テーマ:信心決定

他人には取るに足らなくても、本人には本気で死にたくなること

 7月の末、私は娑婆世界に嫌気がさして、儚くなってしまおうと決意していました。どういう方法が一番いいか、それをずっと考えていました。そんな時、身内が他界し、通夜・葬儀に出ることで、もう少し生きてみようかと考えるようになりました。私は家族も持ち家も少しの蓄えもあり、周りからすると幸福を絵に描いたように生きているように思えるかもしれません。…
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真理との邂逅

真理を求める過程とは、既に真理との邂逅を済ませた人に聞きに行き、どこが異るのかを話してもらい、持ち帰り、また聞きに行き、この繰り返しです。生きて話してくれる人に出合えなければ、本などで同じことをしますが、時間がかかりますし、余程優秀で真剣に求めている人しか私には無理な気がします。 そのうち、ふっと真理と出合う時が今生にくればよし。来な…
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体験を追求しない宗教学って何?

そもそも宗教学は宗教によって人間が救われる過程を解き明かす学問だと考えていた。キリスト教圏の宗教学はともかく、日本の宗教学において宗教過程論や宗教教育学の研究はまだ黎明期であることを知り、底の浅いことに愕然とした。これでは日本において救われたいと願い、実際救われる人も少ないのは自明の理である。当面は宗教過程論入門くらいでも書こうか。 …
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どうにもならないこころの底からの叫び

 心に刺さる説法を聞きました。「響く」というような甘ちょろい感じじゃなくて、「刺さる」でした。  その方の話を私は「本物」だと感じました。その方も同様に感じてくださっていたようでした。本物の感覚を言葉で教えて欲しいという私の願いを大切なことと受け止め、「『機の痛み』を脇に置いていない」という表現で私に教えてくださいました。この世間…
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凡夫そのままのお助けと疑いなく聞く

「自分の計らいではなく、凡夫そのままのお助けと疑いなく聞かせていただいております」 と電話口から張りのあるお声でよろこびを聞かせていただきました。 この世のどんなことよりも嬉しくて仕方がありません。
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最近の記事

最近書いたものをまとめてみました 先日、信心の沙汰をした人と電話で話をしました。疑いが晴れたので、疑っているままで救われるのが尊い本願だと誤魔化すために称えていた念仏と違う念仏が出てくるようになったといわれていました。このまま、しばらく様子を見てくださいとお伝えしました。 「お手次ぎ」と「受け念仏」という概念を知りました。法…
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昨日のこと

「最後の最後、何とかすれば何とかなれるという、自力我慢の心が抜けないその方に、私は何を話したらいいのだろうか」とこんなことを道中考えながら自転車をこぎました。衣笠の大学から、途中、朱雀の自宅で御説法のCDをカバンに入れて深草の大学の正門に向かいました。  「まだ、楽がしたい。現世利益を求める気持ちが抜けません」と仰るその方に言…
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宗教観を持たない東大をはじめとする有名大学の男子学生の頭の中身は幼稚園以下

 決して、幼稚園児を馬鹿にするわけではありません。幼稚園児の中にも宗教観が育つ環境にあり、真剣に人生と対峙している男の子がいることを幼稚園の教員資格を持つ私は知っています。彼らに対しては尊敬の念を持って未来に素晴らしい活躍をされることを願っております。   馬鹿野郎という言葉があります。この言葉においては、馬鹿は男と相場が決まって…
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人世の軸となる第三の真理軸

独楽に軸がないと回らないように人生にも軸が必要だと仏教の先生から自身の師もおっしゃっていたと教えていただきました。 他人でも自分でもない第三の真実の軸を賜って明日で10年になります。 御恩報謝が何もできず、無駄な時を過ごてしまい御仏には申し訳なく感じております。
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真理軸で生きる

他人軸でも、自分軸でもなく真理という新しい基準を得て菩薩道を行くスタートラインが信心決定。 それを支えるのが他力です。 梯さんの「他力の心」を昨日信心のお話をした方と一緒に聴聞して改めて知らされました。
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機抜けの信心

この言葉を初めて聞きました。 二種深信の法の深信の部分だけが感じられ有難がります。 しかし、機の深信、疑う罪が分かりません。 二つの深信が同時にたたず、化城に陥っている者を指すようです。 化城のほとんどがこれです。 的確な表現でした。
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どんなに辛く苦しい目に遭っても、まだ懲りないで迷っていると感じない残念な人たち

 うそだろ、いい加減きづいたら!  目を覆うような虐待を受けながらも、虐待の主を庇う発言をする人たちって何?  モラハラ、DVは支配やコントロールであり、加害者を肯定したら、そこから抜けられません。何で、殴る蹴るをするけど、いいときもあるし、酒さえ飲まなければ日頃は大人しい優しい人なんだけれどなんて擁護するの?殺されない内に、身…
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信心の沙汰を引き受ける条件

いま、ここで信心を賜りたい。 命は、一日に譬えると23時59分59秒。(もう後がない)。 お金、地位、名誉、肉親、友人など何もあてにできなかった。 一度限りの縁で、信心を賜る覚悟がある。 これらが一つでも欠けたら お断りします。
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私はもう死んでもいい!

