親子でも実はそこまでしてくれなくてもいいという線引きをして他人と同様に生きている現実

 人間はその人の能力を超えることはできません。無理をすると身心が壊れます。肉体の病気に罹り、精神が狂います。だから、お互いに遠慮しつつ、様子を伺って生きています。乳飲み子でも放って置かれるのに慣れると、泣かなくなります。 

 歳を経るにしたがって、このような不条理さを身を以て体験する祖父母たちは孫たちに対して寛容であり、自身のできる範囲で願いを叶えてやろうとします。両親が激怒した時、後でなだめてくれる祖父母に小さい子どもたちはどんなに救われるでしょう。

  たとえ、両親のどちらかが欠けても、もう片方の親や祖父母が養育してくれることを感謝して有難く感じていたら、被害者にならずに生きられます。でも、周りを見渡すと、両親が揃って、何の憂いもなく安心して親に甘え切っている子どもたちを見るとどうしようもない悲しみに襲われます。けれども、それはどうにもならない仕方のないことなので我慢します。

 実の親でも、身心が病んでいる場合もあります。病んでいなくても、家事や子育てにストレスを感じたり、何もしないとか昼間から酒に溺れ、働きもせずギャンブルに嵌る親もいます。どこにも、完全な親などいないのです。どこかしら、不完全なのが人間であり、親だからといって、完全さを求めるのは間違いなのです。

 ましてや夫婦、恋人、友だちならなおさら様子を見ながら、そこまでしなくてもいいよといいつつ遠慮しながら付き合うくらいで丁度いいのです。自分のできることは自分でして、どうしても助けて欲しいことだけお願いしないと、負担になってしまい共倒れになる危険性があります。これは親子でも同様です。

 所詮、人間同士の間柄で、完全に依存することは無理です。それは宗教の仕事です。真理との邂逅でしか果たされないことなのです。ここを理解できない多くの人たちは、人やほかの何かに依存して、裏切られては、また別のものに依存することを繰り返して、迷いの中で一生を終えていきます。仕方のないことなのでしょうが残念で悲しく心が痛いです。

感謝していること
 全く何も気にせず、全てをゆだねられる真理との邂逅ができたことを有難く感謝いたします。


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