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みんなの「信心」ブログ


頭を削って帽子を合わせる

2015/07/11 09:02

 普通は帽子を作り換えるでしょ。
 オリンピックの会場も予算や設計を立て直すのが本筋です。
 憲法9条に外交や政策は合わせずごまかしてはなりません。
 宗教学者は信仰抜きに学問の為の講義や議論をしてはなりません。

 とてもショックなことがありました。
 ある先生に、マルクス主義が毛沢東により伝えかたが変わったように、
法然聖人が山の上の仏教を民衆に向かって伝えるために教えをわかりやすくするために「念仏を称えれば助かる」と説いたと言われたことです。
 法然聖人は善をすればそれが救いの資助になるとは一言も説かれていないし、念仏を称えることで助かるとも言われていません。
 御仏に対する疑いが晴れて自力が廃り、仏さまと一体になる他力の信心を賜らなければ助からないと言われています。
 どうして一般の人は学者と言われる人でさえこんな風に教えの大切な要を誤解させるような言い方をするのか私には分かりません。

 信心でしか助からないこと、疑い=疑情が六道から出られない原因であるとは『正信偈』の中にあります。「還来生死輪転家 決以疑情為所止 速入寂静無為楽 必以信心為能入」これは「生死輪転の家に還来することは、決するに疑情 を以て所止となす」ということで 親鸞聖人が、非常に尊敬しておられる師・法然聖人の、主著『選択本願念仏集』の最も大事な所を教えられたお言葉です。だから親鸞聖人も生涯「信心正因 称名報恩」を徹底して説かれました。
 それを貫いたから法然聖人は四国に流刑になっています。もしも善や念仏で助かると安易な教えの捻じ曲げ方をしていたなら、一生裕福で安穏とした日々を送っていられたでしょう。そうされなかったからご自身もお弟子の親鸞聖人も流刑の憂き目に遭われたのです。
 たくさんの人に教えを伝えることは大切ですが、教えの大切な所を捻じ曲げでは栓がありません。

 人々を本当に幸せにすることをその道の専門家は常に考えねばなりません。
 オリンピックの為に国民の大切なお金を使うことで福祉が削られてはなりません。戦争で儲かる死の商人の為に若い人たちが戦争に行かされたり、日本国土が戦場になることは絶対阻止しないとなりません。
感謝していること
 沢山の方々から誕生日のお祝いのメッセージを賜りました。有難く感謝し益々精進していく決意を新たにいたしました。今後ともいろいろ御教導ご鞭撻を賜れたら幸いです。
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若い人の純粋さは時として盲目でもあり・・・・・・

2014/04/29 17:24
 18歳で某真宗の団体と関わって、40代半ばまでそこの会員でした。
 その団体と縁があって、4年後くらいに、講師養成の学校が出来ました。先輩や同期、後輩が仕事を止めたり、大学を中退してこぞってその学院に行きました。
 浄土仏教は在家のものだという信念を持っていた私は、どこかの団体の僧侶や布教使になる気はありませんでしたし、今もさらさらありません。
 
 名の知れた大学にせっかく入って、後の人生の成功を約束されたと思っていた子どもたちが、何が悲しくて新興宗教団体の講師になるのかと、親御さんたちは嘆き悲しみ反対しました。それでも本人たちの熱意にほだされて、最終的には応援される方もありましたが、親子の縁を切るような感じで、子どもと距離を置かれた方もたくさんあります。

 はじめ、講師は給料制でしたが、途中から自分たちの活動に対するお布施だけで生きていくように変更になり、彼らの中には極貧状態の人たちも多くいました。
 なぜそうなるのかといえば、自身が御仏に救われていないのに布教するからです。
 信心を賜って、その御恩報謝の気持ちで、御仏の願いをよろこんでお伝えしようと心の奥底からわき出て来る憶いから、説法なり講演なりをするのならたくさんの方々が聞きに来られるでしょう。また、聞かれる方も信心を賜る事もあります。

 しかしながら、自らも信心を賜っていないのに、よろこびもないのに、まして仏教の教学で御仏やお浄土の荘厳さも知らないまま、話をしているという矛盾に彼らは気が付いていないのでしょう。
 教祖を盲信して、彼の言ってきたことをそのまま、九官鳥のように伝えるだけです。もしくは、教祖のビデオを上映します。
 信心を賜っていないのですから、そういうことをしている自分に何の疑問も感じないのは仕方のないことかもしれませんが。

