初めに志があった

 何かしようとしたとき、漠然としてきた事は、途中で方向が違ってきたり、挫折してしまったりします。
 志が、あって始めた事は、迷った時、疲れたとき、初めに戻ることが出来ます。
 
 志の有無で、欲に流されたり、ヒトに利用されたりするか否か違ってきます。
 何のために始めたのか、どうしたかったのか考えたら、方向も間違えないし、しんどくなっても、少し休んでまた始めようという気持ちになります。

 ヒトが幸せになることを願って、尊い志をもって始めたあの頃にいつも戻りたいと私は心掛けています。
 私の周りで起こったことに、酷く傷つき、悲しい思いをしてきました。
 だから、自分本位でなく、ヒトも傷つけない、大袈裟ですが、宇宙との調和を考えて、自然環境や社会生活に貢献出来る生き方をしたいです。

 自分の立ち位置や中心になる軸が曖昧だったり、ぶれたりすると、何をしているのかわからなくなります。
 自分を賛美するヒトを集めたり、その人たちから、お金を取ったり、するヒトもいます。
 自分が好き勝手なことをして、楽しんでいるのを見つかってしまって、自分の名誉を守るために、口封じの為にその相手を嘘つき呼ばわりしたり、人格を否定する事まで周りに言いふらしたりするヒトも見てきました。
 
 もし、ヒトを幸せにすることが、初めの志だったのなら、反ってヒトを苦しめることをしていることには気が付かないのでしょうか?
 ヒトを苦しめて、傷つけても、そんなことがどうした、くだらないと開き直っている始末です。
 
 人間は本質的に、楽しみたい、ヒトから非難されたくないの快、不快で生きているのでしょう。
 勿論私もその一人です。
 だから、楽しんでいい思いをしたり、誤魔化したい気持ちも、分かります。
 ただ、本能の赴くままに生きてしまうと、初めの志から、遠ざかってしまうのではないかと、囁く声が聞こえてくるのです。
 その声に、ふと我に返って、こんなことでは、何をしているのか分からなくなると、思い直してきました。
 ブログを始めてからは、たくさんコメントやメールや気持玉で、温かい励まして頂いて、初心に立ち返っています。
 放っておいたら、我が儘で、あらぬ方向に行ってしまう自分を、書くことで戒め、何とか少しでも、前に進もうとしています。
 読んで頂いている皆さんにも、実生活の言動が、ここに書いていることと同じであるように、嘘つきにならないようにと心掛けています。

 自分自身が、完成形という姿ではなく、リアルタイムで試行錯誤して、生き方を模索しながら、今現在、悩んでいる姿も、何かお役に立てるかも、皆さんの励みになって頂けるかもしれないと思って、毎日書き続けています。

 パソコンや携帯の画面で、そんな私を見守って下さっている皆さんが、有り難く、感謝の気持ちで一杯です。
 
 

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