを覚如上人、蓮如上人等のご活躍で私たちは浄土真宗の教えを聞かせていただいております。

 特に蓮如上人がご存命だった室町時代は戦や飢饉が多くあり、無常を目の当たりにした時代でもありました。そのご生涯で、お連れ合いやお子さまをはじめご門徒の方々の死の中にあった蓮如上人は「後生は一大事であるから、せっかく尊い仏法に遇わせていただいたあなた方は、また迷いの生を繰り返すことなく、一日も急いで生死出づる道に出よ」とご教導くださいました。真宗の通夜や葬儀では「白骨の章」が拝読されることが多くありますが、その場にいて、その内容を御説法で分かり易く聞かせて頂いたら、中には我が身の老病死にきづいて仏法を求めるかもしれません。ただ、求めたいという人が出てきたときに、教えを正確に生死出づる身にさせてくださる御仏との邂逅の直前まで話せる人に遇えるかどうかがとても重要になります。ご縁まかせとはいえ、大変なことです。

生死出づる道を求められる方に方向性を示し、御仏とのお出合いを真の意味でお手伝いさせていただくことが宗教、そして宗教家の役割であります。他は何もありません。老病死からも煩悩からも逃れることができずにいる人間の悲しみ痛みに寄り添いながら、道を示すことなのです。

感謝していること
 尊いご縁が陰に陽に次々やって来ては、未熟者の私にいろいろご教示くださいます。


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