宗教中毒 依存 共依存

 不思議で不思議でならなかったことの、原因がやっとの事で分かりました。
 家族は宗教中毒だったのです。
 中毒=依存症
 そして、私は共依存者

 宗教を酒やDVと置き換えて考えてみました。
 酒は身体に悪く、家族や周りに迷惑をかけ、本人の身体も蝕むことを分かっていながら、やめられません。
 宗教団体の教義も組織も破綻しているのに、そこに癒しを求め、舞い戻っていく事も中毒や、依存と考えたら、説明がつきます。
 DVといっても、身体的暴力でなく、言葉による暴言で、相手を侮辱して、貶め、人格を否定することも含まれることをすっかり忘れていました。

 そして、共依存者にはなりたくない、卒業したと私は思っていましたが、完全には抜け切れていなかったことに気が付きました。何となく、何かに似ていると感じて、もやもやしていましたが、認めたくなかったのです。自分が中毒者の片棒を担ぐ、共依存者であったことを。

 「私は私、あなたはあなた 各自が自分の人生に責任を持ち、心が触れ合えたら嬉しいし、そうでなかったとしても、仕方がない」と何度も、何度も復唱して考えました。
 そして、宗教団体の正当性を、今度は家族に調査させることにして、それを要求しました。
 娘と私の信仰に対する根拠のない疑いと、人格を侮蔑されたことに対する謝罪も求めました。
 
 カウンセラーの方々にも励ましていただきました。
 「自分を責めることはありません。あなたはもう十分やってきたではありませんか」
 「相手の人生は変えられません、家族であっても、自分以外のヒトの人生まで責任をとる必要はありません。」
 「そこに深い愛が感じられますが、最後まで面倒を見なければならないという情に流された、責任感から開放されて下さい。」
 「あなたの人生が勿体無いです」
 「あなたには、あなたがもっともっと活躍できる場所があるはずです。」

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