 若いということは素直で純粋ですが、後先を考えずに暴走してしまいます。
 真宗系の新興宗教に限らず、キリスト教や他の宗教の為に身を捧げる人を何人も見てきました。私の中学からの親友は九州の大学で統一教会に出会い、合同結婚式を挙げ、いま済州島で暮らしていると風の便りで聞きました。彼女が大学2年の春休みに奈良の実家で逢って以来、日本にいるのなら、外国でも渡航できるところならもう一度逢いたいと願っていましたが、叶いません。信仰に染まってしまっているようです。

 信心とは性格が明るくなることでも、煩悩で苦しまなくなることでもありません。
 暗い性格は暗いまま、煩悩に翻弄されている人もその状態が消え去る訳ではありません。見かけも変わらず、苦しみの度合いも軽減することはないのですが、そのまま、ありのままで、それでもよろこべる境地になることです。
 酷い病に罹っていても、けがで身体のどこかが痛くても、いつ死のうと生きようと、自分の身体ではありますが、全て御仏や宇宙の真理に身をゆだねた状態が続くことです。
 自分の意志があって無きような状態で、どうなろうとその意外性を楽しめる身になれます。無理に頑張らなくても、自分の得意なこと、出来ることで御恩報謝をさせていただく人生を生きられます。

 どうか、特に若い方は、他人のお仕着せでなく、自分の人生をありのままで、本当に安心満足できるような人生を送ってください。
 人と比べたり、競争したりしないで、出来る人が出来ない人を助け、働ける若い人が働けない人の分までちょっと余計にして差し上げたらいいと私は考えます。
 感謝していること
 体調もベストという訳ではありませんが、何とか死なずに生きていられます。まだ人生から問われている使命が終わっていないのでしょうか。
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煩悩が造る罪悪を超越した救い

2014/04/27 20:27
  我が身の罪悪ばかりに目がいって、御仏の超世の尊い願いを知らないならば、生涯ずっと己の罪悪を償う生き方をするのでしょうか。
 某宗教ではその罪をある一人の男が背負うという発想をするらしいです。
 たかが人間などに罪を償える力があるとは到底考えられない私にはとても理解不可能です。
 
 元々人間は有限で迷った存在なので、自身の生命維持のため食べ物や他を奪い合ったり、迷いの世界が暗くてほかの人がよく見えないので、誤解が生じ、ぶつかり、戦い合ったりするのかもしれません。
 だから、罪という考え方は仕方のないものとしか私は捉えられません。人間として生まれてしまった限界としか思えません。
 宗教が言う「罪」を利用していろいろな争いが起こることもおかしな話です。

 御仏の願いさえ聞くことが出来て、救われるなら、温暖な気候で作物が豊富に取れる地域に住むのなら、晴耕雨読の生活が一番いいのではないかと思われます。
 争い事がないなら、弁護士も要りません。心が明るく楽しい平和な気持ちで生きられるなら医者も薬も要りません。
 自分一人もしくは家族に富を集中しても、使い切れないし、死ぬときには持って行けません。御仏と共にありのままを受け入れ、自分が人生から問われている使命をそれぞれが果たしていったらいいのではないかと思われます。
 
 御仏の願いは赤ん坊からお年寄りまで全ての人々にかけられています。
 だから、縁の深い赤ん坊や子どもなら、口はきけなくても救われます。
 無常は大人になるまで待てないかもしれませんから、御仏を疑いなく信じただけで救われます。
 自身の罪悪を見て苦しむことも要りません。
 ただ、有難いご本願だったと自力が廃った状態になれさえすればいいのです。

 仮に救いまでの道が10段だったとすると、初めのホンの数段では煩悩を問題にしてあくせくするのでしょうが、残りのほとんどはどうしたら御仏の願いに対しての疑いが晴れるか、自力が廃るかこの1点に集中します。
 もちろん煩悩は死ぬまで無くなりませんので、煩いの種にもなりますが、煩悩自体が迷いの根源ではないことがわかるので、「疑い」を晴らすことに必死になります。

