「二枚の絵画にまつわる話」
雲間から帯状の光が漏れ出て、目を落とすと広い草原の平面を縞模様が流れていくイギリスの湖水地方の一風景を私はよく思い出す。三十代の初め、八月の半ばに一週間ほど仕事の休みを取り、一人でイギリスにスケッチ旅行に出掛けたときのことである。
光が厚い雲の層から経に地上に向って伸びる光のことを「薄明光線」(はくめいこうせん、crepuscular rays)や光芒(こうぼう)、天使のはしご(てんしのはしご、Angel's Ladder)などというらしい。でも私が主に見ていたのはこの部分ではなく、光が降り立った先である緯の部分の草原と光とのコラボレーションである。軽い緩やかな風に雲が流れて、縞模様の光が草原を緩やかに移ろい、眼を凝らすと草たちのいちいちが、ざわざわと揺れているさまを次のバスが来るまで、ただ、ぼんやり見ている。
私は宿泊先のアンブルサイドのホテルからバスに乗って、ケンダル郊外のレーベンス・ホールに観光に来ていた。そこはトピアリーといわれるツゲやイチイを刈り込んだ数多くの珍しい樹木を有する湖水地方の一庭園である。丸や三角・四角、女王の王冠、シルクハット、象、ライオンそして傘を形取った植木たちと別れを告げた後、バス停からふと目を移したときに広がっている景色がこの光の帯と草原のコラボレーションであった。
それは木漏れ日と称される光の鋭さ、煌めきから得る心地よさとも違うもっと緩慢で、ある程度の長い間、享受できるものであった。時間の猶予、もしくはシーンを遅く再生できる機能で画像を眺めている感覚のようなものであったのかもしれない。実際、私は次のバスが来るまでおよそ一時間を全く飽きることなく、この景色を眺めることに没頭していたのだった。
そうだ、以前にも私は似たような景色を見たことがある。私が通っていた東京のベットタウンの埼玉県南東部にある高校の陸上競技部のフィールドで。高校二年、初夏の頃であった。校舎裏手の300Mトラックの内部は槍やハンマー投げの練習のために草が敷き詰められていた。
日曜日、部活の練習に来ていた私は、少し長い休憩でベンチに腰掛けてぼんやりフィールドを眺めていた。涼やかな風が心地よくそよいでいた。その時の天気は曇りではあったが、厚く空を覆った雲の上には柔らかで温かい光が充満しているのが感じられた。その白っぽい雲が所々途切れた隙間から幾筋もの光がフィールドに降り注いでいる。草に光が縞模様を作っていて、雲が風で動いて、光の位置もその作用でゆっくり静かに移動する。そのときも雲間から差している経の光ではなく、草が充満する緯の平面にずっと私は目をやっていた。
走る練習はフィールドの外であり、中にいるのは練習の前後の軽い運動や、全力疾走した後のジョギングくらいであった。でも、あのときは、練習の合間にただ一人、光と風の中で、普段は気にもとめていなかったフィールドに突如として出現した縞模様が左から右に動いていく、まさに今の一瞬の様子を味わうことだけに専念していた。日常で、たいてい私たちは何か次にすることがある未来に向って動いている。または過去の追憶の中にいることもある。当時の私は、ほとんど毎日、それほど大切なことをしているわけではないのに、時間に追われて動いていた。そんな中、ふと、隙間の時間、ちょっとしたご褒美のような一時であった気がする。
結局、湖水地方の旅は、何カ所かの観光とアンブルサイドからのウィンダミア湖を何日間か一日中眺めていただけであった。持っていった画材やスケッチブックは使われることなかった。イギリスへの旅では写真から私はろうけつ画を二枚残した。一枚は夕日、そしてもう一枚は雲の隙間の光線で白く反射する湖面を切り取ったものであった。夕日は西方浄土、昼間の絵は『正信偈』の「譬如日光覆雲霧 雲霧之下明無闇」(たとえば、日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下した、明らかにして闇くらきことなきがごとし)を意識したわけではなく、ただこれが描きたいという景色を描いた。でも私が本当に描きたかったのは、一枚の絵には絶対にできない草原の縞模様が移ろいゆくさまだったのかもいしない。
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