アクセスカウンタ

zoom RSS テーマ「信心決定」のブログ記事

みんなの「信心決定」ブログ


体験を追求しない宗教学って何?

2019/01/27 12:09
そもそも宗教学は宗教によって人間が救われる過程を解き明かす学問だと考えていた。キリスト教圏の宗教学はともかく、日本の宗教学において宗教過程論や宗教教育学の研究はまだ黎明期であることを知り、底の浅いことに愕然とした。これでは日本において救われたいと願い、実際救われる人も少ないのは自明の理である。当面は宗教過程論入門くらいでも書こうか。
 自分は宗教研究者、学者と偉そうにしている人たちに言いたい。菩提心のない宗教など何の役にも立たない。宗教とは実際人が救われていく実践・体験を含有したものであるから。自他の救いがない宗教など偽物だし、maまるで意味がない。
感謝していること
宗教的体験(邂逅)を果たし、味わいながら楽しんで研究できることを有難く感謝しています。
記事へブログ気持玉 / トラックバック / コメント


どうにもならないこころの底からの叫び

2019/01/24 05:05
 心に刺さる説法を聞きました。「響く」というような甘ちょろい感じじゃなくて、「刺さる」でした。

 その方の話を私は「本物」だと感じました。その方も同様に感じてくださっていたようでした。本物の感覚を言葉で教えて欲しいという私の願いを大切なことと受け止め、「『機の痛み』を脇に置いていない」という表現で私に教えてくださいました。この世間の知恵では解決できない真理の叡智、言い換えると仏の智慧でしか重荷をおろして軽くできないことを有縁の方々にお話しするのが説法であり、布教活動です。

 本物を見抜く感覚を研ぎ澄まし、一日でも早い真理との邂逅を目指し、成し遂げることこそが人生の目的です。弥陀の本願の生起本末を疑いなく聞き開き、「機の痛み」を持つ私を、そのまま、ありのままを助ける本願だと信心一つで救われてください。

感謝していること
研究会の発表で、ゲストで来ていた真友が信心を賜ったときのことをみんなに話してくれました。当時のことを思い出し感無量でした。


記事へブログ気持玉 / トラックバック / コメント


凡夫そのままのお助けと疑いなく聞く

2019/01/20 20:38
「自分の計らいではなく、凡夫そのままのお助けと疑いなく聞かせていただいております」
と電話口から張りのあるお声でよろこびを聞かせていただきました。
この世のどんなことよりも嬉しくて仕方がありません。
記事へブログ気持玉 / トラックバック / コメント


最近の記事

2019/01/19 21:16
最近書いたものをまとめてみました

先日、信心の沙汰をした人と電話で話をしました。疑いが晴れたので、疑っているままで救われるのが尊い本願だと誤魔化すために称えていた念仏と違う念仏が出てくるようになったといわれていました。このまま、しばらく様子を見てくださいとお伝えしました。

「お手次ぎ」と「受け念仏」という概念を知りました。法座で話しの合間に合いの手のように念仏する老人たちにずっと違和感がありました。かつてのアイドル歌手の歌の合間に「〇〇ちゃ〜ん」と叫ぶ人たちに対する嫌悪を惹起し、今でも超苦手です。私は大切なおもいは内に秘めます。

「お経の中にその名号を聞くと言われたのは凡夫そのままのお助けということ」
これに対してどう受けるか?

 もしもう少し生きられるなら、若いひとたちが後世の役に立つことをするお手伝いができたら嬉しいです。そうなれるといいなぁ

 世の中には信心獲得の人と未信の人がいます。信心の人の中にも仏恩報謝のために、阿弥陀仏のご本願をお話しされる方も、自分一人で法話や念仏を慶ぶ方もあります。私は残り少ない今生のいのちを一人でも、一言でも多くの方々に弥陀ましまして、今ここで救われることをお話ししています。

 学問の世界でもどういう方から教えを受けるかで、その後の研究や影響が異なってきます。御恩報謝の道も、どのような方から話を聞くかで、信後の活動が違ってきます。法然聖人を師に持たれたからこその親鸞聖人の御活躍だったのでしょう。

 「生けらば念仏の功つもり 死なば浄土へまいりなん とてもかくてもこの身には 思いわずらうことぞなき と思いぬれば 死生共にわずらいなし」(『法然上人行状絵図』巻第二十一)

 宗教的体験(信心獲得)をもって生死超える道を未だ知らない世界中の学者たちが、どうして真の人生観・死生学など語ることができようか。アカデミック人生論を私は誠に遺憾に感じます。

 生死を分けて死生学や人生哲学を講義し論文を書く世界中の学者に物申す。あなたたちは何もわかっていない。ただ、金や名誉や地位の為のくだらない仕事にくみしているだけだ!必ず臨終に大きな悔悟の念を起こすだろう。よくよく反省しなさい。

 信心がない人のことを批判するばかりで、信心のない人たちに自ら歩み寄り、対話を重ねて信心を賜ってもらう研鑽を怠っている人たちが、私は残念で遺憾です。でも、仕方ありません。御恩報謝の気持ちがないひとにいくら何を言っても始まりません。せいぜい自身の信心だけよろこんで自慢する生き方を楽しんでください。

 御縁、仏縁、宿善の薄い人たちは真実の仏の願いを話すと、鋭い刃でこちらに切り付けてきます。「お断りします」「聞きたくない」「取るに足らない話をする時間泥棒」悲しみながらも、今私が逃げたらほかに話す人がないと耐えるのは本当に辛いことです。

 私ただの凡夫なので、謗られ罵倒され罵倒されようと別に構いません。でも真実の仏の願いを謗る罪を造らせるのは残念で悲しいです。謗ることもご縁になると教えられても、仏さまに申し訳が立ちません。悔しくあわれで、悲しい中を生きていくのが娑婆世界というところなのでしょうか?辛すぎます。

 今死ぬと思えないから、信心の話など聞きたくない、お断りしますなどと呑気なことが言えるのだ。もう人生の折り返しをとっくに過ぎていながら、まだ、金や名誉や地位が欲しいのか?迷いの六道をまた輪廻されるのでしょうね。曠劫を迷い続けると親鸞聖人は仰せです。

オックスブリッチだ、ハーバードだ、極東の東大、京大だと威張ってみても、生死を超える道に出ていなければ、ただの自己満足の構ってチャン。やがて特別養護老人ホームで、風船バレーやペットボトルボーリングをしている仲間たちを馬鹿にしつつ、孤独に死ぬ怖い未来が待っています。

「遺体や遺骨を遺族に受け取り拒否される人生って一体何?」自治体から身内の死亡の連絡を受け、火葬代だけ払い、火葬場で見送りもせず、後はおまかせ。電車の網棚や公衆トイレ等に遺骨を放置された人を誰が嗤うの?人生を考え直さないと。

 どこからきて、何のために生まれ、生きて、どこに行くかすら分からないくせに学生たちの仕分けをして偉そうに教える教員に嫌悪感と違和感、そして憐れみの混じった感覚を抱きます

 サイコパス、モラハラ加害者(自己愛性人格障害)とは関わってはいけない。彼らは内省も、感情を言語化することもできない。これらを価値のないコスパの悪いものだと切り捨てるロジックを振り回し、誤魔化して煙に巻くのが得意だから。

 本当に頭が良い人は永遠の安寧、生死出る道、真理の邂逅を目指す。本当に綺麗な人は、内面の美しさを追求し、外見の美しさを他人にきづかれ、心の目が曇ることで、嫌な思いをしないよう普段は美しさを表に出さずに隠して、決してひけらかさない。

 ほとんど勉強せず、トップクラスの成績で難関国立医学部に入って出て、医師をしている友だちが何人かいます。その人たちから見下されたことはいまだかつてありません。世間的な記憶力などの頭のよさよりも、ひととしていま、ここで楽しむ時間を一緒に過ごしています。

エネルギー、オーラと一緒にたまに感じる何かがあります。スティッキー:いわゆるねばった、剥がしても油じみが残るような後味の悪さがある感覚です。でも、最近は、はりつかないうちにスッと少しズレるか、高速風力で飛ばすか、ぼやぼやしていて、付いてしまっても、高圧水流のイメージで洗い流します。

「宗教観を持たない日本の東大をはじめとする有名大学の男子学生やOBの精神年齢は幼稚園以下」
 決して、幼稚園児を馬鹿にするわけではありません。幼稚園児の中にも宗教観が育つ環境にあり、真剣に人生と対峙している男の子がいることを幼稚園の教員資格を持つ私は知っています。彼らに対しては尊敬の念を持って未来に素晴らしい活躍をされることを願っております。

 馬鹿野郎という言葉があります。この言葉においては、馬鹿は男と相場が決まっているのかもしれません。女が寄ってたかって、男をいたぶり、「突起物の付属する物」扱いする場面は全くないとは言いませんが、極めて少ないです。ほとんどの女性はだだ生活するだけで、本当に困難な状況に置かれていて、二流紙民扱いをされ、家事ロボットとして家庭では夫や子どもに扱われます。馬鹿野郎にそんな扱いを受け、こき使われる女性ですが、仕返しをしません。
 なぜなら、女はくだらないことに関わっていられるほど暇ではないからです。学齢期にはスクールカーストで気を使い、大学でやっと勉強に専念できると思ったら、大学の後半では卒論と並行して、就職活動が待っています。
 かなりの差別を潜り抜け、上手いこと就職して後、資格があるとか特出した能力を持ち自身で会社を立ち上げるなどする特別な機会に恵まれる女性もいます。しかし、現在の日本において、ほとんどの女性は責任のある仕事を任せてもらえません。正社員にしがみつくのは、非正規になるとボーナスも出ず、時給千円以下のパートタイムの仕事しかないからです。だから結婚しても、家事子育で夫の協力をほとんどあてにせず、感謝もされず、当たり前のような扱いで、家庭のあらゆる役割を一人で引き受け抜け殻のように疲れ果てる人生を送ることになります。

 このように女性たちは常に生活の家事に追われ、さらに補助的な家族を賄う金銭を得るための仕事に疲れ果てています。だから、男性を玩具にして性欲を満たしたりする時間などほとんどありません。そんなことをするなら何もせずに寝ていた方がよっぽどましです。
 学歴を鼻に掛けない、本当に優秀な男性たちもいます。彼らはもともと天才的な能力を持っているので、それが当たり前で、誰かに褒めてもらおうとは思っていません。今さえよければいいという刹那的な考えばかりではなく、先を見通す能力もありますので、そんなことより人生の意味を考えたり、真理との邂逅を済ませて今生を終えることに専念します。

 同時に、今、このときを楽しむ術を常に考えています。元々頭が良いので、その場の空気や他人の気持ちをすぐに把握できるので、他人に引け目を感じさせることは避けますし、一緒にいてとにかく楽しいし疲れません。

余談ですが、女性でも本当に心の中からも滲み出る美しさを持った人たちはそれを自慢することはありません。むしろ外面を褒められることを嫌悪します。なぜ内面のことについて話ができる人が少ないのだろうかといつも疑問に感じています。そういうものなのです。

  宗教心もなく、中途半端な学歴信奉主義の親に育てられた、プライドだけ高い馬鹿野郎がサイコパス、モラハラ加害者(自己愛性人格障害者)になります。彼らの両親や先祖も同じカテゴリーの輩で、連綿と連鎖するのです。
その連鎖の外で生きている人たちは、彼らのことを理解する事は出来ません。少なくとも今生では無理です。だから、関わってはいけないのです。関わると、レイプされたり、慰めものとして性的恥辱を与えられたり、優越感を満たすために「頭が悪い」「馬鹿女」とほかでもない「馬鹿野郎」たちに愚弄されます。

宗教心がしっかりした家庭で育ち、人生の意味を真剣に考え、真理との邂逅を求めるひとたちの中では到底考えられないことが、ここ日本では起こっています。日本だけでなく世界中であるのでしょうが、宗教を信奉する人たちが政権や社会の中枢の重要な地位にある場合、サイコパスやモラハラ加害者は睨みをきかされて、大きな顔は出来ないのです。日本の場合、リーダー的存在にあるものが、無宗教であったり、おかしな考え方をするサイコパスやモラハラ加害者であることが考えられ、とても危機的状況であります。

直木賞作家の姫野カオルコさんは怒りを持って、『彼女は頭が悪いから』という小説を書きました。私も同様に怒っています。この行き場のない怒りを、多くの方々と共有したいと存じます。

感謝していること
世の中には真っ当な考え方を持つ人もいます。そういう人たちはもっと声をあげないといけません。姫野さんの小説でそれを痛感しました。

理不尽なことには怒っても構いません。許さなくてもいいです。目一杯怒らないと、いつまでも怒りの炎は消えません。怒りの原因の本人にぶつけるのが一番ですが、死んでしまっていたりなどでできない時は、反面教師にします。自分は絶対同じことは死ぬまでしないと決意します。

「出ていけ」、「黙れ」というハラスメントキーワードを発する人たちって何様?自身も家庭や学校や職場などで言われてきたの?大切に丁寧に扱われてこなかったの?これらを発した途端、相手との関係が終わるけどきづかない?サイコパスだからわざとなの?自分が言われても平気?