 救われるには「疑い」が晴れるだけでよかった、ほかには何もいらなかった、罪も悪もそんなもの問題にならないほど御仏のお力は偉大で、素晴らしかったと一日も速く救われることを念じて止みません。本当に何もいらないのです。
 「ただだった」と知らされることは自惚れ強い凡夫にはとても難しいです。赤ん坊や子どもの方が容易く救われることもあります。

 世間的な考え方である、どれだけ苦労して求めたかではなく、御仏とのご縁の深さで救われるのが速かったり遅かったりします。過去世の因縁も大きく影響します。もちろん過去世で縁が余りなくても、今生で一気に御縁を結ばれる方もあり、縁は不思議としか何とも言えませんが。
感謝していること
 昨日お礼と共に投稿を先生にメールで添付してお便りしたところ、「ゆっくり学んでください、連休を楽しんでください」とさっそくお返事がきました。本当にご多用なのに、一学生に心を掛けてくださりとても有難いです。
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真理を求めていたら必ず値える

2014/04/18 22:17
これはかつて私が御仏のお話をさせていただき、御仏に救われた方のお言葉です。
 思わず息を飲みました。私自身もそう信じて長いこと求めていたからです。
 気持ちが触れ合ったように感じました。その方は真実を体得したことで感激して涙声になっていました。

 諦めなかったら、寿命が終わらなかったら、きっと必ず、真理との邂逅は今生、間もなく訪れます。
 勇気を出して扉をノックしたら、きっと・・・・・・
感謝していること
 いつも私の人生はその時々で、学び体験させられていたような気がします。その時は役に立たないと思っていたものも、どういう訳か時期が来ると役に立っています。縁が熟す感じです。
 きっと保育士だけではなく幼稚園・小学校の教師の資格やパソコンやプレゼンの技術などもきっと役に立つのかもしれません。
 産業カウンセラーはモラハラやDVで困っている人たちの為に一日も速く何らかの形で講演などをしていく必要を考えています。企業だけでなく、結婚に近い大学生への講義や子どもたちに予防としてそれこそ、幼稚園生や小学校の低学年のキャリアのミニ講演で全国を回らないとなりません。
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「自分にばかり目を向けても救われない!」

2014/04/16 23:25
真理を求める人が陥りやすい罠があります。
 それは自分の罪や悪ばかりに目が向き、真理の尊さ素晴らしさに感謝することに思いが向かないことです。
 有限の命を守ることに関与しながら、腐った脳みそをいくらかき回しても何も解決することはないのに、自惚れて、自分の力で何とかなるように思って、真理の存在の能力に底を敷いて無視しようとします。
 その最たるものが真宗を元にして出来た心理学の手法などです。
 救ってくださる阿弥陀仏や宗教色を抜いて、ただひたすら人間にしてもらったことや返したことや迷惑をかけたことなどを反省したりして心理面を掘り下げても、栓がありません。一番大切な部分を反故にしてしまったなら何にもなりません。

 しかしながら、そんなようなことが世界中の科学という名の下でまかり通り、エビデンスの取れないものや見えないものは嘘だと言われます。
 実際、世の中には目に見えなくても存在するものがたくさんあります。
 
 たとえば、思い遣りの心です。ちょっとした怪我などでも、メールで状態を尋ねてくれる人がいたら、その人はきっとずっと大丈夫だろうか心配してくださっていたのです。その心配の気持ちはメールを読んだ時点まで分かりませんが、確かに存在していたから、送信という行為を実行されたのでしょう。

 思い遣り優しさなどは目に見えませんが確かに存在します。
 それ以上に広大で絶え間なく降り注ぐ御仏の光明も目に見えませんが確かにあります。
 嬉しいことに、今日も心にコトリと落ちたと言われる方がありました。
感謝していること
 縁の深い方に次々巡り遇え、迷いを抜けるお手伝いをさせていただけることは本当によろこばしいことです。私の方こそお礼を言わせていただいています。
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論文の弊害〜証拠(データ)と説得(権威)に偏る〜

2014/03/30 10:16
  内容がいかに素晴らしい文章でも、多くの人の証言や写真や統計などのデータと過去にその道の専門家がそのことに言及して文章などの説得性のある権威を引いてこないと認められないことが多いです。
 
