親御さんの真の願い(お話し108)
「後の世を渡す橋とぞ思ひしに 世渡る僧となるぞ悲しき まことの求道者となり給へ」
これは浄土真宗の七高僧のお一人である源信僧都のお母様の諫言の和歌です。
源信僧都は(または恵心僧都)日本史の教科書で登場します。「往生要集」の中で地獄極楽を描かれたことでも有名です。
15歳で『称讃浄土経』を講じ、村上天皇により法華八講の講師の一人に選ばれました。立派な講義を聴き、その素晴らしさに感動した天皇より下賜された褒美の品(布帛〈織物〉など)を故郷で暮らす母に送りました。
ところが、母は源信を諌める前述の和歌を添えてその品物を送り返しました。
源信僧都は母の諫言に従い、名利の道を捨てて、横川にある恵心院(現在の建物は、坂本里坊にあった別当大師堂を移築再建)に隠棲しました。後の法然・親鸞両聖人にも大きな影響を与えられることになります。
後年、お母様の臨終に間に合い、阿弥陀仏のご本願を説かれたということです。
今昔物語にも源信僧都のこのお話はあります。
現代において、仏教を話す人には様々な立場の人がいます。
例えば、僧侶、大学の教師、民間の同行など。
僧侶といっても、自分が信心を賜りそれを信者の人に語り聞いていいただき、一味の信心を一日も早く獲得して欲しいという願いからの方もありますが、ほとんどは生活の為に葬式・法事をしているのではないでしょうか。
大学の教師に至ってはその多くが、経典やお聖教の解釈に終始して自他の信心のことは後回しになっています。そんなことより、御仏の願いを易しい言葉で多くの人にお伝えする研究をしないのかと疑問に感じます。
民間の同行で個人的に話をしたり、ブログに書いている人もたくさんいますが、メジャーではないので影響の範囲は小さいものとなってしまいます。僧侶や大学の教師などという肩書を一般の人たちは信用し、ほかで何か言っていても、馬鹿にしたりするので残念なことではありますが、中途半端なことや間違ったことを言っている場合もあるので仕方のないことだとも思われます。
仏教を始め宗教は心の闇を光で照らし、未来永劫救いとり、変わらぬ明るい心にすることが目的です。
これを医療にたとえますと、教団やお寺などは病院施設に当たります。
大学の教員は医師でもありますが、病気などについての研究者、そして民間で話す人は西洋医学から外れた、東洋医学やマクロビオティックやその他さまざまな政府のしている保険が利かないような治療法をしている人たちに当たるのでしょう。
最近では、病気は医師や薬が治すのではなく、突発性の怪我などを除き9割9分は患者自身が治すものだと言われます。
医学の進歩に伴って、治療が薬や外科手術に頼る傾向になってきていますが、それが見直されつつあります。
とくに精神の病ではいまだ薬に頼ることが多いのですが、相性の良い、そしてその病を熟知して、出来れば自分も何らかの病で苦しんだことのある臨床医やカウンセラーに出合うことが回復のカギであろうと思われます。
何にしろ縁というものがあり、それが熟さないことには始まりません。
どこに縁があろうと最終的には御仏の願いをこの世で、今、賜っていただけることを念じて止みません。(つづく)
これは浄土真宗の七高僧のお一人である源信僧都のお母様の諫言の和歌です。
源信僧都は(または恵心僧都)日本史の教科書で登場します。「往生要集」の中で地獄極楽を描かれたことでも有名です。
15歳で『称讃浄土経』を講じ、村上天皇により法華八講の講師の一人に選ばれました。立派な講義を聴き、その素晴らしさに感動した天皇より下賜された褒美の品(布帛〈織物〉など)を故郷で暮らす母に送りました。
ところが、母は源信を諌める前述の和歌を添えてその品物を送り返しました。
源信僧都は母の諫言に従い、名利の道を捨てて、横川にある恵心院(現在の建物は、坂本里坊にあった別当大師堂を移築再建)に隠棲しました。後の法然・親鸞両聖人にも大きな影響を与えられることになります。
後年、お母様の臨終に間に合い、阿弥陀仏のご本願を説かれたということです。
今昔物語にも源信僧都のこのお話はあります。
現代において、仏教を話す人には様々な立場の人がいます。
例えば、僧侶、大学の教師、民間の同行など。
僧侶といっても、自分が信心を賜りそれを信者の人に語り聞いていいただき、一味の信心を一日も早く獲得して欲しいという願いからの方もありますが、ほとんどは生活の為に葬式・法事をしているのではないでしょうか。
大学の教師に至ってはその多くが、経典やお聖教の解釈に終始して自他の信心のことは後回しになっています。そんなことより、御仏の願いを易しい言葉で多くの人にお伝えする研究をしないのかと疑問に感じます。
民間の同行で個人的に話をしたり、ブログに書いている人もたくさんいますが、メジャーではないので影響の範囲は小さいものとなってしまいます。僧侶や大学の教師などという肩書を一般の人たちは信用し、ほかで何か言っていても、馬鹿にしたりするので残念なことではありますが、中途半端なことや間違ったことを言っている場合もあるので仕方のないことだとも思われます。
仏教を始め宗教は心の闇を光で照らし、未来永劫救いとり、変わらぬ明るい心にすることが目的です。
これを医療にたとえますと、教団やお寺などは病院施設に当たります。
大学の教員は医師でもありますが、病気などについての研究者、そして民間で話す人は西洋医学から外れた、東洋医学やマクロビオティックやその他さまざまな政府のしている保険が利かないような治療法をしている人たちに当たるのでしょう。
最近では、病気は医師や薬が治すのではなく、突発性の怪我などを除き9割9分は患者自身が治すものだと言われます。
医学の進歩に伴って、治療が薬や外科手術に頼る傾向になってきていますが、それが見直されつつあります。
とくに精神の病ではいまだ薬に頼ることが多いのですが、相性の良い、そしてその病を熟知して、出来れば自分も何らかの病で苦しんだことのある臨床医やカウンセラーに出合うことが回復のカギであろうと思われます。
何にしろ縁というものがあり、それが熟さないことには始まりません。
どこに縁があろうと最終的には御仏の願いをこの世で、今、賜っていただけることを念じて止みません。(つづく)
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