他人を尊敬・尊重できる人は同様生き方をするひとたちからは同じように扱われます。一方、サイコパスか粗野で自己中の人たちからはいくら心を尽くしてもとんでもなく酷い扱いを受けます。関わる相手を慎重に選ばないと、ボロボロの抜け殻になります。

「昨日のこと」
「最後の最後、何とかすれば何とかなれるという、自力我慢の心が抜けないその方に、私は何を話したらいいのだろうか」とこんなことを道中考えながら自転車をこぎました。衣笠の大学から、途中、朱雀の自宅でCDをカバンに入れて深草の大学の正門に向かいました。

 「まだ、楽がしたい。現世利益を求める気持ちが抜けません」と仰るその方に言いました。

 「いつまで生きているつもりですか。長綱をはいていないで、臨終を今に持ってきてください。今死んだら、大事にしている身体さえも焼かれていくのですよ。

 何もあてにならないものに、どうして頼ろうとするのですか。生死を超えるために何か一つでも役に立つ、間に合うことがあるのですか。

 地獄と聞いても驚かない、極楽に行きたくもない。この迷った娑婆が大好きで、救われたいなどと全く思っていない逆法の屍が私であり、疑いを自分の力で晴らすことなどできなかったと知らされたとき、このまま、ありのままの私を救ってくださる阿弥陀仏のご本願が賜れます。

 空っぼで何もないところに、仏智が満入します。まだ何かある、何かできる、間に合うものがあるというのは、阿弥陀さまの頭の上で、腐った脳みそをかき回して、あれこれ計らい、必ず救うという命懸けの広大無辺なお力に底を敷いているのです。私が救われないのは阿弥陀さまの能力不足と。 

 どうか、阿弥陀仏に、今、ここで救われてください。命がある内に本願を賜ってください。」

こんな話をした帰り際にその方は言われました。

「救われたらあなたのように遠くても、寒くても、いても立ってもいられず、救われたいひとに話に来られるのでしょうね」

「特別なことではありません。当たり前のことをしているだけです。私にとっての御恩報謝は、阿弥陀仏のご本願が生きて働いていることをお話しして、一人でも多くの方々と極楽に参らせていただくことです。能力のない私はまだ何もできていません。それが申し訳なくて、ご縁のある方があれば、少しでもお話しさせていただいているだけです。」

このように申し上げて、まだご本願を賜っていらっしゃらないことが残念でしたが、龍大を後にしました。夜でも朝でも聴聞ができるようにCDをお渡しして、ご縁を念じつつ、後はその方と、阿弥陀如来の間のことで、私はもうここまでと。

感謝していること
 最近は、御縁の深い方々が、途絶えることなく私の周りに集まって、阿弥陀さまのご本願を聞いてくださることが嬉しくて仕方がありません。

 宗教だけでなく研究において、直感等の感覚は大切です。何かが降りてくるというもの以外にも、何となく気が進まない、読む気がしないという対象は要注意です。それは研究に値しないものであることが多いです。そんなときは、さっさと切り上げるてほかにいく勇気も必要です。

 昨年の夏の十日間余り、私はどうしようもなく嫌な体験をしました。つまらない慢心から人間はこんなにも嫌な奴になれるのだろうかという驚きが今でもあります。それを反面教師にしたり、乗り越えようとしましたが無理でした。その痛みを死ぬまで持ち続けていってあげようと最近決意できました。

 教員やカウンセラーはまず、目の前の人が何を感じているのかを聞くことに専念します。取るに足らないこと、とんでもない誇大妄想を耳にしても、怒らず、決して黙れと言ってはなりません。なぜなら、黙れ、出ていけと言われたら、弱い立場のその人は、無言でその場を去らないとならないからです。

 未信の人たちの言葉は氷のように冷たく突き刺さります。腐った脳みそを掻きまわして出てきた言葉をそのまま、信心の沙汰をしてくれる他力を知った人に吐きだします。御仏と共に、信心の人は憐れみ悲しみながら涙をこらえ黙って聞きます。信後、初めてこの苦しみにをきづきます。

 どんなことをしても何とか救われて欲しいと願うこころを知らない未信の人たちは好き放題の暴言を吐きます。なぜ救ってくれないのかと、腐った脳みそを総動員し、仏さまのお約束を疑い、底を敷きます。浅ましい、大変な罪ですが、御仏と一緒に泣きながら、ただ聴くしかありません。

 ライトワーカーや信心の沙汰をする他力のひとはなぜ、法を謗り、煩悩塗れであることを恥じ知らない好き勝手放題の人たちの為に、自分の時間を費すかといえば、自分もかつてこころをかけていただきながら、通った道だから耐えられるのです。

ほとんどの人は広大無辺な真理を見ず、狭く暗い卵の殻の中で、腐って死にます。素晴らしい境地を未だ知らない人たちなので、その狭く、腐敗臭のする場所が好きなんです。憐愍の念が湧きますが、御縁がない、もしくは薄い人たちなので仕方ありません。でも不請の友を買って出ます。

布教師も含めひとに教える人たちの養成の要は教え子の人格の涵養を常に念じられるか否かです。感じていることに耳を傾け、否定することなく、より佳き方向を示役目を果たすだけです。彼らはしばしば自分を超える素晴らしいことを教えてくれます。なぜなら、教え子は自分よりも偉大で、無限の可能性を持つからです。

 自身の能力の限界と若いひとたちの可能性を知っているから教員をしているのです。学校に雇われ、養われなくても、本も売れ、世界中から講演、講義などの依頼があります。その方が自由だしやりがいがありますが、できないから宮仕えをするしかないのです。そこのところを勘違いないように!

「お前は馬鹿だ!」これを暗に言われたことがあります。「周りの人たちはみんな自分より賢いと思った方がいいですよ」と。
「それは私が馬鹿だと、馬鹿にしているんですか?」と聞き返しました。その後、周りの人と私は真摯に関わっているけど、自分を卑下はしないと伝えました。

多種多様なことを知るのが賢い人ではありません。大量の知識はかえって人を不安に追い込みます。相対の知識には限がないからです。要る物要らないものを峻別し、必要なもの、大切なものだけと深く狭く関われるのが本当にものを知る優れた人です。多くの人はそれを知りません。

蓮如上人は親鸞聖人の教えを捻じ曲げていると宗教の学会で得意げに根拠を挙げて発表した研究者がいたそうです。

「無礼者!」「愚か者!」「馬鹿野郎!」としか信心決定の身の上からは言えないと内に秘めて真宗学者が冷静に反論したそうです。

宗教研究と信仰体験は切り離せません。客観的に再現性を求めるのは、相対の考え方です。信仰はただ私一人の身の上に起きる一回性の出来事なのです。信心獲得した体験がない者に、その重大性が分かりません。今生で救われないなら迷いの道を繰り返す悔恨の念の危機感を持たずにいられません。
記事へブログ気持玉 / トラックバック / コメント


昨日のこと

2019/01/17 21:03

「最後の最後、何とかすれば何とかなれるという、自力我慢の心が抜けないその方に、私は何を話したらいいのだろうか」とこんなことを道中考えながら自転車をこぎました。衣笠の大学から、途中、朱雀の自宅で御説法のCDをカバンに入れて深草の大学の正門に向かいました。

 「まだ、楽がしたい。現世利益を求める気持ちが抜けません」と仰るその方に言いました。

 「いつまで生きているつもりですか。長綱をはいていないで、臨終を今に持ってきてください。今死んだら、大事にしている身体さえも焼かれていくのですよ。
 何もあてにならないものに、どうして頼ろうとするのですか。生死を超えるために何か一つでも役に立つ、間に合うことがあるのですか。
 地獄と聞いても驚かない、極楽に行きたくもない。この迷った娑婆が大好きで、救われたいなどと全く思っていない逆法の屍が私であり、疑いを自分の力で晴らすことなどできなかったと知らされたとき、このまま、ありのままの私を救ってくださる阿弥陀仏のご本願が賜れます。
 空っぼで何もないところに、仏智が満入します。まだ何かある、何かできる、間に合うものがあるというのは、阿弥陀さまの頭の上で、腐った脳みそをかき回して、あれこれ計らい、必ず救うという命懸けの広大無辺なお力に底を敷いているのです。私が救われないのは阿弥陀さまの能力不足と。 
 どうか、阿弥陀仏に、今、ここで救われてください。命がある内に本願を賜ってください。」

 こんな話をした帰り際にその方は言われました。

 「救われたらあなたのように遠くても、寒くても、いても立ってもいられず、救われたいひとに話に来られるのでしょうね」

  「特別なことではありません。当たり前のことをしているだけです。私にとっての御恩報謝は、阿弥陀仏のご本願が生きて働いていることをお話しして、一人でも多くの方々と極楽に参らせていただくことです。能力のない私はまだ何もできていません。それが申し訳なくて、ご縁のある方があれば、少しでもお話しさせていただいているだけです。」

  このように申し上げて、まだご本願を賜っていらっしゃらないことが残念でしたが、龍大を後にしました。夜でも朝でも聴聞ができるようにCDをお渡しして、ご縁を念じつつ、後はその方と、阿弥陀如来の間のことで、私はもうここまでと。

感謝していること
 最近は、御縁の深い方々が、途絶えることなく私の周りに集まって、阿弥陀さまのご本願を聞いてくださることが嬉しくて仕方がありません。
記事へブログ気持玉 / トラックバック / コメント


宗教観を持たない東大をはじめとする有名大学の男子学生の頭の中身は幼稚園以下

2019/01/14 11:04
 決して、幼稚園児を馬鹿にするわけではありません。幼稚園児の中にも宗教観が育つ環境にあり、真剣に人生と対峙している男の子がいることを幼稚園の教員資格を持つ私は知っています。彼らに対しては尊敬の念を持って未来に素晴らしい活躍をされることを願っております。

  馬鹿野郎という言葉があります。この言葉においては、馬鹿は男と相場が決まっているのかもしれません。女が寄ってたかって、男をいたぶり、突起物の付属する物扱いする場面は全くないとは言いませんが、極めて少ないです。ほとんどの女性は本当に困難な上場に置かれていて、二流紙民扱いをされ、家事ロボットとして家庭では夫や子どもに扱われます。馬鹿野郎にそんな扱いを受け、こき使われる女性ですが、仕返しをしません。

 なぜなら、女はくだらないことに関わっていられるほど暇ではないからです。学齢期にはスクールカーストで気を使い、大学でやっと勉強に専念できると思ったら、大学の後半では卒論と並行して、就職活動が待っています。
 かなりの差別を潜り抜け、上手いこと就職して、資格があるとか特出した能力を持ち自身で会社を立ち上げるなどする特別な機会に恵まれた女性もいます。しかし、現在の日本において、ほとんどの女性は責任のある仕事を任せてもらえません。正社員にしがみつくのは、非正規になるとボーナスも出ず、時給千円以下のパートタイムの仕事しかないからです。だから結婚しても、家事子育で夫の協力をほとんどあてにせず、感謝もされず、当たり前のような扱いで、家庭のあらゆる役割を一人で引き受け抜け殻のように疲れ果てる人生を送ることになります。

 このように女性たちは常に生活の家事に追われ、さらに補助的な家族を賄う金銭を得るための仕事に疲れ果てています。だから、男性を玩具にして性欲を満たしたりする時間などほとんどありません。そんなことをするなら何もせずに寝ていた方がよっぽどましです。

 学歴を鼻に掛けない、本当に優秀な男性たちもいます。彼らはもともと天才的な能力を持っているので、それが当たり前で、誰かに褒めてもらおうとは思っていません。今さえよければいいという刹那的な考えばかりではなく、先を見通す能力もありますので、そんなことより人生の意味を考えたり、真理との邂逅を済ませて今生を終えることに専念します。
 同時に、今、このときを楽しむ術を常に考えています。元々頭が良いので、その場の空気や他人の気持ちをすぐに把握できるので、他人に引け目を感じさせることは避けますし、一緒にいてとにかく楽しいし疲れません。

余談ですが、女性でも本当に心の中からも滲み出る美しさを持った人たちはそれを自慢することはありません。むしろ外面を褒められることを嫌悪します。なぜ内面のことについて話ができる人が少ないのだろうかといつも疑問に感じています。そういうものなのです。

  宗教心もなく、中途半端な学歴信奉主義の親に育てられた、プライドだけ高い馬鹿野郎がサイコパス、モラハラ加害者(自己愛性人格障害者)になります。彼らの両親や先祖も同じカテゴリーの輩で、面々と連鎖するのです。
 その連鎖の外で生きている人たちは、彼らのことを理解する事は出来ません。少なくとも今生では無理です。だから、関わってはいけないのです。関わると、レイプされたり、慰めものとして性的恥辱を与えられたり、優越感を満たすために「頭が悪い」「馬鹿女」とほかでもない「馬鹿野郎」たちに愚弄されます。

 宗教心がしっかりした家庭で育ち、人生の意味を真剣に考え、真理との邂逅を求めるひとたちの中では到底考えられないことが、ここ日本では起こっています。日本だけでなく世界中であるのでしょうが、宗教を信奉する人たちが政権や社会の中枢の重要な地位にある場合、サイコパスやモラハラ加害者は睨みをきかされて、大きな顔は出来ないのです。日本の場合、リーダー的存在にあるものが、無宗教であったり、おかしな考え方をするサイコパスやモラハラ加害者であることが考えられ、とても危機的状況であります。

 直木賞作家の姫野カオルコさんは怒りを持って、『彼女は頭が悪いから』という小説を書きました。私も同様に怒っています。この行き場のない怒りを、多くの方々と共有したいと存じます。

感謝していること
 世の中には真っ当な考え方を持つ人もいます。そういう人たちはもっと声をあげないといけません。姫野さんの小説でそれを痛感しました。
記事へブログ気持玉 / トラックバック / コメント


凡夫そのままのお助け

2019/01/12 07:27
「お経の中にその名号を聞くと言われたのは凡夫そのままのお助けということ」
これに対してどう受けるか?
記事へブログ気持玉 / トラックバック / コメント


人世の軸となる第三の真理軸

2019/01/08 22:36
独楽に軸がないと回らないように人生にも軸が必要だと仏教の先生から自身の師もおっしゃっていたと教えていただきました。
他人でも自分でもない第三の真実の軸を賜って明日で10年になります。
御恩報謝が何もできず、無駄な時を過ごてしまい御仏には申し訳なく感じております。
記事へブログ気持玉 / トラックバック / コメント


真理軸で生きる

2019/01/07 11:44
他人軸でも、自分軸でもなく真理という新しい基準を得て菩薩道を行くスタートラインが信心決定。
それを支えるのが他力です。
梯さんの「他力の心」を昨日信心のお話をした方と一緒に聴聞して改めて知らされました。
記事へブログ気持玉 / トラックバック / コメント


機抜けの信心

2019/01/07 00:51
この言葉を初めて聞きました。
二種深信の法の深信の部分だけが感じられ有難がります。
しかし、機の深信、疑う罪が分かりません。
二つの深信が同時にたたず、化城に陥っている者を指すようです。
化城のほとんどがこれです。
的確な表現でした。
記事へブログ気持玉 / トラックバック / コメント