 全く新しい分野であっても、関連のあるものを書かないと信用のない者と見なされます。今までなかったものなのだからといっても、頭の固い人たちには古い物との比較をしなかったら、その道の権威の言っていることを引いてこないと到底納得できないのかもしれません。学者の世界というのはエビデンスや権威を大切にするようです。または既存の研究に対して、自分が使ったお金と労力が勿体ないのかもしれません。

 もともと人さまをよろこばせる仕事をする商売人であると自覚している私は、証拠のデータとか権威などで脅さなければならない恐怖からくる劣等感もないしどうでもいい事です。
 それでも多くの人たちは権威に縋って、崇め奉ることで恐怖を払拭しようとしているようです。なんだか可哀そうだし、馬鹿みたいと思いますが、そういう風な考え方の教育なり、環境の中で慣れてしまっているので仕方がないでしょう。

 ただ、未来の子どもたちは違ったアプローチで、全人類が仲良く明るくできるような前人未到のコミュニケーションをしてけるように、私が今まで身に着けた技術でお手伝いしていく所存です。
感謝していること
『往生要集』のゼミは感動的でした。昔、真宗の法話を初めて聞かせていただいた時と同じくらい、いいえ、それ以上に雷に打たれたように痺れました。
 アメリカ人の先生と漢文を読み下して、信心のお話が出来るなんて、こんな恵まれたことがあっていいのかと、御仏の与えてくださったご縁に深く感謝しています。
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治りにくい病について(無明業障の病)

2014/03/26 22:47
 人間は邪見・驕慢で自分の本当の姿が分かりません。
 迷いの世界にいるのにそのことが分からないから、そこから抜けようともしません。
 「私が救われていないとでも思っているんですか?」という方は自分が救われていると思っているのでしょうね。それが本当ならこんな結構なことはありません。
 
 明らかに救われた人の言動ではないことを繰り返す人でも、本人が救われたつもりなら絶対「救われたいと思わない」でしょう。
 思い込みという頑なで強固な「信念のようなもの」がある人というのはかなり付き合いにくいです。
 それが、真実信心なら、反対に柔軟な物言いになったり、人間が固執するという観点とは全く違った次元の考え方で救われたもの通しならではの分かり合えることもあります。

 人間の迷った固い殻の中にいて、外が見えないでいるところの「信念のようなもの」は我執であり、自分さえよければいい冷たい我利我利亡者の心です。
 「これが間違っていますよ、これが原因で救われないのですよ、これを握っているから苦しいのですよ」といわれても、益々、殻の中で固まり、防御という反撃をしかけてきます。余計に大きく抵抗していきます。ちょうど、北風に吹き付けられてコートが飛ばされないようにしっかり抑え込む旅人のように。

 いくら真実を話しても、頑なに蓋をより固く締めて、聞き入れることはありません。
 ただ少しだけ聞く耳を持つ人ならば、他人の例を出したりして、初めはその人のことではないというように説明して、役に立たない自尊心を少しずつ崩していくと効果が出ることがあります。
 そうしていくうちに少しずつですが、自分は救われてはいないのではないか、このままでは安心できないというような気持ちになってもらうしかありません。

 そうして辛抱強く、話していくこと内に、自分は無始より迷いつづけていて、それは自分の力では「絶対に治らない病」なのだということに気が付きます。
 そして真理の光のお育てに照らされ、自分が真理に依らなくては絶対助からない者であったと知らされた時「廻心」のハッキリした体験をさせていただくのです。
 その体験をした人は二度と元の迷いには戻りません。ご飯を炊いたら米に戻らず、芋も蒸かしたら生の芋には戻らないように。

それは「ええっ」「何なの」「想像と違っていた」というようなものです。救われてしまったら、何でこんなに簡単なことが分からなかったのだろうという感じです。それでも、救われる前の我執を持っている間はそれがわかりません。
 真理はいつもそこに存在しているのですが、私たちが蓋をしてしまっているので、それが分からないだけなのです。その蓋は結構厄介で、なかなか開きませんが、空いてしまったら、こんなに簡単だったのかと驚かされます。
感謝していること
 なぜかこうしたいということは、絶妙なタイミングでスルスルとうまいこと進みます。昨日は本当に不思議な力に導かれていました。今日も変わりがないようなので、よかったです。
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宗教と政治に関する私見