「信心決定」、「信心獲得」、「信心一つで救われる」、「自信教人信」 これらの言葉をリアルタイムで自分の耳で聞くなんて夢のようでした。 確実に根を下ろして教えが受け継がれていると感じた瞬間でした。 もう私は死んでもいいと思いました。月が綺麗だったわけじゃありません。
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平生業成(二度の臨終)

平成二十六年の梯實圓和上のご葬儀に、天岸浄圓先生が御法話の際、「この度のご往生おめでとうございます」とおっしゃたそうです。続いて、法要読経のあと、梯和上の奥様が天岸先生のお言葉を受けて挨拶されました。 「みなさん私が亡くなったときは、必ず『往生おめでとうございます』と言って下さい!。その時までは今しばらくお念仏を称えながら日暮らし…
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罪悪感の追求から離れられるまで

 真理を受け取ろうと邂逅を望んだ時、いい人にならねばと考える人が多くいます。悪を止め、善を行じる仏教でいわれる廃悪修善のことです。  しかし、悪は底なしです。それを見ていっても、限も際もありません。そして三次元の人間として、生きるためには悪は造らなければならないものです。  問題はそこではないのだときづいたときから、真の意味…
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如来大悲の涙

「或る日の夕方、友人が送ってくれた『法悦』という雑誌を読んでいると、白井助教授の一文がピタリと私の目にふれた。 『その疑情、ハカライ、自力の心があるために、仏の声を聞くことのできぬ私を、如来様は哀れみたもうて、一念一刹那も休む間もなく、大悲の涙を垂れたもうのである』との一文に、ぼくは参ってしまったのです。この文章を通じて生きた如来様の説…
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全面依存(無条件降伏)していいのは親ではなく真理

 モラハラ加害者と被害者は親に自分は精一杯あなたの心身の面倒はみるけれども、本当に向かうべき先は別のものであると知らされてこなかった、ある意味、気の毒な人たちです。ある程度の温かな関わりが持てはしても、これが限界だと知らせてくれるいいか悪いかは分かりませんが、平凡で善良な親を持ちませんでした。加害者も被害者も虐待や放置をされるか、反対に…
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この世の救い

この世の医者でも、命が助かるように全力を尽くします。彼らは、日々医療技術や理論等を研鑚します。それなのに、臨終や後生が苦になる人たちに対して、自力をすてて、他力に入る話を説き切ることを学ばず、安穏とした日々を過ごしている人たちに対して私は憤りを感じます。
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所詮、夢幻の世と信知できたのだから、そこで快適に過ごす道を行けばいいだけ

 全てを真理に委ねて、後生はおまかせなのに、私は全力疾走を止められずにいました。ふと、全力で取り組むやり方とは異なった視座を持ち、にこやかに優雅に生きてみてもいいのではないかという考えが浮かびました。全力で遊びのない生き方は自分ばかりではなく他人も疲れるかもしれません。怠惰なことを恥じ、時間内にできるだけの用事を詰め込んでこなしてきまし…
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海外の日系人社会の宗教的要請ついて

この10月にブラジルとアメリカ西部の日系移民の地区のお話を聞く機会がありました。  日系人の外の現地人が、日本の仏教を知りたいと思っていらっしゃることに驚きました。文化的側面ももちろんなのでしょうが、教えそのものも聞きたいと思っていらっしゃる方もあるのかもしれないと感じました。  シアトル在住の研究者の方と奥さまとお話しして、来…
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尊いご縁

気持が打ちひしがれて、どうしようもなく辛いとき、仏縁の深い方とのお出合いのセッティングが設けていただける気がします。今日私がお目にかかったご夫妻が一日も早く信心を賜れますようお念じ申し上げます。 When my feelings are overcome and it is hard for me to feel hard, I …
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私の重い苦しみを全部背負ってくださるお方

 真理との邂逅の後、私はずっと一人ではありませんでした。常に護られていて孤独ではありません。一度だけ忘れてしまい、本気で死のうと思いました。でも、ふと、私がお願いしたわけでもないのに、自分の足で歩けない私を不憫に感じて、その私の苦しみを背負ってくださっているお方の存在を思い出し、思いとどまりました。私は重い苦しみを持って生きている、その…
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この世のことは自分軸を持ちメタ認知が出来たら何とかなるけど、あの世のことは仏さままかせ

 人間の煩悩からくる心理的な悩みは自分の内側に軸をしっかり持ち、耐えられない時は高みから自分を見下ろすような客観的な考え方ができれば、不治の病に罹るとか、不慮の事故に遭うとか、殺されない限り取り返しのつかないものである死は免れます。  死の解決だけは自分の考えをスッカリ抜いて、止めて、疑いなく仏を信じるしかありません。メタ認知も思…
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聴聞

「往生を全部おまかせしたお方との二人旅を命が終るまで精一杯させていただきましょう」。このような尊い御説法を聴聞させていただきました。
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結婚はモラハラ目的ではなく、お互いをありのままに受け要るためのもの

 余計な執着や比較を持つ人と、それを超え、そんなことでは安寧満足の内に生きられないことにきづいている人とでは住む世界が違うのです。だから相交わることはありません。途中で片方がきづいた場合、モラハラは逃れられますが、きづかない相手と違う世界で生きることは一種の修行のようなものとなります。その修行で一生を終えるか、別の環境で自分が成すべきこ…
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傾聴的カウンセリングと信心の沙汰の関係性

 生まれてから今に至るまで、ずっとですが、私は人間の煩悩の喜怒哀楽にさほど関心がありません。醒めた目で世の中を眺めてきましたし、ずっと変わりません。どうせ今生、後は死ぬだけなので、私にとっては、何もかもが、どうでもいいのです。ただ、例外として、親しくしていた身近な人が死ぬという最悪の事態だけは耐えられません。どうしても執着してしまいます…
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真理とは縁がある人にしか響かず、縁のない人は知ることもない

 これは厳粛で納得できる理に適う事実です。  まず、縁がないから、ある人たちにはやって来ないのです。  仮に縁が側を通ったとしても、敢えて嫌って避けたりすることもあり、きづきません。  何かの拍子に真理の書いてある文章を読んでも、自分に関係のあることだとは感じられず、表面でしか意味が取れずにいて後々まで残りません。同じ…
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