タイトル 日 時
どんなに辛く苦しい目に遭っても、まだ懲りないで迷っていると感じない残念な人たち
 うそだろ、いい加減きづいたら!  目を覆うような虐待を受けながらも、虐待の主を庇う発言をする人たちって何? ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2019/01/05 22:56
信心の沙汰を引き受ける条件
いま、ここで信心を賜りたい。 命は、一日に譬えると23時59分59秒。(もう後がない)。 お金、地位、名誉、肉親、友人など何もあてにできなかった。 一度限りの縁で、信心を賜る覚悟がある。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2018/12/27 09:21
私はもう死んでもいい!
「信心決定」、「信心獲得」、「信心一つで救われる」、「自信教人信」 これらの言葉をリアルタイムで自分の耳で聞くなんて夢のようでした。 確実に根を下ろして教えが受け継がれていると感じた瞬間でした。 もう私は死んでもいいと思いました。月が綺麗だったわけじゃありません。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2018/12/25 23:43
平生業成(二度の臨終)
平成二十六年の梯實圓和上のご葬儀に、天岸浄圓先生が御法話の際、「この度のご往生おめでとうございます」とおっしゃたそうです。続いて、法要読経のあと、梯和上の奥様が天岸先生のお言葉を受けて挨拶されました。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2018/12/22 11:22
罪悪感の追求から離れられるまで
 真理を受け取ろうと邂逅を望んだ時、いい人にならねばと考える人が多くいます。悪を止め、善を行じる仏教でいわれる廃悪修善のことです。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2018/12/02 16:18
如来大悲の涙
「或る日の夕方、友人が送ってくれた『法悦』という雑誌を読んでいると、白井助教授の一文がピタリと私の目にふれた。 『その疑情、ハカライ、自力の心があるために、仏の声を聞くことのできぬ私を、如来様は哀れみたもうて、一念一刹那も休む間もなく、大悲の涙を垂れたもうのである』との一文に、ぼくは参ってしまったのです。この文章を通じて生きた如来様の説法をききました。さながら剣道の達人から一気に脳天をたゝかれて、ハッキリと降参しました。これでモウ充分です。ぐったりと疲れはてゝ涙も出ない有様でした。むりな病を治せ... ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2018/11/30 22:09
全面依存(無条件降伏)していいのは親ではなく真理
 モラハラ加害者と被害者は親に自分は精一杯あなたの心身の面倒はみるけれども、本当に向かうべき先は別のものであると知らされてこなかった、ある意味、気の毒な人たちです。ある程度の温かな関わりが持てはしても、これが限界だと知らせてくれるいいか悪いかは分かりませんが、平凡で善良な親を持ちませんでした。加害者も被害者も虐待や放置をされるか、反対に親から頼りにされるといった子どもらしい子どもでいられる時代を過ごしてこられませんでした。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2018/11/29 01:29
この世の救い
この世の医者でも、命が助かるように全力を尽くします。彼らは、日々医療技術や理論等を研鑚します。それなのに、臨終や後生が苦になる人たちに対して、自力をすてて、他力に入る話を説き切ることを学ばず、安穏とした日々を過ごしている人たちに対して私は憤りを感じます。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2018/11/13 21:48
所詮、夢幻の世と信知できたのだから、そこで快適に過ごす道を行けばいいだけ
 全てを真理に委ねて、後生はおまかせなのに、私は全力疾走を止められずにいました。ふと、全力で取り組むやり方とは異なった視座を持ち、にこやかに優雅に生きてみてもいいのではないかという考えが浮かびました。全力で遊びのない生き方は自分ばかりではなく他人も疲れるかもしれません。怠惰なことを恥じ、時間内にできるだけの用事を詰め込んでこなしてきました。しかし、これがよかったのかは、私があまり気分がよくなかったことが多かったことからも違う気がしてきました。どういうやり方をしても結局は同じなのかもしれません。 ... ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2018/10/27 23:49
海外の日系人社会の宗教的要請ついて
この10月にブラジルとアメリカ西部の日系移民の地区のお話を聞く機会がありました。  日系人の外の現地人が、日本の仏教を知りたいと思っていらっしゃることに驚きました。文化的側面ももちろんなのでしょうが、教えそのものも聞きたいと思っていらっしゃる方もあるのかもしれないと感じました。  シアトル在住の研究者の方と奥さまとお話しして、来年の2月に渡米してお話しさせて頂こうかという話になりました。「信心の話をしたい。信心を獲得したい」というお気持ちでいらっしゃる宿善(仏縁)の深い方々が、このご夫妻... ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2018/10/21 12:35
尊いご縁
気持が打ちひしがれて、どうしようもなく辛いとき、仏縁の深い方とのお出合いのセッティングが設けていただける気がします。今日私がお目にかかったご夫妻が一日も早く信心を賜れますようお念じ申し上げます。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2018/10/20 10:17
私が生きていていい理由は仏さまがそうおっしゃるから
あなたにあえてよかった。 お浄土へかえる旅の間中、 ようこそ人間に生まれてこられた。 私の誓いを疑いなく信じ、御恩報謝の日暮しの中にあるあなたは尊い方だと、 いつも仏さまは、褒め、励ましてくださいます。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2018/10/12 21:29
私の重い苦しみを全部背負ってくださるお方
 真理との邂逅の後、私はずっと一人ではありませんでした。常に護られていて孤独ではありません。一度だけ忘れてしまい、本気で死のうと思いました。でも、ふと、私がお願いしたわけでもないのに、自分の足で歩けない私を不憫に感じて、その私の苦しみを背負ってくださっているお方の存在を思い出し、思いとどまりました。私は重い苦しみを持って生きている、その苦しみを引き受けてくださるお方である仏さまがいらっしゃったのだと知ってたことが、人生の分かれ目でした。それからは何が起きても、どうせ私は智慧と慈悲の光明の中にいる... ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2018/10/05 22:01
この世のことは自分軸を持ちメタ認知が出来たら何とかなるけど、あの世のことは仏さままかせ
 人間の煩悩からくる心理的な悩みは自分の内側に軸をしっかり持ち、耐えられない時は高みから自分を見下ろすような客観的な考え方ができれば、不治の病に罹るとか、不慮の事故に遭うとか、殺されない限り取り返しのつかないものである死は免れます。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2018/09/25 23:47
聴聞
「往生を全部おまかせしたお方との二人旅を命が終るまで精一杯させていただきましょう」。このような尊い御説法を聴聞させていただきました。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2018/09/24 22:10
結婚はモラハラ目的ではなく、お互いをありのままに受け要るためのもの
 余計な執着や比較を持つ人と、それを超え、そんなことでは安寧満足の内に生きられないことにきづいている人とでは住む世界が違うのです。だから相交わることはありません。途中で片方がきづいた場合、モラハラは逃れられますが、きづかない相手と違う世界で生きることは一種の修行のようなものとなります。その修行で一生を終えるか、別の環境で自分が成すべきことをするかは思案のしどころです。   同じようなきづきの内にいる人と一緒にいることが情緒の安定をもたらし、トラブルも避けられます。それでも、何とかきづく方法が... ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2018/09/17 18:10
傾聴的カウンセリングと信心の沙汰の関係性
 生まれてから今に至るまで、ずっとですが、私は人間の煩悩の喜怒哀楽にさほど関心がありません。醒めた目で世の中を眺めてきましたし、ずっと変わりません。どうせ今生、後は死ぬだけなので、私にとっては、何もかもが、どうでもいいのです。ただ、例外として、親しくしていた身近な人が死ぬという最悪の事態だけは耐えられません。どうしても執着してしまいます。他はなんとでも取り返しがつきます。生き別れになったり、絶縁状態であっても、プツンとキレた糸はまたつながることもあるかもしれないし、つながらなかったらそれは縁がな... ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2018/09/15 14:39
真理とは縁がある人にしか響かず、縁のない人は知ることもない
 これは厳粛で納得できる理に適う事実です。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2018/09/12 23:54
言葉では伝えられない・伝わらないその先のこと
 相互に受け入れる気持ちを持った者同士が、互いの言葉を以て、そのままのありのままの透明な自分を出し切って、受容し合い、共感し尽くしたところまでの話し合い、もしくは、カウンセリングすらなされることなく多くの人の人生が終わっていきます。欲や怒りや愚痴である煩悩の話ならいくらでもできますが、それは取りとめも栓もなく一時の満足をもたらす夢物語であったことをその終焉で人間は思い知らされます。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2018/09/12 09:39
人間同士における信頼関係
 分かり合おうとしても別の業を持っているので完全にわかり合うことはできません。  歩み寄り、近づく事はできますが、それも限界があります。  親や近しい人である配偶者や恋人などが話を聞いてくれたとしても、別の人間なので完全な一致をみることはできません。訓練を積んだカウンセラーなら表面的には受け入れてもらい、自分の気持ちを理解してもらえたという気持ちになることもありますが、究極のところでは孤独を癒すことは皆無であると知らされます。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2018/09/10 11:19
共に死すべき存在と認識し、死の解決の上、損得や上下関係を超え互いに愛おしく感じられる関係
 たぶん「黙れ!」とかいう暴言も、ストレスを晴らすどんな暴力も必要のない状況になります。  ただ生きていてくれたらいい、何もしてくれなくても、言わなくてもいいから、穏やかにこの世に存在していてくれさえすればいいだけです。その人の存在そのものをリスペクトするだけです。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2018/09/09 20:37
眼に見えないものが大事だってわからない?
 言葉や態度で私は自身の娘や周りの人たちにどれくらいこのことを伝えて来たか分かりません。でも、目に見えないものの重要性を自分が望むようには伝わっている感覚がありません。   態度で見せても、地味であまりにも控えめで伝わらないのか、言葉も表面が行き違ってそれを修復できないままでいるのか、そこら辺がよく分かりません。物事はいのちも含めて無常で今の形の輝きをこの先、とどめません。過去に執着してもそれは終わったことです。未来は来るか来ないか分かりません。    今、真理との邂逅を果たし、全てを分... ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2018/09/09 13:40
仏教が民衆の信仰として残った最後の場所で私ができること
 私が出会った、インド・中国・フィリピンでは、自国の人から阿弥陀仏や南無阿弥陀仏を教えられた人は皆無でした。 阿弥陀仏や阿弥陀仏の本願や日本人から聞いたり、経典や聖教で知っている人はいても、本当に救われる道、真理として知る人はいませんでした。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2018/09/09 12:02
人間の誰に認められなくても真理と一緒ならそれで構わない
 創造主なんていない! ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2018/09/08 19:37
ユートピアなんてどこにもない!
インドにも中国にも日本にも、ユートピアというような場所はありません。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2018/09/08 19:27
執着・慣れ合い・偽(仮)の共感、受容、一致からの脱出
 人間は群れて生き、限られた例外を除いては、一人では生きられない生き物です。  他人との関わり合いの中で、本当に価値のある物を見つけます。  そこにたどり着くまで、かなり長い距離を要します。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2018/09/08 10:46
信心を獲るのは金魚すくいとは違うのだよ
 これだけ聞いても、何を言っているのか分かりませんよね。  ある和上がその方に言われたことだと説法で聞きました。  金魚すくいの金魚は多くの外の仲間ときたない入れ物から個人の綺麗な水槽に移し替えられます。環境が変わり、気分良く過ごせて、餌も十分に与えられ快適です。それでも金魚自体は何も変わりません。これに対して、信心を獲た人は、環境や煩悩は変わりませんが、阿弥陀仏の本願に救われたならば、生きているその場で正定聚の身になります。一息切れたら阿弥陀仏のお浄土に生まれる身に生まれ変わります。このこ... ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 0

2018/07/29 10:51
カウンセリングや傾聴の技術は習得し出来ますが、それでは無明は晴れません
 常に私が人と接し、話す目的は信心を獲ること、迷いから覚めることです。人間理解や傷の舐め合いや慰めではありません。むしろ私は感情的・感傷的なことから距離を置いています。自己実現には、共感、受容、自己一致はそれなりに重要でしょうが、自己超越にはそれらは直接は役にも立ちません。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2018/07/29 10:32
生死を超える、転迷開悟と人間理解は目的が違う
 人間理解の先に仏教の目的である生死を超える、転迷開悟があるのではありません。人間理解は終わりがなく、限も際もありません。生死を超える、転迷開悟は今生、今、ここで成就出来ます。一度その心境に出たら、その先戻ることはありません。  そこを間違っている人が多く見受けられます。方向が違っていたら、目的地には永遠に辿りつくことはありません。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2018/07/29 09:45
苦しみの根幹を取り除くことしかしたくない
 私はカウンセラーの資格を持っていますが、いわゆる傾聴の技術を基本としたカウンセリングが嫌いです。ただ真実を話すための方便として我慢して聞くことはできますし、苦手ではありません。所詮、相手はたいていは何も考えていない凡夫ですから、そんなもののありのままを見させてもらっても、何だかな〜といった感じです。苦しみの枝葉は取り去ることが来ますが、根幹を根こそぎ取り去らなければ、枝葉はまた伸び、苦しみの花が咲き、いつまで経っても、仕合わせな人生を送ることができません。そんなことをいうカウンセラーには滅多に... ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2018/07/20 20:30
死ぬほど辛い経験をしたひとしか信頼できない
 仮にあるひとが、私のことを信頼してくれていたとしても、やっぱり疑い深い私はその人を本当の意味で信頼できません。そのことが知らされました。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2018/07/20 19:07
どんどん夢や希望が色褪せていくけれど、御恩報謝は一時も消えない
 あなたが欲しいものは何かと聞かれたら、特に何もないと応えます。  昔からそうだったのかもしれません。  阿弥陀仏におまかせの人生になっているので、やってきたことを粛々とこなしています。ただそれだけです。  私は欲しいものはないのですが、まだ信心を賜っていないひとに対しては、一日も早く弥陀を疑いなく信じる身に救われていただきたい。ただそれだけが私の望みです。  自分が救われたひとは、その境地を生きている限り、周りのひとたちに話をして欲しいです。 多くの真宗門徒が、「念佛や聴聞を慶んでい... ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 0