2014/03/26 07:32
お尋ねがあったので、私の考えをお話ししてまいりましょう。
 まず宗教は真理を伝えるものであるので、国家を治めるための政治思想などよりも崇高で格段に上位の概念だと私は感じております。
 政治体制は時代によって変遷していきますが、宗教的真理は変わりませんし、洋の東西や発展途上国など全てにおいても、どこへ行っても普遍なので真理と言われます。

 ところが、時の権力者・為政者・国王などの信仰がその土地の人たちに影響を与えるというより、彼らが信じる宗教を押し付けられることがほとんどです。
 なぜなら、信仰で人の心を縛り、利用し統治をしやすくしようとするからです。
 彼らの中の一部の信心深い人たちを除いた場合は、名利や支配力を満たすために宗教を使い、民衆が救われることに寄与するという考えはありません。

 一方、民衆はほとんどが考えることを面倒がってしません。
 為政者は自分たちを不幸にするはずがないと根拠のない考えを持っています。ちょうど店で毒の入っている食べ物を売らないだろうという期待と同様に。
 民衆は搾取され、意味のない戦争に駆り出され、毒入り(農薬や添加物)食べ物を売りつけられているのにそれを薄々気が付いているのに、深く考えると怖いし、どうにもならないという無力感から何も言いません。
 またそれをいいことに、権力者・1%の富める者たちが国民を捨て駒のように見做し、消費・貯蓄両方のよろこびを奪い、自分たちに利益が集中する政策を無理矢理推し進めます。

 昭和の時代までに、大学や大学院に進学した人たちなどは、それなりの知的エリートでしたから、自分の頭で考えることもしましたが、共通一次以降は大学のレベルも下がり、昔の高校生くらいに成り下がっています。
 いわゆる暗記の勉強が重視され、論文を書いたりする思考能力が育たない学校教育が大学入試の問題形式に合わせてなされています。
 もはや学校教育には人間性を高めたり、自分で考える力をつけたりすることは期待できなくなってしまっています。
 教育にはまかせられないので、宗教が人間の営みや信念に大きな役割を果します。
 
 そして、宗教は真理の探究の側面も有しますが、縁がある無が問題になります。
 いわゆる宗教に縁がある人というのは、特別賢くもなく愚かでもなく、大金持ちでもなく極貧でもない中庸な人が多いと言われます。中には例外もありますが、そういうものらしいです。世の中の知恵に長けた人が仏教を聴けない八難の一つに世智弁聡の難というのがこれを表しいています。
 出来ることなら、正しい真理・信心を賜った為政者たちが国々を治めたなら世界は平和になるでしょう。
 
 そこで、かなり広大で実現するにはたくさんの人の助けがいる大変な目的ですが、最終的には世界の宗教の統合から融合の方向に持っていき、人間が本来の目的を求められる姿を取り戻す助けをしていくのが私の人生から問われている使命だと私は感じております。
 その足場となる大学院の学びでは、真宗の門徒の女性たちが江戸時代から明治時代にどのように政治的に恩恵を受け、また翻弄されてきたかを研究する予定です。
 外国との戦いもなく、国内の領地争いもなかった江戸時代において、政治と宗教の関係を江戸時代から続いている寺を訪ねて調査して、古文書や100歳近くの人たちに御先祖の話などを聞かせてもらおうと予定しています。
 研究の途中経過をまた記事として投稿させていただきます。
感謝していること
 今日はずっと気になっていた縁の深い方のお話をさせていただきました。彼女はお寺の奥さんですが、本当に素直でご縁が深く今日は15分から30分程度お話をしましたところ、御仏とのご縁を結ばれました。以前に1度その時はかなり詳しく話しましたが、2回目で沙汰のご縁で、信心を賜ったのをとてもよろこんでおります。
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夢も希望もないことが一番心地よいのかも

