泥を落とした本音は自分の言葉でたどたどしく語られる

 伝えなくてはならないけど、ずっと言えずに、でも、出来るだけ相手に誤解がないように傷つけないように決心して話すとき、たどたどしい話し方になります。時々言葉に詰まったり、同じことを言ってしまったりもします。たぶんそれは、どこかの本やネットなどで仕入れてきた知識ではないからです。他人の考えたことや書いていたことなら、すらすら言えますが、自分の言葉となるとそれが真摯で誠実かどうかを自分が責任を取らないといけないから慎重になります。私は声も出なくなったりします。

 

そうしてやっと語られた本音をはぐらかされたり、誤魔化されたりしたとき、たぶん人は心を閉ざすのでしょう。あえてもう無理とか関わりたくないとか言わず、そっと身を引くのでしょう。

上辺だけの耳触りのいい言葉の詰まった論文や講演に辟易してきました。相手を傷つける煩悩まみれの本音の攻撃も痛いです。依存・執着・嫉妬から離れた自分を後回しに出来る心境は真理との邂逅が出来て、それを慶び、他人にも伝えようという人にしかありえません。真理との邂逅はある意味、難しいですし、また、邂逅が出発点であり、そこからまたいろいろなことが知らされ、更に精進しようとする気にもなります。

感謝していること

周りを眺めると、人生は苦なりを実感しますが、私自身は根本的な人生の問題である生死の解決が真理との邂逅で出来、あとはもう死ぬだけなので気が楽です。

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