2018/07/15 17:56
聖人一流章
「仏のかたより往生は治定せしめたまふ」 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2018/07/11 23:07
無明の闇を破って迷いから覚める以外は別にどうでもいい
 無明の闇を破って長い迷いから覚める教えに反することは間違ったらいけません。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2018/06/24 13:54
人間のできることの限界を知って教えを説けるか否か
 大学院で論文を手厚く指導して頂いていますが、相互の遣り取りを通して指導して頂けるのは、投稿する本人がもうこれで完成と手放すまでです。指導する方は方向性を示してはくれますが、文章を書くのも手放す時期を決めるのも本人です。よき指導者はできるだけ無駄なことはせず、終着点を目指して方向を教えてくれます。    宗教家の役目といっても真理との邂逅ギリギリまで寄り添い励ますしかありません。 教えを説き、話を聴き心に寄り添い、話し合い、最終的に相手が自分の力を手放す気持ちになったときには、もう本人と真... ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2018/06/20 09:43
死の恐怖に怯える人に対しての応答
 「僧侶、布教師として私は何ができるでしょうか」と友人に尋ねられました。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2018/06/10 23:07
誰かに評価されたり、しない人生がいい
 自分が決めて、いろいろ選んで使命を果たせるように学んでいる人生で、ほかの迷った人間にいろいろ文句を言われるのはまっぴら御免です。少なくとも、大学院以外では、そういう人たちとは距離を置いて生きています。面倒なんです。本当にウザい。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2018/06/09 18:31
声なき声を聞く
 声なき声を聞きました。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2018/06/03 06:46
真宗カウンセリングがターミナルケアにおいて果たす役割――心の叫びに応える――
  同じテーマの論文を、一昨年の秋から準備して、昨年投稿の今頃、同じところに投稿しようと締め切りを前に同じように考えては書いていました。それでも思うようなものにならず、昨年は見送りました。そして、今年は別のところに学会発表して、論文を投稿しました。その論文の内容は概論的なものになりました。今回の文章はターミナルケアに絞ります。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2018/05/30 07:21
一人でも、何がなくてもよろこべる
 誰かといなくて一人でも、自身の才能、知恵、美貌、物質的なお金や物、地位名誉、何もなくてもよろこべることが究極的な安心満足です。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2018/05/20 15:38
真宗カウンセリングに法話を
 僧侶の立場からすると法話をしてから、そこで聞いたことを示談や談合などで話すということが常であるかもしれません。ここでその発想を転換してみるのも一つかもしれません。まず、法話の前に、どのようなことを現在気に掛けていて、どういう話が聞きたいのかをあげてもらって、その要望に基づいて、法話の内容をその場か、後日決めて説法を聞いてもらう方法がよいように感じます。そして、聞き手の言われていたことを法話に盛り込んで話します。そしてまた、法話の後か後日にカウンセリングを行います。カウンセラーが話したいことを一... ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2018/05/20 08:30
真宗カウンセリングは一般のカウンセリングの限界を超える
 人格の涵養には限がありません。もしカウンセリングに対して人格の涵養を目的とすることを期待するなら、相対的なことであり、一生涯これで完成したということはありません。それでも構わないなら、し続けたらいいでしょう。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2018/05/19 12:44
布教はまず相手の話を聞くことから始まる
 真宗カウンセリングの論文を書いています。その中で、カウンセリングを学びながら布教活動をした人たちの文章に触れながら、自身の活動の振り返りをしています。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2018/05/19 09:30
仮に瞑想などで人間人格最高峰を極めても、気を抜くと戻り、死の前で無効
 瞑想などで、人格が優れたものになっても、気を抜くと戻ります。 人格の最高の極みに上っても、死の前では何も役に立ちません。  なぜ、そのものズバリの死の解決をしないのでしょうか。  方法を知らないからでしょうか。  そこまで深い考えに至っていないからでしょうか。  私にはよく分かりません。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2018/05/11 09:33
今生で迷いから覚めることなく、人間の関連の何かの追求で終わる残念さ・危うさ
 せっかくのチャンスに、迷いから覚めることではなく、人間の何か役に立つことにばかり目が向くのは非常に残念で、危ういことです。よろこんであれこれしながら、崖に向かっている人たちに対して、何か示唆することは出来ますが、危ないところだったと認知して引き返すかどうかは本人次第です。無理やり押さえつけて、方向転換させるわけにもいきません。そう考えると無力感が胸一杯に広がります。危うい状況化を、仕方ない、どうにもならない現状を指をくわえてみているだけというのは何とも残念です。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2018/05/06 18:58
人生の最期はどうしたいですか
 家族や親しいひとたちに看取られて「お浄土でまっているから、元気に仲良く暮らすように」と言って還るのが理想でしょう。それができたら自他共に今生の生を全うできたように感じられます。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2018/05/05 09:52
生きる目的は人間関係の調和ではなく生死を超えること
 いくら仲良く元気に暮らしても、いつかは老いて死んでいきます。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2018/05/03 23:31
究極的に帰する点は無・空、性質は菩薩心(慈愛・信愛)
 他力は何もなく無であり、空っぽでした。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2018/05/03 13:08
生死出る道を今、ここで求める
 ひとは無常を感じる縁がないといつまでも生きられるという妄想を持ちます。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2018/04/22 00:24
違和感の大きなファクターは人間の想定枠内での罪悪理解を信心と思い込むこと
 つまり心・口・身体の三業で計る信心です。自身にある物を見続けても、それは所詮人間の腐った脳みそをかき混ぜて妄想を繰り返しているにすぎません。人間の考えに上る罪悪など氷山の一角です。過去より造ってきたそれが悪だとも認識できない様々な事柄もすべて含めて信知するには真理の力でしか成し得ません。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2018/04/08 10:09
年齢・性別・生育環境に関係なくわかり合える信心
 少しずつ謎が解けてきました。なぜこんな簡単なことが分からないのだろうとずっと疑問でした。なので、表現方法において難しい単語や専門用語を別の一般の人が分かるような言葉に替えて書いてきました。それでも分かる人がなかなか出てこない。これは何が原因だろうかと困っていました。反対に言葉や単語を大人が共有するものにしても、ほんの一部の幼児や高校生や大学の学部生でも分かるということを確認しました。これは信心の有無や真理を求める気持ちの遠い近い(仏縁の厚薄)などに関係するのだとやっと少し納得できるようになりま... ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2018/04/08 09:33
何らかの死の淵を感じる状況に在るあなたへ
 病院で医療器具につながれている友だちがいます。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2018/04/06 00:58
全く何も要りません、信じようとする心も捨ててください
 自分の力は全部間に合いません。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2018/04/06 00:52
今、ここで信じられているかが大切
 他は何も要りません。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2018/04/06 00:48
まだ死なないと思うので真理に真摯に向き合えない
 戦犯であった土肥原賢二さんが真理を体得したい、そのために宗教に向き合いたいと考えたとき、禅宗では自分は理屈としては分からないこともないが、体験ということになるとピンとこなかった。親鸞聖人の伝記や、浄土三部経や正信偈、蓮如上人、法然聖人の伝記を読み、阿弥陀仏の本願でしか救われないと納得した。その後念仏を称えるようになり、有難くもあった。それでも「徹底を欠いていた」のは恐らく「生」に対する陰影があったからであろうが、死刑の宣告を受けた時、カラッと晴れ渡った気持ちになり、全身全霊をあげて、念仏するよ... ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2018/02/21 12:50
人生は苦なり――時折ホッと一息つき、また苦しみが続く――
 物心ついた時から、人生は火のついた家にいるか、もしくは水中で溺れていて時折水面に顔を出すようなものだと感じていました。家は安心する場所なのに火がついていて、どんどん燃え広がっていく。それなのに、その危機の中にありながら、まるで火事場にいるを忘れ、熱さに慣れてしまいますが、炎や火の粉が降りかかってきて、こんなことをしていてはいけないと我に帰ります。いつも溺れているようにもがき苦しんでいる中で、ふと水面に顔を出せるときがあり、一瞬、楽になっても、また大きな波にのまれて苦しい水面に引き戻されることの... ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2018/02/20 22:03
カウンセリングはその目的が肝要
 今、死に臨まんとしてその実存的な解決をしたい人等、例えば死刑囚や不治の病を宣告された人や家族。世間一般の人間関係や労働問題等で困って解決したい人では、カウンセリンセラーの種類が明らかに違います。一方は、宗教や思想的な観点から、他方は経験的実践的観点からのアプローチをすることが多いでしょう。とりあえず両者は、区別される問題なのです。それを一緒くたにすると問題は解決するどころか混迷を深めます。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2018/02/18 18:34
人生は苦の連続、苦しみは止まらないという厳粛な事実
 このように疑うことなく感じられた時、私は自分の力の限界を受け入れました。  誰かの何かをもってしても、この現実・現状・事実は全く変わることはないのだと知らされた時、真理に身をゆだねました。自分へのこだわりが無くなりました。  死すべき肉体を持った人間は、その最後が来ることをきづいてしまったときから、苦悩の旅が始まります。きづいてしまったからには後戻りはできません。どんな栄耀栄華の身に在りながらも、快楽を感じても、これらは一時の物で、死ぬという事実は変えることは出来ないのだと常に頭の中で声が... ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2018/02/17 00:21
思考が『疑い』(執着)を生む
頭がいい、賢いなどと誰かから褒められても、所詮迷った人間レベルの話です。広大無辺の真理から鑑みると本当にちっぽけなことで、取るに足らないこと。思考することが高尚なことのように考えられていますが、それが反ってかえって、真理から遠のく原因となるのです。胎内にいる赤ん坊は考えません。両親や周りの声を聞いて、こんな家に生まれたらとんでもないことになるから、別の親を捜さないとならないという危惧など全く持たず、赤ん坊は大いなる力にすべて委ねます。ただただ、母親のへその緒から送られてくる栄養を取り入れ、... ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2018/01/28 10:56
信疑決判
 最近、江戸時代の法話での言説を分析しています。その中に「信疑決判」という言葉がたくさん出てきます。真宗の教えの大切な言葉であり、これがしっかり心にコトリと落ちている人はどれくらいあるのでしょうか。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2018/01/27 20:46
真宗門徒が最後にすがるのは念仏、取れない疑いは自惚れから
 どんな善も全く他人を思い遣ってすることは出来ない。いつでもどこでも我が付いている。それなら、何もできないなら、阿弥陀仏に向かって念仏するしかない。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2018/01/20 10:20
ハンマーで頭を打たれた如くのきづきー死の解決の話は私がするという心意気・自負ー
 昨日は講義の中である学生の方の話を聴きました。その方は昨年の初夏にお母さまを亡くされたとのことでした。最後までお父さまと回復のためのいろいろな試みをされたのだけれど、それが本当にお母さまの為になったのだろうかと後悔の念が込み上げてくると悲しそうに仰いました。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2018/01/18 12:39
報恩講・御示談・御恩報謝・信心決定
 先週末は某所の報恩講に参詣しました。報恩講のご縁に遇うのは10年ぶりです。 そして夜は若い僧侶の方の少人数御示談もご一緒できました。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2018/01/17 09:11
自分が全面的に受容されていると気付くことが全ての解決の道
 これは簡単なようで、最も難しいことでもあります。  自分を自分が受け入れること、自分で自分を愛することでは解決になりません。  真理のようなものすっぽり全身が包まれ護られて、二度と離れることがない感覚をずっと保ち続けている人は稀です。全ての人に、早くそういう身になってほしいですが、こればかりは自分自身で求める覚悟が出来なければ難しいです。特に周りの大好きな人にそういう境地に達してもらいたいと思っても、求める心は私には与えることができません。ただ待っているだけです。   大切な人... ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2016/11/04 10:26
思う存分弾けましょう
「主体的に生き、何度も失敗し、傷ついて、また立ち上がった先に見えるもの」  受け身の人生にもう終わりを告げませんか。  たかが何十年か積み上げてきて獲た名声や地位や外側の自分じゃない自分に別れを告げ、  本当の自分を生きませんか。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2016/11/04 09:56
なぜ人を殺してはならないのか
 親鸞聖人のこのお言葉を私は一体何回聞いたことでしょうか。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2016/09/04 11:33
日々真理が伝えられる環境で皮膚呼吸の様に自ら求める苦労がなく他力を受け取った人たち
迷いから抜けて一日も早く、真理との邂逅をよろこぶ身になりなさい ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2016/05/06 19:56
私の使命
 もし次元を超えてワープできたら、羽があれば、世界中の救われたい人に話に行けるのに。こんなことをいつも思っています。  ただ、私には「憶いを念じる」という時空を超える最大の宝があります。30年の聞法で得た言葉という宝石をたくさん持っています。この宝珠をたくさんの人に届けなさいというミッションを私は持って生まれてきたと小さいころから感じてまいりました。 仏さまのような神通力を持たない凡人の私に、今の時代は変わりにコンピュータや飛行機を使わせてくれます。 パソコンで世界中の人に一瞬で... ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2016/04/27 19:13
人生は後始末の連続
 朝起きて寝るまでに、3度の食事をしてトイレに行き、合間に仕事をし、子どもや若い人を育て死んでいく、それだけが人生だと一休は言っています。  朝起きて布団を出たらたたむか、ベッドの場合はきれいに直します。食べたら排泄し、その間仕事をして家族を持ち歳を取って死んでいきます。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2016/04/21 20:49
自力が他力に変わるととどうなるか
 まず、真理への疑いが完全に微塵ほどもなくなります。 ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 0

2016/04/09 23:08
世界を一つにしていくために
 「世界が一つになる」ではなく「世界を一つにしていく」と書いたことから説明します。 ...続きを見る

ナイス ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 0

2016/03/27 23:13
遊戯三昧
 趣味はなんですか? ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2016/03/15 08:59
捨てられるなんてありえない だからもう今生で逃げるのお終いにしな!
 いつも見捨てられそうになったら、自分からわざと暴言吐いたりして関係を終わらせてきた人いますか。  トランプとか将棋とか碁とかね、負けそうになるとぐちゃぐちゃにかき回すの。  そのゲームに参加してた人はあっけにとられて、呆然とする。 ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 0

2016/02/27 15:58
方向性を定めることの重要性
 何においても、最終着陸地点がある程度定まっていないと怖いです。  阿弥陀仏に今ここで救われて、一息切れたら極楽浄土に参ることは、死の不安を完全に取り去ります。何をしていても安心できて、思う存分生きられます。  今、死んでも未来が明るいということほど嬉しいことはありません。  特に不治の病や事故で大けがをして意識が薄れて死にかけている人にとったら、今、ここで救われる阿弥陀仏の本願は最高のプレゼントです。 ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 2 / トラックバック 0 / コメント 0

2015/12/31 18:53
死の解決を求める
 人間は生まれたからには必ず死ぬ、今あるものも全て置いて一緒に暮らしている人たちとも別れていかなくてはならない。  これを何とか出来ないものか。  死んだ後も見えない、わからない、行った人もいない、  大していいこともやってきていないから、極楽に行けるとも思えない  ずっと死んだ先が真暗らで独りぼっちのような気がして怯えていた ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 0