2014/03/22 07:59
 夢は儚く、希望は希な望みです。
 おそらく未来に向けての、今はない願いが叶うことを意味しているのでしょう。
 
 現在の私には何の夢も希望もないことに気が付きました。
 特にこれといって欲しいものはありません。
 様々な好きな勉強に打ち込め、連れ合いも子どもも自律していて、借金も病もなく、顔を見るのも嫌な人も周りにいません。

 こうして信心を賜ったよろこびを文章に自由に書けます。
 大好きな歌で御仏に救われた境地を歌うこともでき、パソコンでその心の内や御仏や真理を高価な絵の道具も無しに表現もできます。

 慶んで楽しみながら嬉しく御恩報謝している、今の一瞬の積み重ねが将来誰かのよろこびになればいいし、誰も評価してくれなくても、同じように救われた人たちとお浄土でまた遇えたら、それだけで満足な日々を御仏と共に送らせていただいております。
感謝していること
今日は素敵なコンサートに出かけます。
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後生は一人一人のしのぎです

2014/03/18 12:55
 人間独り生まれ、独りで死んでいきます。
 人生という旅の途中、連れはありますが、最後は一人で後生に向かわなければなりません。
 死後は救われていない人は、また迷いの境遇を経巡らなくてはなりません。
 これは個人の問題で親も友だちも肩代わりしてくれません。
 どうか一日も速く御仏に対峙して、真実信心を賜ってください。

 お寺の説法でも、御仏に向かって、今、ここで、ほかならぬあなたが救われます。私が生き証人ですと言われる方から、聞けたら一番です。
 ご自身はまだ救われていなくても、このように仏教では説かれ、仏の願いを賜る事が仏教を聞く目的ですとハッキリ言葉にして説法される方から聞いてください。
 感謝していること
 袴の着付けを教えてもらいましたが、あやふやなので着付けの本のコピーとSDカードを貸してもらいました。当日、卒業式の間帯が解けてこなかったらいいかと気楽に考えております。もちろん、連れ合いと私は洋服で出ます。
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タイトル 日 時
「煩悩即菩提〜ありのままで〜」
御仏に救われると煩悩を持ったまま、その煩悩がよろこびに変わる人生になります。  ただし煩悩は死ぬまでなくなりません。よって喜怒哀楽が無くなるということもありません。生活習慣や癖がすっかり、がらっと消えてなくなることもありません。 ...続きを見る

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2014/03/17 20:51
深い迷いで人は傷つけ合う
 自分が他人より優れたものと思いたいというのはどこから来るのかと常々感じておりました。私は他人と自分を比べては生きてきませんでしたし、常に御仏のなさるようにそれを目指して生きてまいりましたので、いまだによくわかりません。    中には、自分を優位にするために、他人のその人の本来していることと全く違う悪口をその人がいない所で広めている人もたくさんいます。  ただ、こういう嘘はいつかばれますし、言っている本人も後ろ暗い気持ちがあるので心身がスッキリしません。  先のことを熟慮せず、今の名利で... ...続きを見る

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2014/03/17 08:57
もうこれでいいと自分で決めた信心
 真実信心を賜るまで、たくさんの勘違いを体験する人もあります。  まだ信心を賜っていないのに、自分は信心を獲得していると思い込んでいる人にもたくさん会いました。  仏教の勉強をしている人でも間違いやすい事なのですが、ほとんど仏教を知らない人が感覚的に自分は救われていると思いたいのだということと、救われているのだと信じて疑わないで、それを口にする何とも言えない恐ろしさにびっくりしてしまいました。 ...続きを見る

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2014/03/16 22:58
何か偉い肩書がある人だけが真実を知っている訳じゃない!
 「私は先生の話が聞きたくてここに来ているんで、あなたの話を聞きたいわけじゃない!」友人が年配のお姉さまにこう給われてました。  資料である本を輪読しながら、先生や参加者がいろいろ話す談話会ということなので、いつも好きなことを言っていたらしいのですが、何度も同じ集まりに出ていた人に、先日そんなことを臆面もなく対面で言われて、びっくりしてようです。    「あなたは、意図的に私たちをある方向に導こうとしているけど、私はそんなこと聞きたくないし、私はもう悟りを開いていますけど、それが分からない... ...続きを見る

