本当に救われたいなら救ってくれる力に向かわないと!
信の救いは人知を超えたところにあると、御仏の願を賜って知らされました。御仏との邂逅をもって知った覚えたの世界ではなく、たとえ今生で命が尽きようとも壊れない変わらない永遠に続く光の中におります。
同じ人間といっても様々な人があります。仏教で言われる六道のような状態が人間界にもあります。
地獄・餓鬼・畜生といわれる三悪道にいる人たちは苦しくて、もがきながら日々の暮らしに追われています。
修羅界は争いの世界ですから、常に他人の目を気にして、他人より優れていなければ負けだと競争するので、ほっと息をつく暇もありません。
人間界は苦しみと楽しみがあり、よろこべるときとそうでないときが縁によってやってきます。
天上界のようなきらびやかな歓びに満ちた世界もありますが、それも長くは続かず衰えの恐怖を感じなければなりません。
いづれにしても、六道は迷いの世界なので、そこにおる限りは心の底からの安心満足もありません。
ご縁のある方は、こんなことをずっと繰り返していても栓がない、何とかこの迷いを抜ける方法はないかと手探りで探し始めます。
本当に心の底から命がけで探すと、雑多なものが淘汰され、本当に欲しいものを誰かが教えてくれたり、何か目に留まったりします。
くだらない、要らないものはどんどんそぎ落とされますので。
向かう真理は人それぞれでしょうが、その方向はぶれずに定まるようになり、広く、いくつもだったものが、一つに絞られ、それを深く追求するようになります。
それまでは、何でもかんでも有難いと言っていたものが、色あせてきます。
太陽などの自然の恵みや、食料になってくれている動植物などへの感謝、他の人間の思い遣りやなども確かに生きていくのに欠くべからざるものですが、それはだだの「縁起」であって、最終的には自分を死が来ても変わらぬ安心満足に導くものではないと分かってきます。
よく私はお天道様や他の命をいただいていることを感謝していますとか、周りの皆様のお蔭でとうっとりした表情で言う人があります。
それはただの自己満足であると、私はちょっと冷ややかな目で見ています。
たしかに自然のいろいろなものがなければ生きていけませんし、周りの方々の御恩を感じることは大切です。
しかし、それらに感謝してさえすれば、いつまでの元気で死なずに生きられるのかといえば、そんなこともありません。
また、台風や地震や津波が襲って来たり、周りの人が自分に都合のいい場合はよろこばますが、意地悪や搾取をしてきた場合、途端に愚痴や恨みごとに転じます。
当てにならないものをよろこんでいるのに、それを当てにしている自分、有難いと思える自分に酔っているだけであることに気がついていません。
繰り返しますが、自然現象のような「縁起」や、食べ物になる動植物をいくら有難がっても迷いから抜けることはできません。
目に見える全てのものは、迷いそのものであり、一緒に苦しんでいる人間をあて力にするのも、究極の救いである邂逅ではなく、無駄なことです。
実は、みんなこんなことには気がついているのです。
ただ、自分はいい人でありたい、みんなと仲良くできる人格者でいたい、自然の脅威を感じられるひとかどの人物と思われたいとのただ楽を求める気持ちから、「仲良しクラブ」というぬるま湯の中に浸っていたいのです。
美味しいものをべたり、旅行で綺麗な景色を見る友だちと差しさわりのない世間話をして根本的な迷いを解決することからげていることの後ろめたさはありましが、そこからぐずぐずして出られません。
ぬるいけど居心地がいいので。
ただ、そんなぬるいのは誤魔化しだと思う人は、本当に縁のある、今生で自分の人生を迷いの打ち止めにしたい人は、真理に向かうのです。
脇目も振れず、真っ直ぐにどんな苦労も厭わずに進んでいくと必ず、真理の方から近寄ってきてくれます。近寄れる縁をくれたり、危ないことがあってもそれを避けられるようなこともしてくれます。
だから、自分が信じるように「逃げず」に、「コイツ面倒くさい」と感じられるような「たるい」状態に甘んじることなく、精一杯生き抜いてください。
迷いを抜けないと!
きっと、今、この場で、真実との邂逅が叶います。
今なんですよ!今!