2015/12/31 18:49
真摯に生きる
 阿弥陀さまは、信じてくださいって言われる。  もし、あなたを救うことが出来なければ命を捨てるという前提で。  信じてくださいと相手にいうときは命がけじゃないと信用してもらえない。  それが大切なことであるなら余計に。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2015/12/27 08:18
手放しの信心に至るまで、自力は何か偽者を握っていないと安心しない
 他力(真理)を前にして自力は取り込まれまいと、ひょいひょいと物凄い抵抗を示して逃げます。  真理の矛盾や真理そのものの概念を考え出したり、はたまた真理の 話してくれる相手の人格を否定したりまでして、とにかく必死です。  愛と憎しみの煩悩にまみれた、迷いしか知らないので、とにかく不慣れな自分の知らないものからは、遠ざかろうとか反対にやり込めてやろうという勢いで、かわすことしか考えません。  哀れで気の毒なことだと感じますが、自力はつかまるまいと必死です。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2015/10/10 06:47
経典 お聖教 説法 御示談
元々は釈尊の説かれた説法がとして書物になり、それが中国そして日本に来る中で翻訳されてお聖教になりました。  その中に阿弥陀仏の本願も伝わりました。  日本では浄土仏教という形で、源信僧都・法然聖人・親鸞聖人・蓮如上人の教え、そして江戸時代から現在に至るまでたくさんの妙好人の言葉が残っています。    お経やお聖教は仏教の知識がある程度あるととても簡潔で理論的で分かりやすいです。しかしながら、日々の暮らしに追われる一般の人たちは仏教用語も分からず、仏教の目的が迷いから覚める六道出離と言... ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2015/10/08 07:09
阿弥陀仏・法蔵菩薩の憶い
 どんな心掛けでしているかで、言動が変わります。  心掛けがよくないと出て来る言動も同様のものになります。  どういうことを目的として、今自分が何をしているか分からないと空回りすることになります。    よき師に巡り合わなければ、自分の器の大きさだけの言動しかできません。  書物で読んでも、講義を聴いても余程優れたたとえば法然聖人のような方でなければ、おそらくそれらを正確に身に着けることは難しいでしょう。  親鸞聖人はもちろん素晴らしいですが、もしも法然聖人とのお出合いがなかったなら... ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2015/10/08 06:30
阿弥陀仏のご本願があることを知っただけでも素晴らしい!
 私にはわからないことがあります。  真宗の教えに出合ったことで、それだけでも、なぜ歓喜がないのでしょうか?  阿弥陀仏の全ての人を救うという願いがあることだけでも知っただけでも、うれしくないですか?  朝夕のおつとめで真宗宗歌の1番を私は何万回も歌いましたが、救われていない時でも有難くてよろこびが出ました。30年近く歌い続けていますが、いつも嬉しいです。こんな素晴らしい教えに遇えただけで  阿弥陀仏と心が一つになることや死の解決も説かれていますし ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2015/10/06 08:36
見ずや君  明日は散りなん花だにも  力の限りひと時を咲く(九条武子)
 この頃毎日、重誓偈や四弘誓願などの漢文を心で念じ、仏法をお伝えする心構えを知らされると、正定聚の救いを賜った当時の決意や覚悟が薄れていたことが知らされました。  先生の決して途切れることのないご布教への情熱を肌で感じて、私は弱音もはけないし、泣くことも、泣き言もさえも言えないのです。     無常の命を持っていて、使命を果たすまでは死ねないと頭では十分わかっています。それでも、こんなに能力もなく聞いてくれる人もないなら、もう何もしないでずっと南の島で余生をゆっくり過ごしたいと何度も頭... ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2015/10/03 20:39
恩徳讃
 如来大悲の恩徳は身を粉にしても報ずべし  師主知識の恩徳も骨をくだきても謝すべし    念仏 重誓偈を称える毎日、そして先生からのご指導を賜る時間を有難く生きております。  今朝の先生からのメールで、今まで75%くらい成し遂げたけれど、これからが正念場ですというお言葉を賜りました  微力ではありますが、この先生のお手伝いを、先生が望まれることをさせていただこうと強く思われました。  それにはいろいろまだまだ修行が必要ですが・・・・・・。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2015/10/01 10:18
死後の底知れぬ闇と人生の限りなく続く苦悩の解決
 闇がなければその闇が晴れるということもなく、苦悩がなければその苦悩を解決したときは金輪際、訪れません。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2015/09/29 20:59
国の混乱状況での仏教徒の役目とは
こういう時こそ、本来の自身の使命を確認することが大切になります。  確かに意見を求められたら命が生かされるようなこと述べ、仏教が求め信心を賜りやすいような世の中になる言動を取ることも必要です。 しかしながらそれは枝葉末節であり、根本の魂の解決は別にあります。まだ戦争は始まっていません。  しっかり御仏の教えを説くことこそが、教えを説く者の役目です。  たとえどんなことが起きても、心安らかに、置かれた状況で自身の本分を生きていくことを自ら示し、一日も速く信心を賜っていただく話をしていく... ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2015/09/21 20:33
戦争は全てマッチポンプかもね!
 権力者というのは権力を持っていない人たちを動物や虫たちよりまだ下の物としか見なしていません。ほとんどがサイコパスといってもいいかもしれません。でなければ人間の心があるなら、良心のかけらがあるなら、非道なことは出来ません。  人間が原爆などで跡形もなく溶けようと粉々になって死のうと平気。後遺症で苦しもうと知ったこっちゃありません。それどころか後遺症は実験結果を見る研究材料とみなし、真剣に治すことなどしなかったのが原爆の後の状況です。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2015/09/21 06:27
死が目前なら救済は必須だけど、観念の遊戯の学者にはそんなの関係ない!
 昔、昭和の戦前から戦後にかけて、結核が死病だった頃、特に若者は差し迫った死の淵にいて、救いを求めました。  その時、真宗の僧侶の子弟を中心に一冊の本が読まれました。 阿弥陀仏の本願のましますこと、凡夫が救われることを描き、救済を求める彼らの光となり、指針となりました。 それは伊藤康善氏の『仏敵』でした。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2015/09/19 12:33
善知識(先生)を求めて
 今から想うと私にとって単なる出発点であり、通過点だった正定聚までの道のりでの善知識探しの誤りから、長いこと苦しみ悩み自分の居場所がなく、心を閉ざして誰にも何も言わずに、言っても分かってもらえずに過ごした時期が30年近く続きました。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2015/09/16 11:17
堂々巡りがやっと終わりました
 30年近くかかって、大変な思いをして私は御仏から無明の闇を晴らしていただき、信心を賜る身になりましたが、それで終わりではなかったということを今日教えていただきました。  信心を賜る人も本当に稀ではあるけれど、その後、迷いの世界を抜け出ることでホッとしてしまい、そこから動かない人がほとんどで、その先の境地に到達していく人は稀だとある方から教えていただきました。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2015/09/12 01:01
今生で最も解決すべき根本的な問題
 一人一人の生命が光の中にあり、そこで永遠に護られた無量の寿命で生きていることにきづくこと。  このことが退屈に感じるのなら、それは迷いの世での煩悩を味わい尽くしていないせいかもしれません。そして自身の今生での死を遠くに追いやっているから。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2015/09/06 10:46
生きる目的はいい人になることではなく、どうにもならない本当の自分を知ること
 一生懸命よいことをすればするほど、よい人になれるという感覚はまやかしです。必死になればなるほど、いい人になれないときづきます。   人間は自分が死ぬことを一番恐れます。それは生き物の本性です。  なぜ恐れるかと言えば、死後がハッキリしないからです。  暗い所に堕ちるという漠然とした真っ暗闇の恐怖の中方、方向性も見出せないまま、ただ彷徨っているのが現状です。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2015/08/09 06:41
御仏の願いを聞きたい人へ
 もし個人的に何か質問がありましたら、次の課題をまずしてもらっています。それが今は無理でできない方は、決意できるまで、いつもの投稿文をご高覧いただけたらと存じます。  ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2015/03/13 11:11
真仮の水際
 疑いが晴れたときのことを貧困な語彙や拙い表現力ではありますが、書いてみました。  長年の私にとっての聞法とは内陣から御仏の打ち出す真実の玉と外陣にいる私の雑行・雑種・自力の玉の戦いでした。御仏の真実の玉をひょいひょいとすり抜け、全く役に立たない自力で応戦していたまことに愚者の私でした。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2015/01/06 10:47
信心を賜るのは一つの通過点という事実
 真理との邂逅をした人、他力の信心を賜った人は知者であり人格者であるという幻想が私にはありました。世間のいろいろな酷いことを見聞きしてきたので、尚更に清らかな世界に憧れていたのかもしれません。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2015/01/05 10:38
おかる同行の信心から
  信心の事は日頃は、御仏と一体になっているので、6年ほど前より当たり前になっております。  まだ信心を賜っていない人にはお話をさせていただく事が私の御恩報謝と思っております。  名医ならまたは自身がその病にかかっていて克服したものなら、同じ病に罹っている人がいたら放っておけません。  私は説法をする名医ではなく、無明業障の怖ろしき病を御仏より治していただいた、ただの凡夫ですが、そこに至るまで(疑いが起きてそれを晴らさせていただくまで)の辛く苦しい心の道程、苦悩・葛藤などは忘れたくても忘れ... ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2015/01/04 11:58
徹底した真理との邂逅を一人でも多くの方々に~初春の決意〜
 宗教的体験を語る人はたくさんいます。  しかしながら幻想を見聞きしたり、また元に戻ったり中途半端なものが多いのは残念です。それから誰かの話を聞いている内に、自分のこととその人のことが混同されて、信心を賜ったつもりになり安楽椅子に腰かけている人たちもたくさんいます。元に戻った自覚がある人はいいのですが、「つもりの信心」ほど始末に負えないものはありません。    これが地位も名誉もない若い人なら指摘されて、これは大変とまた求め出しますが、何かの権威とかで社会的立場を獲ている人たちは絶対認めよ... ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2015/01/02 17:35
真理との邂逅は目に見えない世界だから難しいけど易しい
 この世のことならたとえば、ビジネスでの成功、難関大学への入学などを成し遂げた人が割合たくさんいます。そしてその人たちが講演をしていたり、ハウツー本を出していたりします。  目的を見失わずに、言われている、書いてある方向に向かって努力すれば、それなりの成果は得られます。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2014/12/31 11:10
疑いが晴れてこそのよろこび
あなたとの 出値いのときから 消えていた 要らぬ疑い これがくせもの  ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2014/12/30 09:42
一味の心境にある人は何となくは分かります
 もちろん真理と本人さまのことなので、正確に絶対同じ心境にいるかどうかは言えません。また、数日前は違ったけれど、今日の今の時点までで真理との邂逅をしているかもしれません。こればっかりは分かりません。  今、この場で直ちに真理との邂逅は出来ますので、念々のことなのです。  こんな理由で、あの人はまだ信心をいただいていないと、未信の人だと本来ならば非難することもできません。それに自分が賢くて努力だ出来て賜ったものではなくたまたまのご縁で何の不思議か全てが御仏の方からのことなので、早く同じ身に救わ... ...続きを見る

ナイス ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 0

2014/12/28 21:36
絶対裏切らない心の拠り所があれば違った生き方が出来る
表面的なことばかりに気を取られて、本質を見失って十分に学べなかったり、不用意なことでお互いに人は傷つけ合ってしまったりします。  本当は心穏やかに楽しい気分で過ごしたいのに、余計な意地やプライドが邪魔をして殺し合いになることもあります。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2014/12/14 08:37
その人の真摯さで物事を判断してたらもっと早く見切りがつけられたのかも
  信心はその人がサイコパスだろうと何だろうと関係なく給われます。   しかしながら、信心を説く人がサイコパスだったり、途中から目的がずれていたら、そんな人について行っても、きっとお金やその他を巻き上げられて、死ぬまで救われないでしょう。   自分や家族などの身内が救われることだけしか考えていませんから。もしかしたら家族もどうでもいいのかもしれません。自分が救われたら、その後はどうしたら自分の欲が満たせるかそのことしか考えないと私は思い至りました。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2014/12/13 18:35
「円満調和」にします。「絶対調和」はよして
 今日もいろいろ考えていましたが、やっぱり「絶対」という言葉の響きにどうしても違和感があるので、「円満調和」に変えます。またもう少しいいものを見つけた方はお知らせください。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2014/11/14 23:06
絶対調和=空=無
 ほかでしているブログでこのことを詳しく解説している投稿記事があります。  http://ameblo.jp/stella18/entry-11653067805.html  その中で以前は「真理の光源」は存在する空間の『全てであり、または無(空)』でもあります」と表現していました。  「全て」という表現がほかの二つと完全にイコールになっていないように最近感じていました。それで罰の言葉で言い表せないかずっと探していましたが、ピッタリの言葉に出合えました。  「絶対調和」です。これなら「全... ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2014/11/14 10:58
相対の人間の頭で絶対の真理・光を信じることは不可能
 ちょっと考えれば分かることですが、言葉にしてみないと分かりません。  頭で考えるのではなくて、真理・光などと一体化したことが分かった時が信じたときという表現の方がより近い気がします。  また、一体化するというのも自分とは違う他者がどこかから飛んできてくっ付くとか入り込むというようなものではなく、自分と思っているものと、もともとそれも含めて全体として一緒に初めから共存していた不可分なものの存在とが波長が合って両者がつながったときが信じたとき、言い換えれば、知らしめられたとき、賜ったときという... ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2014/10/19 13:18
迷いの中に暮し、その迷いが大好きでそこから抜け出したくない人が大半です
人間のほとんどは、迷った状態しか知らないので、そこで勝つこと、たくさん何かを持つこと、人を顎で使うことなどが楽しくて仕方がないのです。   煩悩の刺激が酒や麻薬のように作用しています。      真理の素晴らしさをいくら話しても、そんなもの要らないと言い放ちます。   仏さまの願いを賜ることを研究する学者も僧侶も求める人は非常に少ないです。 真理を求める心と学者としての学問的興味はまた別です。  職業とし僧侶をしているのと自らが迷いから抜けて真理をお伝えするのとも大きな違いがあ... ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2014/10/04 19:33
直すというのは正しさを知っている人がすること
 真理との邂逅は結局、全ての空間は空っぽで何もなくそれが全てだということを鮮やかに知らされた体験でした。  真理であるという事は何かあったらそれは真理とは呼べず、イコール何にもないすなわち、空ともいえるものですから、そこには人間があれこれ言うような正しさも間違いも存在しない。自分が思い描いていた真理とは全く異なった次元の想像が及ばない世界です。  人知を超えているのです。  ただし、真理というのは何もないのですが、人知を超えた智慧を持ち、温かくてよろこびを与えてくれる光のような性質があり、... ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2014/10/03 09:27
仏さまじゃなくて人間に人生をゆだねちゃったら、その人が倒れた時一緒に倒れるよ
人間ほどあてにならないものはないんですよ。  だって、限られた命しか持っていないもの。  生きてるときはどんなに頼りになったって、先に死んじゃったら、それは最大の裏切りだから。  私より長生きしてっていくら願っても、無常の風に吹かれたら置いてかれちゃうから。  人間じゃなくて永遠の命のある御仏、言い換えると宇宙の真理みたいなものを信じなくちゃね。    家族や友達や恋人の人生を束縛して、不自由にさせている人がいたら、そろそろ解放してあげてね。  その人たちに、自分は自分のできる... ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2014/09/29 19:56
やっぱり仏教とのご縁が私にはあったのでしょう
 小学校で鎌倉新仏教を学び、真宗の教えが信心一つの救いだと知り、  中学の歴史の資料集のガンダーラの釈尊の仏頭の写真に心惹かれ  高校では歎異抄を謹書し、阿弥陀仏のご本願に思いを馳せました。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2014/09/21 02:23
今、この瞬間を精一杯生きていますか?タイトルの意味
 これは私が御仏の願いを賜りそれをお伝えしていく中での溢れる想いを何とか形に残そうと始めたブログのタイトルです。今でもいくつかの投稿媒体とリンクしてこのブログは続けています。  なぜなら、きづきを賜って10か月後から始めた投稿記事は私の目覚めたときからの気持ちの変遷の記録だからです。これを残しておきたいという想いからブログが閉じないように毎日のように更新しています。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2014/09/20 09:22
タダだそうだ、そのタダが分からない、タダだった
真理への到達の道には段階があります。  自分の力が何一つ間に合わないで真理に帰依して、融合して一体化した状態の時がタダと知らされた時として話を進めます。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2014/09/18 19:00
法蔵菩薩の願心
絵を描いて隠居生活などしている暇はありませんよ。  逃げて楽をしようとしている後ろ向きな私に、あちこちから周りの人が真理へ向かうお手伝いを主として生きるようにとのお誘いの手が掛ります。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2014/09/13 18:02
サウサンプトンの会議のこと
輝く光明と対極の無力感とを携えての帰国でした。  阿弥陀仏のご本願は世界をあまねく照らすものであることを知らされました。  しかしながら、言葉・人種・ご縁の鉄壁に体当たりして、ブロックされ跳ね返されました。我が身の無力さを思いきり知らされた英国の旅でした。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2014/09/12 21:58
阿弥陀如来のお導き(ご招待)で英国での魂の同窓会へ」
 みなさま、ごきげんよう。  いよいよ明日からイギリスです。  先生や家族を始めたくさんの方々の励ましや協力で渡英が叶いました。  目には見えませんが、全てが阿弥陀仏の思し召しと自覚して、現地でたくさんの方々と交流して学んで元気に帰ってきます。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2014/08/27 08:32
厳しく辛い出来事や環境を生かせる柔軟な心
人生は面白おかしく笑って過ごせる時間ばかりではありません。  それは人間には生老病死があるからです。  人は生まれたからには老いや病で死んでいきます。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2014/08/17 21:01
真理はここにあります。ただ、きづいて、疑いなく、受け取るだけです
 私たち人間は何か考える時、慣れ親しんだやり方や現在偉いと思われている誰かの教えを信じて真似をします。  それが真理なら真理を受け取れますが、そうでない場合がほとんどです。 ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 0