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2014/03/14 22:54
御仏の願いを説く者の覚悟と聴く者の受け心
御仏の願いは世を超えたものであるので、煩悩に染まった仏縁の薄い者が聞くと誹謗します。  仏法をあからさまに批判できないので、説く人の人格に言及する人もいます。それは仕方のない事でしょうが、悲しく残念です。  自分のことを棚に上げて、迷った煩悩や自力などを武器に説く人を攻撃するのは、ハッキリ言って逃げなのですが、本人にはそのことは分からないでいます。    もちろん、説く者も常に真摯な態度で身辺を綺麗にしていくことは大切ですが、煩悩を持つ身なので仏ではないので、完全な聖人にはなれないで... ...続きを見る

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2014/03/14 12:27
信じられないかもしれませんが、救われているかそうでないかはおおよそわかります
 最終的には御仏とその方との間のことなので、完全に分かるとは断言できませんが、ほぼ間違えません。救われても本人が気が付いていない場合があってそれはどうにもなりませんが。起きている子どもは起こせないように。絶対救われていないと、思い込んで、そう主張するのですから、放っておくしかありません。お浄土に参れるのですし、いいでしょう。    対機説法で面談や電話ならよりハッキリします。チャットでも数少ない例ですが大体このくらいの時に「廻心」の体験があったことがわかります。  誰でもできるかと言えば、... ...続きを見る

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2014/03/13 17:25
戦争とは自分と他人を分け隔てる極み
 自身や立場を同じくする人たち以外を攻撃して、殺しても構わないというのは、自他を区別する二元論的な考え方です。  周りの人たちが幸せでなかったら、自分だけよろこべません。  仮に自分の家族や親族や友だちという一部の人たちが裕福でよろこんで暮らしていても、国が戦場になっていたらどうでしょう。  自国が戦争に参加していなくても、他国の戦争の為に武器を提供することすらも悲しい事です。 ...続きを見る

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2014/03/03 08:58
不浄説法
いまだ御仏に救われていないのに、説法することを不浄説法といいます。  この言葉を昔救われていない前に聞いたのと、今とでは重みが違います。  救われていない僧侶の方はよくよくこの言葉を心に留めて、一日も速く救われ、説法されることをお念じ申し上げます。 ...続きを見る

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2014/03/02 19:39
民衆が望むことは真理に導かれ生きること
 一部の人が大金を持ち、ほかの人が隷属状態の世の中を誰も望みません。  そんなことではダメだと、東北の震災が教えてくれたのではないでしょうか。  自然の脅威の前では人間の力は無力です。  地震で押し潰され、津波にのまれて絶命します。 ...続きを見る

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2014/03/02 12:36
全く、スッカリすがっているものを手放す勇気
 それが迷ったものでも、それが分からない状態のときは、放してしまうと大変なことになる、なくなったら死んでしまうような錯覚に陥ります。  せっかく自分が思い浮かべるいもしない仏や神やキリストなどのイメージや残像を消し去ろうとしても、完全になくす事は出来ずに、迷いの元だから捨てよと言われても、また再びそれらを思い浮かべたり、ネットでわざわざ画像を検索してきて、安心して落ち着こうとします。 ...続きを見る

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2014/02/28 22:39
救いを賜ったり、金メダルを獲得した者が生涯それに相応しくある使命
  救いも金メダルもそれはあくまでもスタート地点です。   賜り、獲得したその時より責任が生まれます。   いまだ未熟であるなら、相応しくなれるよう日々精進していかねばなりません。   それを怠ると御仏を反故にしたり、金メダルの価値を下げることになります。     誰にも叱られたり、罰を受けたりはしませんが、自分自身が真摯に生きていくために、御仏や世間が与えてくださったものに感謝していくことが肝要だと身を引き締め、言動に注意して生きていく所存です。 ...続きを見る

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2014/02/25 19:16
明日をも知れぬ無常を感じる方々へ
 もしかしたら、現在不治の病に冒されているかもしれませんし、今晩夜道を歩いていて車が突っ込んでくるかもしれません。  今日有って明日が分からないのが私たち人間の寿命です。  それなのに、限りのある命なのに、いつまでも生きられると錯覚しています。 ...続きを見る

