生死を超える目覚めとは、無常・罪悪の中で生きる周りの悲しみ・苦しみ・悩み・痛みを感じる身になること

 昨年の夏以降、私は友人を失う悲しみの中に身を沈め、どんなことにもよろこべず、体調が優れないことも手伝って、生きる意欲も失いかけていました。いまだに心身ともに傷ついて、万全の状態ではありません。それでも、何の不思議か、私には御恩報謝をさせていただきたいという気持ちが湧き出てきて止まることがありません。

 2016年に父を看取りました。その喪失感が癒えないまま、昨年の辛い経験からもいまだ立ち直れずにいます。20年ほど前に祖母が他界し、10年前には大学時代の同志ともいうべき友人がこの世を去り、悲しく辛いことがどんどん重なっていきます。他のことは取り返しがつきますが、生きている人が死ぬということだけは元に戻りません。もう姿も見えず、声も聴くことができないで、その人を思い出す度に、何とも言えない空虚な気持ちを抱えて生きていかねばなりません。

 特に昨年はほぼ半年泣き暮らしました。祖母の時と同じくらい毎日思い出しては泣いていました。だんだんに、死んだのではなく往生して、還相回向の身となって活躍されているのだと気持ちを切り替えられるようになりました。

 そして、今は、聴聞を重ねる中で、友人が私に悲しみを忘れるのではなく、悲しみに寄り添う人生を送って欲しいと身を以て知らせてくれたのかもしれないと感じられるようになりました。

 生死を乗り越えること、生死出づる道に出て、極楽に往生するまで御仏とともに歩くということは、周りの人たちの悲しみ、苦しみ、悩み、痛みなどに寄り添うことでもあると感じます。永い間、限りある命を持ち無常の影に怯え、罪悪に苦しんでいた私を見捨てることなく、ずっとご一緒くださり、今も離れず、そばにいてくださる御仏と同じ道を共に進んでいるようでもあります。周りの有縁の方々の、話を聞いてきづきの話をして、同じ身に救われることを念じる使命を粛々と果たしてまいります。

感謝していること
 大切でない命、無駄なことは一つもありません。ただ、一度に全てを為すことができないので、有縁の方からの御縁となります。本当に無常・罪悪で悲しみ痛む人たちの為にできることをしていきたいと前向きな気持ちになりつつあることに有難く感謝いたします。


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