2014/08/14 10:21
英語での信心の沙汰 Encounter with the truth (スカイプでアジアの真友と)
私たちは幻想や夢の中で生きている We live in a fantasy and a dream 私たちは六道輪廻から人間に生まれているとき抜け出せる。 When we are born as a human being from transmigration in the six worlds, we can start falling out. 宗教の究極は皆同じかもしれない All the ultimate of the religion may be the same ... ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2014/08/13 23:10
まず目的ありき〜厳しい人間界の現実〜
 この世に生きているほとんどの人は自分と他人を隔てる愛憎の世界を好み、御仏の元で安寧な分け隔てのない境地のあることをいくら説いても耳を傾けようとしません。  蛆虫やハイエナが死体に群がり、家畜が人間の残飯を食すことに私たちは目をそむけます。  けれども、現実の人間の営みは、家庭内では妻や子どもに自分の威力を示そうとモラハラや暴力を振るう夫、利権をむしり取るために理由を付けて空爆で殺人を繰り返す国々。決して清浄などとは言えません。 仏さまの目から見たら、人間の五欲にまみれた生き方も同じよ... ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2014/08/13 11:24
救われたい魂の叫びと知的好奇心は雲泥の差
 自分が何処から来てどこへ行くのか気になる  死んだら魂が無くなってしまうのではないか  今生で何のためにこんな苦しい思いをしているのか  誰にも打ち明けられないこの胸の思いを何もかも分かる真理と出値いたい ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2014/08/13 00:24
欧州の集まりについて
今回の英語のメールの添削のやり取りで、英語ばかりでなく、日本語も拙く自分の気持ちが表現できていないことも知らされました。  たくさん言うより、短い言葉で言わなくてはならないことがたくさんありました。  夢ではなく強い意志で参加することだったり、ダダそこに参加するのではなく、阿弥陀仏を通しての心の交流を持ちたいとか、お邪魔かもしれませんが会場準備のお手伝いしたいとか、所属はなくても仏教を学んでいて、日本では人にもお話ししているとか  先生の方が私の気持ちを汲んでくださり、誤解のないように... ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2014/07/27 10:41
本当に手に入れたいものは心のブロックが外れたら今すぐ手に入る
救われたいと思って宗教団体に属している人たちのほとんどは本当に救われたいと思っていないでしょう。  何故なら、本来の目的である真理との対峙をしている人を見ないから。    口では救われたいといいながら、団体の世話や金儲や名誉を得ることに一喜一憂している人をたくさん見てきました。  そして無常が迫ってきているのにこんなところで仲良しごっこのお遊びはしていられないと団体を出ました。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2014/07/18 07:52
本当に心から真理との邂逅を望む人は滅多にいないことがようやく判ってきました
  いつも御仏の方ばかり向いていた私は、ほかの人間の思惑を全く気にせず生きてきました。とにかく中途半端なことが苦手です。  勉強も仕事も手を抜かないというポリシーで何事にも取り組んできました。  何しろいつも御仏が私をみまもってくださっているので、いい加減なことをすることやましてや嘘をつくことなどとんでもないことでした。  救われていない時も、御仏を悲しませるようなことは極力避ける生き方を目指しました。    もう自分の力が間に合わない、もう自分では助かる見込みがないと自力がすたったと... ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2014/07/17 00:13
ご縁のない人を悲しむ
 縁無き衆生は度し難し  無宿善においては力及ばず ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2014/07/13 18:40
自己中とか自意識過剰の人は見ていても一緒に居ても悲しい
 お蔭様で丈夫で今まで過ごせておりますが、病気の人が愚痴や文句を言うのは悲しいです。  元気なお前に分かるのかと言われれば、病気のことは分かりませんが、迷いの魂と対峙して無明業障の恐ろしき病に私はずっと苦しんでおりました。    とにかく、今死んだら困るという気持ちが強く、常に頭から離れなかったです。  未来の行く末が不安で、特に死後は全く分からない、どこからきてどこへ行くのか生まれて、5年前に救われるまでずっと不安でしたから、不治の病に冒されている人たちの気持ちは分からないこと... ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2014/07/12 17:22
親しい人が病死しても自死しても自分を責めることはありません
 死んでしまった人がどんなに悔やんでも生き返らないという明白な理由が厳存するばかりではありません。  おそらく亡くなった人がよろこばないからです。  生前に親しくあなたを大切に思っていた人なら、一番にあなたが真摯に明るくたくましい人生を送って欲しいと願うでしょう。私がいま死に臨んでもそう思います。思い出してくれるのは嬉しいですが、それで自分を責め悲しい思いをさせるなら残念です。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2014/07/12 10:40
The best lecture 今までに経験したことのないような大学院の講義
 最近「命がけの講義」を受講させていただきました。  テレビなどでご覧になった方も多いことでしょうが、現在、関西大学の博物館で角倉素庵と俵屋宗達の展示会が開催されています。同時開催でフギュアスケートの選手の衣装やメダルなどを展示していまので、興味のある方はお越しください。  その企画を現在の大学院の先生が任されていて、私たち大学院生の為に課外授業をしてくださいました。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2014/07/04 06:44
人が安寧を得ることは三世因果を知ること
中国に顔回という孔子の門弟の最高の人格者がいました。彼は極貧な生活で、しかも夭折しています。  一方、盗跖という大泥棒は悪事の限りを尽くしながら、富貴栄華を極めて死にました。  孔子は、この二人の人生を比べて 「あゝ、天道、是か、非か」と大いに嘆いています。 このようなことは、私たちの周りにはたくさんあるのです。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2014/06/23 01:08
ほたるとわたし
昨日は友人の住んでいる兵庫県の多可町に蛍を見に行きました。   日頃から、娘の入学祝などいろいろお心遣いを頂戴しています。   連れ合いと、娘と私、家族三人で車で出かけました。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2014/06/22 10:09
これでどうでしょう?(宇宙との一体化)
 宇宙全体が私の中に存在し、宇宙の中に私が存在する  光明が私の中に存在し、光明の中に私が存在する  宇宙全体が一つのエネルギーの塊であり、皆がつながっている  そこにはもちろん自我もなく、無であり、空であるけれど  同時に全てでもある ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2014/06/17 20:01
自分の中にある罪をことさら考えてもいつまでたっても救われません、自分で何とかできるものではないから
 宗教団体のある人たちは罪で脅します。  そしてたいていの所は、結果的に免罪符を買うためのお金を要求する仕組みを取っています。    ほとんどの新興宗教の団体の主催者や幹部はその宗教の教義や信仰はどうでもよく、そんなことより名利を求めています。  信心を獲るのに一生懸命なのは、末端の会員さんたちです。  実態のない信心を獲られると騙して、祈祷や高価な壺や印鑑やビデオや書籍などを買わされたり、献金でお金を巻き上げられます。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2014/05/24 00:13
もともとただ私は光の中にいた
このことはいろいろな意地や我慢や見栄や下らない自分を守って力んでいることから自由にならないと感じられませんでした。 それらが何もかも全く役に立たない、それどころか真理にきづくのを妨げていたことがわかったのは救われたまさにそのときでした。 正義や道理や自惚れは不安や恐怖から身を守るための実体のないかえって邪魔になるものであるのに、それにきがつかないのです。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2014/05/23 08:55
 救われた人は「救われたい」気持ちはすっかりなくなり、二度と起こりません
 「救われました」「救われています」と自分の力で何とかしたい、何とかできるという心がすっかり消えます。なぜならそれらは、迷いを抜け出ることには全く役に立たなかったことが心の底からわかったからです。  頑張って下さい!覚りは足下にあります!   「タイミングが大切です」  どうか、ご縁の深いみなさんと一緒に、それぞれが、御仏(真理)と対峙して、今、この場で救われてください!  今を逃したら、また迷いの世界を輪廻することになります。  吸う息、吐く息の中に無常が潜んでいます。  臨終が... ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2014/05/22 22:12
真実から、臨終を今に持ってこさせられるのです
 自分がどうしても救われたいという気持ちを起こすのではなく、起こさせられます。  何でか分からないのですが、そういう時が必ず来ます。  今救われる。  今でないと。  ぐずぐずしてはいられない、どうしても今! ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2014/05/22 21:30
覚悟・決意して、扉の所まで行って、取っ手に手を掛けた瞬間、あなたは真理の中
もう少しです。油断なく真理と対峙してください。 くれぐれも突発的な事故に巻き込まれて、命を落とすことのないように!ここまで来たのに勿体ないから!  あなたが一番、真理の近くにいます。  一秒でも早く真理と一体にさせていただけることをお念じ申し上げます。  本当に、本当に、もうすぐですから。  今、ここで、あなたが救われます。  感謝していること  御仏の憶いの詰まった願いとみなさまの尊く深い仏縁に感謝しています。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2014/05/21 18:11
どういう人をもうすぐ真実に値えると感じているか
 真理を求めていると口にして私に尋ねてこられた方  信心を賜る過程やその後の記事が何となく分かり、共感されている方  真理の話をありのままに聞こうとされている方  反発する部分はあっても、何となく気になって続けて聞かずにはいられない方  権威のある誰かの言うことではなく、自分の直感が信じられる方  他人のよろこびや悲しみに共感できる方  誰かから無条件の愛情をかつて受けたことがある方  「廻心」(180度)という心が真理と一体になる体験を自分は今生でできると信じる方。  前世や死... ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2014/05/20 20:51
実践的な布教活動と僧侶もしくは教師として知識を講義することの違い
 目の前のこの人に御仏の願いを今、賜って欲しいと念じながら話すこと、書くこと、タイピングすることと、信心がなく、単に知識を伝えることで生計を立てることで向き合うことでは、たとえ同じことを伝えていても、その意識に大きな違いがあることにやっと私は気が付きました。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2014/05/19 08:05
憂きことも悲しきことも全てが方便・・・・・・
 楽しくて、嬉しくて、自分の思い通りになることばかり起こっていたとしたら、果たして私は真理を求めたでしょうか。  おそらく、そんな境遇でも、関係なく、きっと真理を求めたと思います。  ただ、苦しみの中に身を置かなかったら、叫ぶことも泣くことも出来ないくらいの絶望の内に身動き取れないところでずっと時を過ごしてこなかったら、人に伝えようとはしなかったでしょう。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2014/05/18 19:51
山田邦男先生のフランクルについての講義のレジュメの抜粋とメモ
 まず、フランクルについては、武蔵野大学の大学院の通信での科目履修等の科目で彼の書いたものでのレポートを提出しました。しかしながら、その時の担当者には私の文章が稚拙であるためなのか理解されませんでした。  それでも、きっとどこかに私が理解しているフランクルの信心(思想)を同じような感覚でとらえている人に合えると思っていました。外国人でもいいので、いつか話がしたいという気持ちを持ち続けていたら、思いがけず公開講義でのお出合いとなりました。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2014/05/18 00:36
悲しくてやり切れませんが・・・・・・
 『仏敵』(伊藤康善著)の輪読をしながら、真宗談話会ということで、信心の沙汰をしている場所に参加しています。  そこの参加者がこともあろうに、私がそこにいたら救われないと見切りをつけて去った団体にわざわざ3月から入会したと知りました。  そこでのいろいろなおかしなことをさんざん言ってきたのに、結局話を聞いてもらえなかったのでした。    主催者の先生や他の方にもお世話になりましたが、その場所はもはや私の居場所ではなくなりました。とてもとても自身の力不足を悲しく感じます。  それでも御仏... ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2014/05/17 16:34
生命や精神の危機に際しては権威や常識を信じるな!
もしも、地震や水上で海難事故またはレイプされそうな場面に直面したら、逃げる時は自分で判断しないとなりません。冷静に状況を判断して、生き延びる方法を考え、素早く行動に移します。  生命の危機に遭遇した時には恥も外聞もありません。お金や財産よりもまず我が身の危険を避ける行動をとります。必死になってどうしたら生きられるか一秒を争う状況で集中して命を護ります。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2014/05/16 06:46
真理に焦点を合わせて生きる人とそれ以外の人の違いについて
 生きていくときに何を基準とするかはとても重要です。   この基準、つまり何に焦点を合わせる言動を取るかで、人生が大きく変わることを知っている人がどれだけいるでしょうか。   おそらく、こんなことは考えたことがある人も少ないのではないかと思われます。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2014/05/13 23:43
弱い人ほど自分を護る武器や理論で武装する
 もしも今死んでも構わないという覚悟が出来たら、自分を守る必要は全く無くなります。  死も含めた何かに怯え、恐怖することから身を固くして、全身の神経を張り巡らせ、自分を否定する人たちに対しては、目を怒らせ攻撃します。 ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 0