感謝していること
研究計画の為の参考文献や研修などの準備をしております。諸先生方に協力をお願いしていますが、本当にみなさまが私の為に心を尽くしていろいろお考えくださり、御恩を感じております。
同じ人間といっても様々な人があります。仏教で言われる六道のような状態が人間界にもあります。
地獄・餓鬼・畜生といわれる三悪道にいる人たちは苦しくて、もがきながら日々の暮らしに追われています。
修羅界は争いの世界ですから、常に他人の目を気にして、他人より優れていなければ負けだと競争するので、ほっと息をつく暇もありません。
人間界は苦しみと楽しみがあり、よろこべるときとそうでないときが縁によってやってきます。
天上界のようなきらびやかな歓びに満ちた世界もありますが、それも長くは続かず衰えの恐怖を感じなければなりません。
いづれにしても、六道は迷いの世界なので、そこにおる限りは心の底からの安心満足もありません。
ご縁のある方は、こんなことをずっと繰り返していても栓がない、何とかこの迷いを抜ける方法はないかと手探りで探し始めます。
本当に心の底から命がけで探すと、雑多なものが淘汰され、本当に欲しいものを誰かが教えてくれたり、何か目に留まったりします。
くだらない、要らないものはどんどんそぎ落とされますので。
向かう真理は人それぞれでしょうが、その方向はぶれずに定まるようになり、広く、いくつもだったものが、一つに絞られ、それを深く追求するようになります。
それまでは、何でもかんでも有難いと言っていたものが、色あせてきます。
太陽などの自然の恵みや、食料になってくれている動植物などへの感謝、他の人間の思い遣りやなども確かに生きていくのに欠くべからざるものですが、それはだだの「縁起」であって、最終的には自分を死が来ても変わらぬ安心満足に導くものではないと分かってきます。
よく私はお天道様や他の命をいただいていることを感謝していますとか、周りの皆様のお蔭でとうっとりした表情で言う人があります。
それはただの自己満足であると、私はちょっと冷ややかな目で見ています。
たしかに自然のいろいろなものがなければ生きていけませんし、周りの方々の御恩を感じることは大切です。
しかし、それらに感謝してさえすれば、いつまでの元気で死なずに生きられるのかといえば、そんなこともありません。
また、台風や地震や津波が襲って来たり、周りの人が自分に都合のいい場合はよろこばますが、意地悪や搾取をしてきた場合、途端に愚痴や恨みごとに転じます。
当てにならないものをよろこんでいるのに、それを当てにしている自分、有難いと思える自分に酔っているだけであることに気がついていません。
繰り返しますが、自然現象のような「縁起」や、食べ物になる動植物をいくら有難がっても迷いから抜けることはできません。
目に見える全てのものは、迷いそのものであり、一緒に苦しんでいる人間をあて力にするのも、究極の救いである邂逅ではなく、無駄なことです。
実は、みんなこんなことには気がついているのです。
ただ、自分はいい人でありたい、みんなと仲良くできる人格者でいたい、自然の脅威を感じられるひとかどの人物と思われたいとのただ楽を求める気持ちから、「仲良しクラブ」というぬるま湯の中に浸っていたいのです。
美味しいものをべたり、旅行で綺麗な景色を見る友だちと差しさわりのない世間話をして根本的な迷いを解決することからげていることの後ろめたさはありましが、そこからぐずぐずして出られません。
ぬるいけど居心地がいいので。
ただ、そんなぬるいのは誤魔化しだと思う人は、本当に縁のある、今生で自分の人生を迷いの打ち止めにしたい人は、真理に向かうのです。
脇目も振れず、真っ直ぐにどんな苦労も厭わずに進んでいくと必ず、真理の方から近寄ってきてくれます。近寄れる縁をくれたり、危ないことがあってもそれを避けられるようなこともしてくれます。
だから、自分が信じるように「逃げず」に、「コイツ面倒くさい」と感じられるような「たるい」状態に甘んじることなく、精一杯生き抜いてください。
迷いを抜けないと!
きっと、今、この場で、真実との邂逅が叶います。
今なんですよ!今!
感謝していること
研究計画の為の参考文献や研修などの準備をしております。諸先生方に協力をお願いしていますが、本当にみなさまが私の為に心を尽くしていろいろお考えくださり、御恩を感じております。
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