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2014/02/23 16:14
資質は変わらないのかもしれないれど、考え方は教えられるかも
  能力は持って生まれたものがあり、資本家・企業家になる人と雇われて働く人に分かれるのかもしれませんが、既存の能力を生かせような考え方は教えられるのかもしれません。  ここで教えられなくても分かっている人と、教えられたらその気になる人が私が最近言っている伸びる人で、やっぱり、教えられても分からない人に教えることはできないのでしょう。  布教で話をするとき、逃げる人たちは、自分に自信がなくて、チャレンジするより、今の自分を人によく見てもらうことや信心が壊れることを畏れますが、信心を賜るこ... ...続きを見る

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2014/02/14 18:04
暗い心(疑情)と黒い心(煩悩)の違い
 信心を獲たら「暗い心」は無くなりますが、「黒い心」は臨終まで無くなりません。  しかしながら、信心を賜るまでこの二つの心の区別はつかないのです。  御仏を疑う心とそのほかのものを疑う煩悩の疑いの区別などつくはずがありません。  信後は御仏を疑う心が全く無くなるので気が付きます。 ...続きを見る

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2014/02/12 22:17
真摯に積極的に前だけを向いて生きていきましょう!
 人間がすることなど「見・聞・知」の仏さまはすべてお見通しです。  それなのに、御仏を騙して、賄賂を使って救われようとします。  そういう魂胆だから金輪際救われないのです。 ...続きを見る

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2014/02/07 12:59
文章(チャットではなくメール)でのやり取りの沙汰の事例
 最近書いている信心についての投稿記事の事例を今日はご紹介します。  もしかしたら、これと今まで書いてきたことなどで今、救われる方もあるのではないかとも感じます。  今回は特別、皆さまに、このような事実があることで、希望を持たれ、一日も早くく救われることが出来るような願いを持ち、特別、沙汰の相手さまのご許可を取って掲載させていただいています。    この頃ずっと書いておりますように、お友だちの読者の方々の中にも、もうちょっとで救われる予感のある方が何人もあるので、もしかしたら○○さんと同... ...続きを見る

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2014/02/05 00:18
まだよく信じられないけれど文章・言葉の力ってあるみたいです
 ご縁の深い人は対面でなくても、電話などの音声でなくても、文章やその中のたった一言だけでも、それを拾い出して、(というより浮かび上がって見えるのかもしれませんが)御仏に救われてしまうのだと感心しました。  ずっと書きためている私の拙い表現の文章の中からも、「きづき」を賜る方が出てこられることは嬉しくもあり、驚きでもあります。 ...続きを見る

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2014/02/03 22:46
全てのことからへの御恩について
  人生のほとんどの時間を息をつく暇もないほど、全力で駆け抜けてまいりました。   そのことに対しては全く後悔はありません。   御仏に救われるまでは、かの仏さまの無限に明るい智慧と慈悲の中にいるにもかかわらず、自分自身が目をつぶっていて、それが実感できずに、信じられずにおりました。   それでも、絶望して死なずに済んだのは、自分には見えないけれど、本当は絶対的な真理に護られているのではないかと感じられていたからなのです。  何も見えず確かに暗いのですが、外からは明るさが何となく感じられ... ...続きを見る

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2014/02/03 00:51
もう、いい加減にして!
  どうしてなのかな?   何で?要らないことばかりするの?   役に立たないことして遊んでる時間あるの?      あなたが自己満足の訳の分からない回りくどい、くだらないことまた書いて、感傷に浸っている間に、私のところにはね、たくさんの友だちが、真剣に御仏の願いを聞きたいってメッセージを送って来てる。 ...続きを見る

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2014/02/01 22:58
本当の味方は他人をよろこばせ、それを見て笑っていられる人
「笑顔を武器に」未来政治塾の友だちは市議補選を戦い抜き、勝利しました。  彼女を私は誇りに感じます。  同世代の彼女があれだけ頑張れたのだから、私も頑張らないとならないと奮起しました。  政治塾の友だちも彼女の当選を我がことのように慶んでいました。    原発は金食い虫です。  核のゴミや廃炉のことを考えると膨大な費用が掛かることを隠して政府は動かしてきました。 「王様は裸だ」と子どもが叫んだように、既得利権のない市民団体や女性たちが一斉に声を上げました。 これ... ...続きを見る

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2014/01/31 12:22

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