2014/05/09 07:51
縁のある人は真理とジャストタイムで出合えるのだから・・・・・・
30年以上前、私は予備校時代は東京の、大学時代は関西の国立・私立の大学の合格発表や入学式などで真宗の宗教団体の大学のサークルの勧誘をしていました。  その勧誘を縁にして、たくさんの学生たちが、その宗教団体に入会してある者は講師や職員に、またある者は多額の献金をするようになりました。 ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 0

2014/05/07 21:09
心のフレームをなくしていただく
 自分はこんな人間だ  人からこう思われている  こういう思いこみは実際は違っていることが多いです。  心のフレームとも言われます。  その範囲の中で、そう定義付けられた自分を演じるだけの人生なんてもったいないです。  どうか、自分の無限の可能性を信じで、少しずつフレームを拡げませんか?   ほかのことは、いきなり外すことは自分の力では難しいですが、魂の迷いだけは御仏が一瞬で取り去ってくださいます。 ただ、「そうなんだ」と信じるだけです。それだけです。  これが一番難... ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 0

2014/05/07 08:43
死も罪も悪も迷いであり幻想ときがつくとき
人間の魂のようなものは不滅で、それが仮の姿として人間に生まれ、寿命が来るとまた別の姿に生まれ、死で消滅するものでもなく不断に続き、人間に生まれたとき縁があれば迷いを抜け出ることが出来るものである。  身体を持っているがゆえに、生きるために他の命をいただかねばならず、その上、智慧がないために互いに争い、一方、他人の目を気にして孤独を避けて生きなければならない煩悩の固まりの悲しく愛すべき存在であるけれど、真理を疑いなく信じられたら、その無力さを心底受け入れ真の安寧のもとに満足して生きるとい... ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 0

2014/05/06 19:31
「無常観と罪悪感」をあぶり出して、それが無くなれば「迷界」とさよならです
  仏教で、ご縁のある人は「無常観」「罪悪感」を感じる人だと言われています。  感じない人よりは、それが苦しみの元だと分かっているので、手放しやすいのかもしれませんが、感じていない人は刹那的に生きていられるので、感じている人の方が、中途半端に辛いような気もします。  それでも、刹那的に生きている人も、そうしている内に「無常観」「罪悪感」を感じるようにシフトする前段階と捉えるなら、まだ迷界を離れる段階に近いのかもしれません。 ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 0

2014/05/06 11:24
普段は追いかけたりすがったりはしないけど、死なれた時には・・・・・・
 あっさり、さっぱり、すっきりを信条として生きている私ですが、おばあちゃんと大学時代の大切な友だちが他界した時にはさすがに落ち込みました。 もっと、もっと一緒の時間を共有して笑い合いたかった。心を通わせ合いたかった。もう一緒に居られない、その人たちと同じ空間で今生過ごすことのできない寂しさに直面して、3か月くらい立ち直れませんでした。 ...続きを見る

ナイス ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 0

2014/05/06 01:56
本当に必要で大切な邂逅は、突然訪れ、無償で獲られる
 ある人が真摯に生きていて、真理を獲たいという想いがあって、それが思い出すのではなく体の一部になるくらい自然なものとなった時、必ず邂逅が訪れます。  そんな素晴らしい人を真理も、もしくは真理を体得した人も知っていながら放っておくはずがないではありませんか。いきなり真理を受け入れるのは無理があるので、既にそれにきがついた人をきっと差し向けてくれます。    それは本当に偶然的なこともあり、ミラクルだと思われるような出合いだったりすることもあるかもしれません。  普通だったら、この人とは絶対... ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 0

2014/05/05 19:45
今と思ったら・・・・・
 今と思ったら、今じゃなくちゃ私は、気が済まない性格です。  今、成就できなくても、今を引き寄せるために、今できる事を即始めていました。  何もしないと、望みが叶わないと思ったから。  人が絡むと待つしかないですが。あくまで自分自身においてです。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2010/05/04 02:01
☆何のための善?
 信心決定するために善をする=自己の姿(悪の姿)を知らされるために善をする ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 3 / トラックバック 0 / コメント 0

2010/05/02 01:34
☆いつまで善をやればゴール?
 信心決定には、自力は間に合わなかった。  自分の力は何一つ間に合わなかった。  疑情を自分の力で晴らすことはできなかった  何もかも阿弥陀仏のお力によってでした。 ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 0

2010/04/29 01:52
☆ 祝 家族がカルト団体をやめました
 阿弥陀仏に感謝します!  南無阿弥陀仏・・・・・・  やった、遂にこの時がきました。  やめてくれて良かったね  ああ嬉しい ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 2 / トラックバック 0 / コメント 5

2010/04/26 09:12
☆御文章
 ぱらぱらと御文章を眺め読みしましたら  信前に分らなかった意味がそれこそ雪崩のように心に押し寄せ、嬉しさで心が溢れました。    それと、勿体ない話ではありますが、以下の点で、蓮如上人の真似をしてるみたいです。このブログは  阿弥陀仏の本願のましますこと。  本願を信じるのには何もいらない。  必ず、どんな人でも救われること。  救われたら、嬉しくて、念仏したり、沙汰をたくさんする。  こんなことをよく書いています。    皆様も、お勤めの時、そういえばと思われているかもし... ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 0

2010/04/24 08:02
☆何から何まで全て阿弥陀仏でした
 信心決定したての頃は、話したいと思う人全てに話したくて、話しました。  でも、反応はがっかりなものばかりでした。  誰一人喜んでくれません。  別に誰に喜んでもらわなくても  阿弥陀仏と私の間のことなので、構わないのですが。    反対にだから、信じられないのかとも思いました。  無関心なんですよね。今、救われたいと、救われるんだと思わないのでしょう。  嘘だとも言わないけれど、どのようなことになったかとも聞いてきません。    救われる前の私に、自分が信心決定したという人... ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2010/04/24 01:30
☆弥陀の本願、真だから、信心決定出来ます。
 いつも言っていますが、大事な事なので何度も言います。  願いは、希望(〜したい)ではなく、言い切ることが大切です。  本当は過去形にして(〜出来ました。感謝します。)がいいですが。  「します。出来ます」の言い切りでも、同じ意味ならいいのかもしれません。    信心決定に限ってなら、その救いは、絶対他力ですから、自分の力が、間に合って、ではないので、 「阿弥陀仏の本願」によって、私はと、私の前に「阿弥陀仏の本願」、が必ず入ります。    (阿弥陀仏の本願によって、私は)信心決... ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 0

2010/04/22 20:37
私はただ幸せになりたいだけだったのです
 私はただ幸せになりたいだけだったのです。  幸せになるための手段として、親鸞聖人の教えを選びました。  親鸞聖人の教えが分る話を探していたら、某真宗のカルト団体と縁があり、30年間も騙されてしまいました。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2010/04/22 12:23
☆何の不足があるのでしょうか?
 阿弥陀仏の本願を信じて、疑いの心が無くなったらそれで終わりなのに・・・・・  南無阿弥陀仏の名号をただ、受け取らせて頂いたらいいのに・・・・・  何の不足があって、諸善をして助かろうなんて思うのでしょうか?  どこまで、阿弥陀仏の本願を疑ったら、気が済むのでしょうか?  疑っている事が、悪いなんて、少しも思ってもいないでしょ?  そんなことより、ポイントを貯めようと、雑毒の善に励む事に、一生懸命なんですよね。  自分のやった善が、何かの足しになると思っているのでしたら、自惚れも甚だ... ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2010/04/21 22:20
☆この世のどんな善より尊いもの
 皆様、こんにちは、お元気でいらっしゃる事とお慶び申し上げます。  また、お会いできた事が嬉しく、有難く、感謝しております。  御蔭様で、毎日楽しく、つつがなく、私も過ごしております。  しばらく、お休みして、いましたが、やはり、一言なりとも、何かお伝えしたいと思いました。  初心に戻って、書かせて頂きます。    救われる前は、どうしたら、どう求めたらと、自分の側からばかりしか、考える事が出来ませんでした。  自分が、何かしたらとか、どう変わったらと、自分中心に考え、疑いの固まり... ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 0

2010/04/17 09:53
☆届け!南無六字(2)
 どんな話をしたか、かいつまんで書きます。 ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 0

2010/04/04 16:41
☆届け!南無六字(1)
 人の機嫌は取らず、専ら自分の機嫌を取ることを心掛けています。  世間的なことは、徹底してきましたが、仏教の事は、曖昧になってしまって、考えていました。    資格試験まで、あと1月余りです。  たぶん、しばらく何もかも、放って勉強に専念するつもりです。  唯一つ、心残りは、友人のことです。 ...続きを見る

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 2

2010/04/04 16:40
☆柵(しがらみ)
 何でも正直に言ってくれる、某会入会当事からの、友人がいます。  時々、仏教の話を直接会ったり、電話で話します。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2010/03/30 01:15
少しずつこつこつと
 毎日、英語の単語を調べる、ソロバンを掛け、割り、見取り10分ずつ計る、 ピアノを1小節ずつ出来るまで、何十回でも繰り返す。 ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 0

2010/03/28 18:21
☆昔の記事
 なぜだか分らないけれど、以前所属していた某会の会長が説法で言っていたことより、 緑色の結成時の新聞の縮刷版の方が阿弥陀仏の事が沢山書かれていて懐かしく感じていました。  その当時「どうして、今、この様な説法が聞けないのか」とても不思議でした。 ...続きを見る

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 4

2010/03/27 23:07
☆信心決定は出発点
 皆さんは、信心決定したら、後は何もしないで、寝て暮していようと、どうしようと構わない、 結構な身分になる思っているかもしれません。 ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 0

2010/03/21 22:59
☆変だと思うなら直ぐ離れて!
 思い込みとか、長年教え込まれて、染み付いた事はなかなか抜けません。  例えば、阿弥陀仏の本願に救われるのに、求道の過程があって、縦と横の線を使った話を、 毎回聞かされたとします。  聞いている人は、どうしても、「今、この場で、私が」と思えなくなってしまいます。    余程、自信がある人、自惚れ強い人なら、一気にあの、縦と横の線の交わった所に、 今すぐにいけると思うかもしれませんが。  ほとんどの人は、今日はあの線を少しでも進ませていただこうと、 消極的な、先延ばしの聞き方をして... ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2010/03/20 21:49
☆諦めているのも、疑いです
 今、阿弥陀仏の本願に救われたいと思えない人は、諦めているのでしょうか?    諦めているのは、一見、謙虚なように感じますが、 実は大変な恐ろしいことなのに気がついていません。    そうです。まさに、阿弥陀仏の本願力を疑っているのです。  自分を今、救う力などないと、本願に底を敷いているのです。    また、救われない裏返しは、自分に何か足りないと思うことなのですが、 すべて、阿弥陀仏の本願のお力で救われると教えられているのに、 これも、本願を疑っているのです。  絶対他... ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2010/03/16 22:05
☆誰でもがわかる、救われる教え
 どんな人でも阿弥陀仏の本願を信じて、疑いの心が微塵もなくなれば救われます。  老若男女差別なく、助けて下されるのが、阿弥陀仏の本願です。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2010/03/14 21:44
阿弥陀仏の本願を全ての皆様に・・・・・
 従姉妹を3年前の今頃、亡くしました。  40歳を少し過ぎた若さでした。  小さい頃にかかった病気が原因で、 定年過ぎても、パートで働く伯母にずっと養ってもらっていて、結婚もしませんでした。 ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 2 / トラックバック 0 / コメント 0

2010/03/12 08:59
理詰めで追い込まない
 正論は時には凶器になります。  何が正しくて、何が間違っているのかなんて、相対的なことですから、 時代、所、人が変わると、変化します。  それなのに、私の常識が、みんなの常識とばかりに、相手を責めると、事件になります。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2010/03/10 23:56
☆何が何でも、どうしても、今!
 宗教の悟りを求めている人は多いでしょう。    何が何でも、どうしても、今でないと困る  今、何を置いても救われたい ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2010/03/09 19:08
人は何を求めて生きているの?
 縁があれば、お金はやって来るでしょう。  住まいも、相応の所に落ち着くと思います。  仕事も、やれることをしていくしかないですし。  心の持ちようで、穏やかに暮す事も出来ます。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2010/03/07 17:07
☆遠回り
 信心決定は簡単です。  してしまったからだろうと、思われるかもしれませんが、どんな人も出来ます。  それが証拠に、子どもは6歳でさせて頂きました。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2010/03/04 00:26
☆もういい加減に終わりにして
 ハッキリいって止めて欲しいです。  どれだけ、お金、時間、体力をつぎ込んだら、分るのですか?  なぜまた、カルト団体の話を聞きに行くのですか?  そこには、真実の欠片もないのですよ。  カルト宗教の長にあるのは、自身の名利を満したい強欲のみです。 ...続きを見る

ナイス ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 0

2010/02/28 00:41
☆信じられなくなったら終わりです
 人を信じられなくなったら、残念ですが、もうその人との関係は終わりなのです。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2010/02/26 23:48
今の私の願い
 毎日、心穏やかに、平穏な日々を過ごさせて頂いています。  有難い事だと、感謝しております。    昔から、自分は人と違っている、合わない、 ...続きを見る

ガッツ(がんばれ!) ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 0

2010/02/24 22:18
その宗教団体に属する根拠は?
 世間から、叩かれ、明らかにおかしい、怪しい新興宗教でも、かつて属していた、真宗系の某カルト団体でも、  なぜ、その団体に属する必要があるのか?  どうして、それほどまでに教祖を信じられるのか?    やはり、団体の中にいると分らないのでしょう。  自分の置かれている状況を客観視出来ませんから。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2010/02/23 00:43
夢と現実
 夢の中で高い所から落ちたり、美味しいものを食べたり、映画スターになったりします。  ハラハラ、ドキドキ、これが夢などとちっとも思わないで、起きた時、汗をかいていたりします。 ...続きを見る

驚いた ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 0

2010/02/20 10:04
☆なぜだかわかりません
 教えて下さい。  なぜだかわかりません    「阿弥陀仏に向かって下さい」としか、私には言えません。    阿弥陀仏に実際向かって、救われるのはあなたなのに  なぜ、阿弥陀仏に向かわないのですか?向かえないのですか?    今まで、心から喜べたことがありましたか?  今まで、先が見えない不安がスッキリ晴られたことがありますか?    自分の心の中を全部、そのまま、丸ごと受け止めてくれる人が今まで、いましたか?  何を言っても、思っても「そうだ、そうだ、いいよ、いいよ、そ... ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2010/02/19 12:45
☆迷いの打ち止め
 六道輪廻を繰り返す、私たちを、可哀想だと思われた阿弥陀仏はどんな人も、生きている今助けるという 本願をたてて下さいました。    でも、肝心の、お目当てである私たちは、自分がそんな、可哀想だ、気の毒だとなどとはちっとも思いません    テレビを見て、あれ美味しそうだな、あそこに行ったら景色がいいだろうな、あれを飲めば健康に良さそう  こんな風に呑気に構えています  阿弥陀仏のご苦労なんて、これっぽっちも思いません。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2010/02/16 18:47
人間の限界と人間だから出来る事
 今日は私の心の支えについて書きます。  今まで書いてきたことの根底にあるものなので、皆さんにお伝えします。    人間は悲しい。  人間とという煩悩を持つ身体の生命体である限り、欲、怒り、愚痴で悪を作り続けます  菜食主義といっても、野菜や豆、穀物を収穫するのにどれだけの生き物を殺しているか分りません。  道を歩くだけで、どれだけの他の生命体を殺生しているでしょう。    三次元の身体と言う入れ物で存在する限り、欲が止まりません。  怒ったらいけないと分っていても下らないこと... ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2010/02/15 22:19
☆信心は理解の延長でなく、超えたところに
 仏教の理解が進んで、完全にわかって、信心が獲られるのではありません。  そうであるなら、子どもや、知的に障害がある人は救われなくなります。  釈尊の経典、七高僧、歴代の善知識の書かれたものを仮に、全部暗記しても、  南無阿弥陀仏の他力の御心が受け取れないのなら、考えてみましょう。  学問の為の学問になっていないかどうか。    目的と手段が逆さまだったり、ごっちゃになってしまっていませんか?  書かれたものは全て、南無阿弥陀仏の解説書です。  阿弥陀仏の本願を受け取る為のもので... ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2010/02/14 01:50
☆拡大、拡張の果てに・・・・・
 たくさんの人を集める  その人たちが収まる建物を建てる  車を止めるところを確保する  雨や雪が降ったときのため駐車場から建物までの地下道を掘る  自前の弁当屋を作る  宿泊施設をつくる  それは何のため?  それをする事で本当に幸せになれるの?  本当に必要なの?  いらない いらない いらない いらない いらない・・・・・    心の中でいらないを繰り返していました  そんなものいらない    次から次へと、自分で自分の首を絞めるようになる、献金しました... ...続きを見る

ナイス ブログ気持玉 3 / トラックバック 0 / コメント 0

2010/02/13 00:48
☆お伝えしたい・・・・・
 阿弥陀仏の本願をお伝えしたい・・・・・ 人間に生まれてきたのは、六道を出離して、悟界に出るため  そして、今、この場で、私を救って下さる阿弥陀仏がまします ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2010/02/12 08:57
行き詰ったら、はなれる、そして飛び込んでくる
 世の中のいろいろなことについて言えると思いますが、 どうしても、成就したい事があって、それに夢中で、全身全霊で打ち込むと、 飽和状態になる時、感じる時があります。    そんなとき、更に詰め込もうとしないで、その対象から、距離を置いて、機嫌よく暮していると ある時、ふっと心の目が開けることがあります。    もっと、詰め込む必要があるとか  反対に、少し、抜かなくてはならないとか  全部抜いてしまおうとか ...続きを見る

ナイス ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 0

2010/02/10 21:47
☆疑いを晴らすには
 法、機 両方についての疑いは共に  阿弥陀仏の本願の生起本末を聞いて、疑心があることが無くなったところまで聞き切るしかないでしょう。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2010/02/09 12:46
☆疑いの本質
 法に対する疑い  機に対する疑い ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 2 / トラックバック 0 / コメント 0

2010/02/07 16:05
阿弥陀仏の本願に救われて
 新聞やテレビのニュースや偉いと思われている人の言う事は信じるのに、  何故、本当の幸せになれる阿弥陀仏の本願を信じないのでしょう?  お金や地位や名誉や死んで行くときに役に立たないものは、しっかり捕まえて離さないのに何で?    お金儲けの為に、人を騙しても、皆、多少はやっているで済ませ  一つしかない椅子を取り合って、相手の中傷をでっち上げて、勝ったり  価値のない人間のくせに、取り巻きにオーバーな美談を広めさせたり  人に嫌われて、喧嘩して、嘘をついて獲た物が嬉しいですか? ... ...続きを見る

驚いた ブログ気持玉 3 / トラックバック 0 / コメント 0

2010/02/01 00:36
☆手放す、捨てる
 こうすれば、ああすれば  こうなったら、ああなったら  〜が出来たら  理解が進んだら、悪人だとわかったら     「する」 「なる」 「出来る」 「進む」 「わかる」 ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 0

2010/01/24 22:37
☆不思議な阿弥陀仏の本願
 「どんな人」でも救われます  それも「今」救われます ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 2 / トラックバック 1 / コメント 0

2010/01/21 20:02
☆弥陀の本願は「今」の誓
 阿弥陀仏の本願は「今」「この場」で「あなた」を救って下さいます。 ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 3 / トラックバック 0 / コメント 0

2010/01/20 19:43
なぜ宗教にお金がかかるの?
 宗教的悟りの境地は本来お金で買えるものではないでしょう。  自分がただで貰った信心なりをお金で切り売りするのがどうしても信じられません。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2010/01/18 18:26
詐欺師に恩など感じるなかれ!
 「いじめはいじめられる方にも原因がある」 ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 2 / トラックバック 0 / コメント 0

2010/01/17 22:23
☆せめて常行大悲の真似事なりとも・・・・・
 阿弥陀仏の本願に救われてから、人に仏教を話さずにいられなくなってしまいました。  1対1で話します。メールで、チャットで、電話で、会って話します  サイトにコメントも一杯書きました  そして、去年の11月からこのブログも始めました  これは、阿弥陀仏の御恩がハッキリわかったので御恩返しの真似事でもさせて頂こうと思ってのことです。    そして、だんだんにわかることとわからないことがハッキリしてきました    振り返ってみると、私は初めから、人間ではなく、阿弥陀仏に向いていました... ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2010/01/16 02:01
☆世の生業に勤しまん
 「よのなりわいにいそしまん」 ご存知のように『真宗宗歌』の一節です ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 3 / トラックバック 1 / コメント 2

2010/01/11 14:09
☆救われた人は皆、人格者になるの?(2)
 さて、前回は私自身のことについて書きましたが、今回は元いた某宗教団体の会長について考えてみたいと思います。私が、彼と始めて会ったのは、彼が50代の頃でした。当時の50代といえば今の同じ年頃よりも、多少しっかりした感じはありましたが。自分がまだ18かそこいらでしたから、会長はとても大人には映っていました。また、予科練出身ということもあり、世間の人とは少し違って見えました。 ...続きを見る

驚いた ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 0

2010/01/10 00:38
救われた人は皆、人格者になるの?(1)
 皆様こんにちは   理由があって、しばらく☆の記事をお休みしていました。   ☆のない記事は、私個人のポリシーや生き方や友人へのメッセージなどを主に書いています。   本当は、救われたらこう考えるとか、救われるにはこの様に考えなくてはならないと誤解される方がないように分けた理由の方が、どちらかというと大きかったのです。  仏教を聞きたくない方の為ということにしましたが、実は、両方の訳がありました。  前置きは以上です。     では、今日の、タイトルに移ります。結論から言えば、信... ...続きを見る

驚いた ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 0

2010/01/09 18:51
☆会を離れた理由(3)
 阿弥陀仏の本願の生起本末が説かれなくなった、教えが間違っていた事が分ったのが一番の理由であることは言うまでもありません。 ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 2 / トラックバック 0 / コメント 0

2009/12/30 19:38
☆会を離れた理由(1)
 「仏教は聴聞に極まる」  この言葉を信じて、30年近く某会の会長の話を聞いてきました。  某会は富山県に本部を置く浄土真宗の会で、北陸を拠点に日本全国、日系人の住む韓国、台湾、中国、北南米と組織を拡大してきました。今はインターネットや除名になった元講師などの影響で会員がどんどんやめています。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2009/12/26 14:17
☆あなたが思い浮かべる阿弥陀仏
 阿弥陀仏とは、救われたら、きっと、わかりますが、あなたが今思っている阿弥陀仏とは全く違っています。  木像や絵像でもなく、影でもなく、心に映ると言うか感じられるものです。  三次元の頭でこねくり回しても、想像も及びません。聖人のおっしゃるように救われる体験は、  不可称、不可説、不可思議としかいいようがありません。 ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 2 / トラックバック 1 / コメント 2

2009/12/15 00:07
☆法友
 会で求めていたとき、教えや組織で疑問に思っていることを、何でも、言える友達、法友と呼べる人がいたら、辛い中でも楽しかったのかもしれません。それも一足先に、信心決定されている方が一人でもいたら・・・・・。 ...続きを見る

ナイス ブログ気持玉 2 / トラックバック 0 / コメント 2

2009/12/10 23:57
☆本気で、今、ここで、救われたくならせていただいた時・・・・・
 今、救われたいと、この瞬間に、どうしても助かりたい、助からないといけないと思わされた時、救われました。    自分のやっていることに酔ってしまって、これだけやっているから、積み重ねていけば助かるのではないのかと、安心してしまう事がないですか? ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2009/12/06 00:52
☆ただで賜ったものだから
 某宗教団体で嫌な思いをして、そのあとも、救われても立場が違うと一緒には出来ない事思い知らされる出来ごとがありました。  だから、会は作らないし、お金も貰わない、そして、ほかの人の、邪魔もしたくないです。邪魔になりそうなら、さっと身を引きます。だって、私はずっと一人で、求めてきたし、それでよかったんだから。  聞きたい人から、聞いたらいいし、誰から聞いてもいいと思います。でも、ほかの人のはなしを聞いている人を横取りしようとは思いません。聞きたい人がいたら、ここにたどり着いてくれたらいいと思い... ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2009/12/05 21:14
☆他力の救い
 小学校の頃の社会科の教科書に浄土真宗の親鸞聖人の教えが書かれていました。阿弥陀仏の本願を信じて救われる教えとありました。法然上人は念仏で助かるとありました。  阿弥陀仏に救われた、今では、何を言わんとしているか、よくわかりますが、当時は念仏と信心がどう違うのか皆目見当もつきません。信心と念仏がどういう関係で、どこがちがうのか?    その時、念仏も唱える必要のない、ただ信じるだけとはどんなことかと心に杭が刺さりました。  ただ、いつかはその信心とやらを体得してみたいものだと漠然と思って... ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 0

2009/11/29 17:28
☆信仰 信心について
 信心、信仰が足りない、進むと言われて?と思った事はありませんか?  足りない、進むといわれると、何かを積み重ねていった後に、到達点なり、ゴールがあって、そこまでポイントを貯めていくように思えてしまいます。  それなら、ポイントを稼ぐ、時間のある人や若い元気な人が、有利になるし、今、臨終を迎えている人は、救われにくいことになります。おかしな話ではないですか?  阿弥陀仏の本願を信じるだけで救われる、親鸞聖人の教えには、信仰が足りないとか、進むというような表現はありえないと思います。  今... ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2009/11/24 21:15
☆善知識とは?
 何か知りたいと思ったら、既に知っている人から、教えてもらはなくてなりません。  ずっと信じてきたその人が偽物だと判明したときのショックは想像を絶するものでした。  ただ、途中から???と心に浮かんできてその度にそれを無理やり押さえつけてきました。  だから、その知識を見切ったとき、かえってスッキリしました。    始めにネットにアクセスするときはどきどきしました。そんな事実が知らされるのだろうかと。  そして、今まで、会長や会に対する疑問、不審が全てわかり、これで某会を離れられると... ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2009/11/16 09:00
☆会にいるときは誰とも話せなかった
 30年程某会に所属して信心決定したいと真剣に求めていましたが、身近な人で信心決定した人はいませんでした。誰とも阿弥陀仏の話を出来る人はいませんでした。  阿弥陀仏に救われる教えなのに阿弥陀仏の話が聞けないのは何故だろうと不思議で不思議でなりませんでした。  会長が35周年で三願転入を説法で持ち出して善の勧めを言い出してから、もっともっと阿弥陀仏の事は言われなくなりました。私の一番の問題である弥陀の本願を疑う心はどうしたら晴れるのかでしたが、会の人が話すことは会長の恩と因果の通りが殆ど。これ... ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2009/11/15 19:44
やっぱり「励まし」にさせて下さい
おはようございます  昨日は初めなので慣れなくて、「幸せ探しのお手伝い」がしたいなどと言いましたが、「励まし」くらいにしておきます。  事実、真宗で何十年求めても、大学入試位のの古文の力すら原典を読むのに使っていなかったし。学問は無きに等しいです。だから、教学的な事には応えられないとおもいますし、それをお望みなら、ほかの方に尋ねて頂いた方がいいでしょう。  今は古典を読み込んでいく作業より、日常起こっていることからのアプローチをしていきたいから。ただ、乏しい知識でも、古文も心で読み解ける... ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 0

2009/11/15 08:56

トップへ | みんなの「信心決定」ブログ

今、この瞬間を精一杯生きていますか? 信心決定のテーマ/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる